みんなの広場

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Update: 2014年06月27日
「狭山藩と河内長野」という狭山陣屋跡発掘調査成果
6月21日くろまろ館主催の狭山陣屋跡発掘調査成果と、河内長野の資料展の説明会に出席しました。第一部は「狭山陣屋跡の発掘調査成果」について、大阪府教育委員会の小林先生の話がありました。
『今回は府道を二車線にして、歩道を鉄道の下に造る計画で、関連の調査が行われました。10年以上、府と市で断片的な工事がありました。今回の発掘で府道とメインストリートが見られ、ビジュアルに調査成果が出ました。調査の方も文化財についての、認識が無かったので、大したことが無いとの判断で、予算なしで発掘が行われました。その中で色んなものが出土して、驚きと発掘の原点に戻ったような興奮が興りました。測量から、図面に落とすまで、自分達で行う事となり、昔の発掘現場の様に、楽しく・わくわくとした雰囲気で、ビジュアルな陣屋の一部がはっきりしました。
大手筋の右側に石組の出土でした。穴は屋敷の柱の跡で、地面は1cm~2cmの小石や瓦の破片を着き固めた道路が出て来ました。私は道路のコーティングを行ったものだと思います。その瓦の製造を調べて見ると、平瓦で堺の瓦屋の谷傳兵衛の刻印があるものが出ています。それは大火以降の遺物からの出土です。もう一つは、平瓦で下田源兵衛の刻印です。ミツウロコの瓦にも同様の刻印がありました。発掘の成果を聞いて頂きました。』
第二部は「文献資料に見られる狭山藩と河内長野」について、河内長野市立図書館の鎌田先生の話がありました。今回はくろまろ館で展示されて居る古文書を中心に、①狭山藩北条氏と河内長野市について、②北条氏の領民支配、③狭山藩領の村年貢、④炭と狭山藩,⑤藩主の帰着、巡見と狩り、の順で説明された。『本日は狭山藩との関係の資料を基に説明したい。
今回は「狭山藩と河内長野」という、特別展で使用したものを利用して話してみます。画像を中心にして資料を解説します。』と話されました。
Written by マロンさん
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Update: 2014年06月24日
田尻海洋交流センターと田尻歴史館について
6月20日恒例の田尻港漁業組合の「田尻海洋交流センター」で、海鮮バーベキューを実施しました。
今回は一人で家を早めに出て、田尻歴史館(谷口房蔵氏の別邸で、ステンドグラスが美しいレトロな洋館です)へ向かいました。
西條酒造さんが文化財の活用で、悩まれていたので、府立の文化財が活用されているのを、見せて貰いました。アスウェルと言う会社が、文化財の活用と保護のメンテナンスを行われていて、文化財の本館には、食堂と物品の販売所と、文化財のガイドが行われていました。今回はステンドクラスを見て帰りました。
交流センターでは少し早目に着き、炭が赤々と、燃え出した準備状況の確認をして、海風を受けて海を眺めながら、皆さんの到着を待ちました。
今回は「友達の輪」の23名が参加されました。南海本線吉見ノ里駅前で集合して、歩いて12分位の距離です。道の途中には、大阪府指定有形文化財の、田尻歴史館があります。皆さん方は今回見学せず、会場へ向かいました。本日の宴会は貸し切り状態で、一番見晴らしの良い席を提供して貰いました。ランチコースは、平日限定で11:00~14:00の90分の予定です。メニューは、アナゴの天ぷら・有頭エビ・ホタテ貝(またはオク貝)・イカ・厚切りベーコン・フランクフルト・焼き野菜・ご飯 (タコ飯に150円追加で変更可能)・みそ汁などで、焼鳥などを追加しました。90分の食事タイムでは、久しぶりでいろんな話に花が咲き、自分の近況の健康について交流が出来ました。
その後、アウトレットまで歩いて散歩して、駅構内のホテルの喫茶店で、コーヒータイムを取り、解散しました。
Written by マロンさん
