みんなの広場

学芸員の投稿
Update: 2014年06月16日
「滝畑から岩湧寺を経由して神納への道」研修
6月10日滝畑班では秋のウォークの「滝畑から岩湧寺経由で神納への道」の研修を行いました。9時に家を出て、滝畑ダム管理事務所前に9時半に集合しました。本日の参加は8名です。元気良く9時50分に出発しました。ダムサイトの東側を夕月橋に向かいました。レイクサイトの花壇にはカルミアの花が、未だ咲いていました。梅の木橋を渡り千本川に沿って、梨の木峠へ向かい、トンネルに入るまでに無患子(むくろじ)の木を探しました。ここに大きな木が1本ありました。無患子は市内に数本しかありません。植えられた理由は、箕の外皮に含まれる、サポニンを洗濯に利用する為や種を羽子板の重しにしたからです。市内には6本ほど残されているそうです。梨の木トンネルは、昭和52年に造られた114mのトンネルです。直線であり出口の明かりで歩けました。横谷との分岐点で、大きな榧の大木があります。林道加賀田滝畑線を使って岩湧寺へ向かいました。1時間後に展望の開けた所で休息しました。ミニ大蛇グラ(大台ケ原の大蛇嵓のミニサイズ)とカエル岩を見ました。付近には葉が白くなったマタタビの木が見られました。葛城28宿の第15経塚を参拝しました。11時50分には岩湧く寺に到着して、多宝塔と本殿を見ました。市の文化財の榧の木は、樹高さ30m、幹の回りが約6mあります。お寺の回りには、9月の初め頃、花を咲かす、秋海棠(しゅうかいどう)の葉が出始めていました。愛用の尺八を背にやって来られている、寺道さんにお会いして、年間150回以上を目標に、四季彩館周辺で、尺八を吹かれているそうで、今日も練習されていました。四季彩館で食事して、12時45分にスタートして、府道加賀田片添線で、三日市へ向かいました。道中では多羅葉の木を4本以上発見しました。その後、神納付近で弘法大師石像をお祀りしている社と、個人の方がお祀りしている、瓦の仏様を見ました。
Written by マロンさん
学芸員の投稿
Update: 2014年06月16日
ダム湖畔で茅葺きアートコンサート
 河内長野市立滝畑ふるさと文化財の森センターで6月8日(日)に茅葺きアートコンサートが開かれました。滝畑ダム湖湖畔へ移築保存した茅葺き屋根の古民家「旧梶谷家」の屋内で第1部は、講演ヴィンセント・ヴァン・ゴッホを語るを大阪芸術大学教授 末延 國康氏、第2部は、アンサンブル・バラノチカラによる演奏が行われました。
 ゴッホは卒業後に画商、教師、宣教師の職につくが失敗する。画商の弟テオから終始経済的援助を受ける。27歳独学で画家を目指す。ミレーの版画の模写で素描や構図を学ぶ。ミレーのような農民画家を目指す。33歳パリで印象派絵画や浮世絵に出会い、色彩に目覚める。特にスーラーの点描画法に感銘。南仏アルルで画家共同体づくりを試みるが、ゴーギャン1人が呼応する。自画像の描画でゴーギャンと論争し耳そぎ事件を起こし仲違いする。以後、精神とてんかんに病んで病院の入退院を繰り返す。精神が穏やかな時は、安定的な直線的な大地を描き後ろに輝く黄色い太陽(ミレーの種まきを題材)、精神的に不安定な時に渦巻きやうねりが出る(カラスの飛んでいる麦畑)。ゴッホは黄色が大好きでエネルギーの源、黄色い太陽や輝く光を生命体の象徴として描く。また働く人の力強さ、生命力を描こうとした。精神を病み、自分を曲げない気骨のすごい人、真面目で勉強家、聖書を愛読し、人に施すことを惜しまなかった素晴らしい人であった。
 第2部のアンサンブル・バラノチカラは2008年から主にロシアン・フォークソングをテーマに、様々なアレンジを加えて活動中。バイオリン・ビオラ、バイオリン、ギター、バス、パーカッションの5人のメンバー構成。コザック、ジャック&ベティ、ボルガ、美しい場所、アリアハンへの花束を、C’zardas、ふるさと、見上げてごらん夜の星を、青い山脈の曲を熱演されました。心地よい湖畔の清風がそよぐ中での素晴らしい演奏に酔いました。
Written by 岩湧太郎
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Update: 2014年06月16日
「烏帽子形城跡の活用」というシンポジウムに参加して
6月7日キックスで「烏帽子形城跡の活用」と言うシンポジウムが行われました。始めに芝田市長の挨拶が行われました。『国の史跡というものを3件持った市です。今年市制60周年を迎えて、教育立市宣言をして、子供たちに郷土の歴史を教えてきました。自然の中で今回の烏帽子形城跡が、学びの場となって欲しいと思います。』と開会のあいさつとされました。教育委員会の太田さんは、今回のシンポジウムの開催趣旨の説明が行われました。
その後、滋賀大学の中居先生からは「戦国山城の整備と活用」について紹介がありました。
『烏帽子形城跡は市の指定となり、中世の城として、委員会を造り調査が行われました。この規模で国の史跡に登録したいとの動きが始まりました。その様な中で、八尾の小谷館長や高等学校の堀内先生が歴史を調べられて、畠山四代の物だと言う事が判ってきました。付近に住宅地が広がる中で、遺構として残されて居て見事に国の指定となりました。烏帽子形城跡は、城として使われたのは、14世紀から16世紀の250年間です。16世紀以降の歴史が、城跡としての歴史です。近代以降の自然が残された、空間を大切にすることが必要で、共生・共存が大切だと思います。野鳥が飛び交う城跡の整備が必要だと思います。展示の方法は、ガイダンスで聞いて、登ってみて、体験して想像すると言う、三つのコンセプトを考えました。そこでは城下の人々と、今生活して居る人との繋がりを大切にしています。烏帽子形城跡は、78年ぶりに国の史跡となりました。後に続く高安城跡・飯森山城跡への史跡指定への見本となるようなものにして欲しいと思います。そして全国的にさまざまな所で、戦国時代の城の整備が続けられて欲しいと思います。』と結ばれました。最後に加藤先生から「静岡県下の城郭の整備」について、先進地域の展示方法について、実際の現場の写真で、詳細の説明が行われました。
Written by マロンさん