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Update: 2014年06月24日
「近世狭山池の西除と東除」池守田中家文書特別公開
6月14日~7月13日まで、府立狭山池博物館の展示室で、公開されています。挨拶では『池守田中家文書』は、江戸時代から大正末まで、狭山池の池守(管理責任者)を務めてきた田中家(大阪狭山市)に伝えられてきた資料です。狭山池の江戸時代以降の改修工事や水利慣行が知られる事から、とても高い学術的な評価を受けています。現在、「池守田中家文書」は狭山池博物館が寄託を受けて、お預かりしています。』と書かれていました。
渡邊主任専門員から、解説をして頂けるようになりました。『今回の展示の中心の「除(よげ)」と言う事は、一般に、水を溜めるため池やダムなどでは、洪水を放流して、その安全を確保する施設が必要です。放流施設が無いと洪水は堤からあふれ出して、堤が崩れる事が在ります。狭山池では江戸時代から、除・水除(みずよげ)と呼ばれる、安全弁的な施設です。江戸時代以前は余り手入れがされなかったが、江戸時代に入ると徳川幕府の管轄で、大阪城代が中心となり、国家的事業で、改修工事が行われて、特に豊臣家家臣で、幕府の摂河泉三国の国奉行の片桐且元が、慶長の改修を行いました。池水は村々の石高を基準とした、番水の制度で、公平に分配されました。時代と共に西除と東除の村では、洪水対策についての人足提供から、17世紀中頃には、東除川沿いの村々が番水から離脱しました。江戸時代以降、除は頻繁に改修され、本格的な改修は西除で11回、東除で7回行われました。特に安政5年の西除の改修では、銀190貫目(約2億円)の費用でした。幕府の財政が一段と悪化した18世紀に入ると、水下の村々が独自に金を借りて行われ、延宝期以後は、請け負う商人を決めるようになり、詳細な仕様書や絵図が作成され、工事関係の事務を務めた池守田中家には、工事関係の資料が残されて行きました。』と言う内容でした。
Written by マロンさん
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Update: 2014年06月23日
2014年度、綿の里親と成って
6月14日くろまろ館へ、ボランティア活動に出かけたら、館長さんから、綿の里親さんに、綿の苗を渡しますと言われて、6ポット頂きました。昨年植えて育てたので、説明は省いて頂けました。
頂いた「綿の里親手帳」には、『この度は、綿の里親にご登録して頂き、まことに有難うございます。綿の里親プロジェクトは、河内長野の綿造りや、河内木綿の魅力を再発見して頂く為に、発足しました。かつて河内長野は、綿や河内木綿の生産が、盛んな地域で、「河内木綿」と呼ばれた特産品は、丈夫で良質と評判だったそうです。当館では、河内木綿にご興味を持って貰う為に、小中学校の体験学習などで、綿繰り体験をしています。なるべく地元産の綿に、触れて欲しいと思い、当館ではそれに使う綿を栽培していますが、到底足りません。そこで、市民の皆様に「綿の里親」になって頂き、少しでも河内木綿の普及啓発に、ご協力して頂ければと思います。』と書かれていました。
5月の初めに種を植えられたそうですが、今年の種が悪い様だと、心配されていましたが、双葉が出たので、里親の皆さんに、配布が始まっています。三日市幼稚園は90株の里親になられました。15日に植える場所を作ってあげる為に、久しぶりに庭の手入れをしました。ちょっと草を取って、畝(うね)を造ったのですが、しんどい仕事でした。お百姓さんの仕事のつらさが少しわかりました。庭のザクロの木に、今年は沢山花が付いていました。
Written by マロンさん
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Update: 2014年06月23日
狭山池博物館の一日(6月18日)
朝一番に、堺から大阪狭山市出身の老齢の夫人が来られて、弟さんに大阪狭山市史を送りたいと、二冊手配されて購入に来られた。富田林高等学校出身の弟さんは、川崎にお住まいとの事で、地元の歴史を知って欲しいと、1冊を送られるそうです。一冊の本が余りに重かったので、駐車場まで持参しました。丁度買い物の予定があり、一緒に出かけました。その後、渡邊主任専門員から『平成26年度池守田中家文書特別公開「近世狭山池の西除と東除」』の展示解説を受けました。展示だけでは理解できない様な内容でしたが、口頭で教えて貰い理解が進みました。中村哲さんが書かれた「医者、用水路を拓く」のアフガニスタンで、用水路を造られる時に、昔の工法を採用された時に「蛇籠」の話があり、ここで確認が出きました。渡邊さんの友達が、ネパールで採用されたとの話も聞きました。先日天野川の改修の時に、狭山池でも蛇籠を見つけました。午後は、2時から「山水会」と言われる、天王寺高等学校のOB会の皆さん36名が、博物館の見学予定が入っていたが、30分の遅れとなり、ガイドが三人いたので、3組に別れてのガイドとなりました。私は10名を担当して、1時間を目標にしてガイドを行いました。途中で「狭山池の底の石棺」の紙芝居は、好評で皆さんに拍手を頂きました。私の話ぶりで長崎弁が出たのか、大阪の人では無いですねと話された。しかし大阪弁も上手になっていたとの事でした。丁度終わる頃、韓国からのお客さんが、20数名来られていて、本来は自由見学と聞いていたが、ガイドさんの「ジャパンツーリストガイド」のCHANGさんが、私のガイド風景を見られていて、急にガイドの要請があった。15分でガイドをと言われて、始めたが熱心に質問なども出て、30分程ガイドして喜んで頂けました。女性ばかりの団体は初めてでした。
Written by マロンさん
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Update: 2014年06月20日
狭山池博物館の一日(6月13日)
6月18日は豊川土地改良区の皆さん81名が、10時半に見学を予定されていたが、69名に変更されバス2台で10時からと早くなった。ガイドは西川・中村さんの3名で、対応する事になった。京都に宿泊されていて、道中が込んでいるとの情報で、15分位遅れるとの事でした。皆さん水利関係の方で、説明は良く理解されていた。豊川地区には二本の川があり、高い方の川に、低い方から水を送るようになっているとの話で、興味がありお聞きしたら、水門で仕切っていて、水位を上昇させて、送るような構造のようでした。昔の人は頭が良かったという話でした。敷葉工法や高野槇の木の加工など、感心して頂いて良かったと感じました。午後は、谷上さんとさやか会の皆さんが、大阪狭山市の中世の城跡の研修をされ、大阪狭山市立資料館へ研修に来られていた。資料室では「模型池尻城跡の発掘調査」のジオラマを見学されて、解説をされていたので、写真を撮らせて貰いました。このグループは大阪狭山市内のお城のコースを作る為に、調査をされています。大阪狭山市には中世の、池尻城・半田城・野田城址がありました。私は東京からの、同年輩の男性のガイドを引き受けました。昨日東京から京都に着かれて、なにわの宮などを見学されて、近つ飛鳥博物館から、狭山池博物館へ見学に来られたそうです。昔から狭山池博物館に興味を持たれていて、念願がかなったと話されていました。「狭山池の底の石棺」の紙芝居は、内容が面白く良く出来ていると、お褒めの言葉を頂きました。平成26年度池守田中家文書特別公開「近世狭山池の西除と東除」というイベントの準備が行われていました。6月14日~7月13日まで入場料は無料です。『池守田中家文書』は、江戸時代狭山池の治水灌漑システムやその技術を伝える貴重な史料です。今回は洪水時に水が堤から溢れる事を防ぐ、治水施設の余(よげ)を取り上げています。
Written by マロンさん
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Update: 2014年06月16日
「滝畑から岩湧寺を経由して神納への道」研修
6月10日滝畑班では秋のウォークの「滝畑から岩湧寺経由で神納への道」の研修を行いました。9時に家を出て、滝畑ダム管理事務所前に9時半に集合しました。本日の参加は8名です。元気良く9時50分に出発しました。ダムサイトの東側を夕月橋に向かいました。レイクサイトの花壇にはカルミアの花が、未だ咲いていました。梅の木橋を渡り千本川に沿って、梨の木峠へ向かい、トンネルに入るまでに無患子(むくろじ)の木を探しました。ここに大きな木が1本ありました。無患子は市内に数本しかありません。植えられた理由は、箕の外皮に含まれる、サポニンを洗濯に利用する為や種を羽子板の重しにしたからです。市内には6本ほど残されているそうです。梨の木トンネルは、昭和52年に造られた114mのトンネルです。直線であり出口の明かりで歩けました。横谷との分岐点で、大きな榧の大木があります。林道加賀田滝畑線を使って岩湧寺へ向かいました。1時間後に展望の開けた所で休息しました。ミニ大蛇グラ(大台ケ原の大蛇嵓のミニサイズ)とカエル岩を見ました。付近には葉が白くなったマタタビの木が見られました。葛城28宿の第15経塚を参拝しました。11時50分には岩湧く寺に到着して、多宝塔と本殿を見ました。市の文化財の榧の木は、樹高さ30m、幹の回りが約6mあります。お寺の回りには、9月の初め頃、花を咲かす、秋海棠(しゅうかいどう)の葉が出始めていました。愛用の尺八を背にやって来られている、寺道さんにお会いして、年間150回以上を目標に、四季彩館周辺で、尺八を吹かれているそうで、今日も練習されていました。四季彩館で食事して、12時45分にスタートして、府道加賀田片添線で、三日市へ向かいました。道中では多羅葉の木を4本以上発見しました。その後、神納付近で弘法大師石像をお祀りしている社と、個人の方がお祀りしている、瓦の仏様を見ました。
Written by マロンさん
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Update: 2014年06月16日
ダム湖畔で茅葺きアートコンサート
 河内長野市立滝畑ふるさと文化財の森センターで6月8日(日)に茅葺きアートコンサートが開かれました。滝畑ダム湖湖畔へ移築保存した茅葺き屋根の古民家「旧梶谷家」の屋内で第1部は、講演ヴィンセント・ヴァン・ゴッホを語るを大阪芸術大学教授 末延 國康氏、第2部は、アンサンブル・バラノチカラによる演奏が行われました。
 ゴッホは卒業後に画商、教師、宣教師の職につくが失敗する。画商の弟テオから終始経済的援助を受ける。27歳独学で画家を目指す。ミレーの版画の模写で素描や構図を学ぶ。ミレーのような農民画家を目指す。33歳パリで印象派絵画や浮世絵に出会い、色彩に目覚める。特にスーラーの点描画法に感銘。南仏アルルで画家共同体づくりを試みるが、ゴーギャン1人が呼応する。自画像の描画でゴーギャンと論争し耳そぎ事件を起こし仲違いする。以後、精神とてんかんに病んで病院の入退院を繰り返す。精神が穏やかな時は、安定的な直線的な大地を描き後ろに輝く黄色い太陽(ミレーの種まきを題材)、精神的に不安定な時に渦巻きやうねりが出る(カラスの飛んでいる麦畑)。ゴッホは黄色が大好きでエネルギーの源、黄色い太陽や輝く光を生命体の象徴として描く。また働く人の力強さ、生命力を描こうとした。精神を病み、自分を曲げない気骨のすごい人、真面目で勉強家、聖書を愛読し、人に施すことを惜しまなかった素晴らしい人であった。
 第2部のアンサンブル・バラノチカラは2008年から主にロシアン・フォークソングをテーマに、様々なアレンジを加えて活動中。バイオリン・ビオラ、バイオリン、ギター、バス、パーカッションの5人のメンバー構成。コザック、ジャック&ベティ、ボルガ、美しい場所、アリアハンへの花束を、C’zardas、ふるさと、見上げてごらん夜の星を、青い山脈の曲を熱演されました。心地よい湖畔の清風がそよぐ中での素晴らしい演奏に酔いました。
Written by 岩湧太郎
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Update: 2014年06月16日
「烏帽子形城跡の活用」というシンポジウムに参加して
6月7日キックスで「烏帽子形城跡の活用」と言うシンポジウムが行われました。始めに芝田市長の挨拶が行われました。『国の史跡というものを3件持った市です。今年市制60周年を迎えて、教育立市宣言をして、子供たちに郷土の歴史を教えてきました。自然の中で今回の烏帽子形城跡が、学びの場となって欲しいと思います。』と開会のあいさつとされました。教育委員会の太田さんは、今回のシンポジウムの開催趣旨の説明が行われました。
その後、滋賀大学の中居先生からは「戦国山城の整備と活用」について紹介がありました。
『烏帽子形城跡は市の指定となり、中世の城として、委員会を造り調査が行われました。この規模で国の史跡に登録したいとの動きが始まりました。その様な中で、八尾の小谷館長や高等学校の堀内先生が歴史を調べられて、畠山四代の物だと言う事が判ってきました。付近に住宅地が広がる中で、遺構として残されて居て見事に国の指定となりました。烏帽子形城跡は、城として使われたのは、14世紀から16世紀の250年間です。16世紀以降の歴史が、城跡としての歴史です。近代以降の自然が残された、空間を大切にすることが必要で、共生・共存が大切だと思います。野鳥が飛び交う城跡の整備が必要だと思います。展示の方法は、ガイダンスで聞いて、登ってみて、体験して想像すると言う、三つのコンセプトを考えました。そこでは城下の人々と、今生活して居る人との繋がりを大切にしています。烏帽子形城跡は、78年ぶりに国の史跡となりました。後に続く高安城跡・飯森山城跡への史跡指定への見本となるようなものにして欲しいと思います。そして全国的にさまざまな所で、戦国時代の城の整備が続けられて欲しいと思います。』と結ばれました。最後に加藤先生から「静岡県下の城郭の整備」について、先進地域の展示方法について、実際の現場の写真で、詳細の説明が行われました。
Written by マロンさん
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Update: 2014年06月12日
西條酒造さんの「蛍の宴」に参加して
6月8日 前回の西條酒造さんの訪問時に、篠笛のさくらの会の、井上先生と清水先生が「蛍の宴」に参加の希望があり、西川さんが調整されて、本日実現しました。松本さんと5人で予約して、河内長野駅前で集合して6時15分に入場したら、既に多くの方が食事を始められていました。先生たちは名張での子供たちの教室で教えられて、午後に出発されて車で到着されました。河内長野で唯一のミシュラン一つ星の『喜一』さんの、お弁当が用意されていました。飲み物は450円までサービスで、各自が取りに行きました。酒粕サイダーが好評でした。席は二列目の21番から25番で、一つのテーブルでした。西條さんの挨拶があり『本日は遠くからの、お客さんもあり50席が満席です。食事タイムは明るくしていますが、8時ごろから真っ暗となるので、足元に注意して楽しんでください。午後8時には近隣の方にも開放して、蛍を楽しんで貰うので、宜しくお願いします。』と話されました。久しぶりのご一緒で、色々の話で盛り上がっていました。清水先生から現在作成されて、上演を始めようとしている「ダム湖に消えた村」と言う、観念寺の宮本住職から頂いた、紙芝居のBGMを、造って頂けるとの話でした。又、秋には滝畑ダムの磨崖仏の前で、演奏会が出来ればとのお話も頂けました。その時はガイドクラブ員も、何か楽器で応援する様に依頼された。8時からは付近の方も参加されて、賑やかになり、電気が消されると、蛍が数匹飛び始めて、その内の一匹が、宴会場にも飛び込んできて、素晴らしい演出をしてくれれました。サプライズで井上先生の篠笛のCDを、西條さんに聞いて頂いて、当日掛けて頂ければと考えていました。それに応じてサプライズして頂けたので、両先生も直ぐに自分たちの篠笛だと喜んで頂けました。地元の阪谷さんもご夫婦で見学に来られていて、挨拶させて頂きました。あっという間の楽しい時間でした。
Written by マロンさん