みんなの広場

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Update: 2014年07月30日
狭山池博物館の一日(7月20日)
朝から狭山池で音楽が演奏されていたので、堤まで上がって見た。リコーダの組みと、大太鼓の組が、池の傍で練習していました。
博物館は室内展示品の保存の為に、外気温より低めの設定ですが、通常より2度温度が、上げられていたので、室内が少しむっとしていました。連日の猛暑日で、余裕電力が厳しい状態だそうです。
朝一番に、副池近くにお住まいの方が、浜地さんを訪ねて来られて、打ち合わせをされている間に、娘さん夫婦と安藤ファンのお孫さんの、博物館の案内を任されました。九州からの訪問で、建物を中心に回られました。宮本住職が造られた「狭山池の底の石棺」の、紙芝居も見て頂き、途中からお爺さんも合流された。やはり安藤さんの建物は、素晴らしいとの事でした。
午後からは、天王寺から来られたアベックさんからガイドの希望があり、女性の方が熱心に、ガイドを聞かれたので説明した。途中で我々と同じ位の、お母さんが娘さんと来られていて、一緒にガイドを聞きたいと、附いて回られた。重源さんの紙芝居は好評で、良く理解が出来たと話されました。終わってから昆虫展を紹介したが、昆虫はパスだと言われました。
その後、大阪からの安藤ファンの男性が、アベックで来られて、滝が見たいとの要求で、途中で見物して頂く予定で、ガイドを始めました。安藤ファンであり、特別階段で最上階まで上がり、見学して貰い喜ばれました。
堤体を説明して移動を始めた時に、滝が出だしたので非常口を使って、見学して貰いました。素晴らしいとの感想で、写真を写したりして、楽しんで貰いました。紙芝居のクライマックスの落ちの所では、拍手をして頂けました。安藤建築は、見に来て良かったと、言って頂けました。皆さんにはブログに投稿する事で、了解は頂きました。
Written by マロンさん
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Update: 2014年07月29日
つたえたい!平和といのちの大切さ「愛・いのち・平和展」開かれる
 河内長野市立市民交流センター(キックス)で7月25日(金)・26日(土)に本市人権協会と本市役所共催、本市教育委員会後援で「愛・いのち・平和展」が開かれた。
 全館を使って展示や手づくり・体験コーナーで楽しみながら平和やいのちの大切さを学ぶ工夫がされており、主なものを紹介します。
 1階エントランスホールにある案内=写真上=で、会場案内とスタンプラリーの受付を済まして各会場を回ります。スタンプラリーをしながら各会場を隈無く回れるよう工夫されている。この階は、日本現代美術協会の北東部誠二氏と原野百合子氏のテーマイメージ絵画と市内各小中学校生徒が描いた人権ポスターを展示している。また図書館内で軍服や鉄帽などの戦時品や関連図書を陳列している。
 3階には、協会や市民が保管している戦時品の展示=写真下=、折り鶴やメッセージボード、クイズなどのコーナー。舞鶴引揚記念館特別展のパネル展示で岸壁の母のモデル「端野せい」さんの紹介やシベリア抑留と復員、引揚に関する新聞資料展示、昭和22~25年の小中学生新聞の展示、「人権の物語」DVD上映、世界人権宣言「子供版」展示。絵手紙を描く体験やコマ回しなどの昔の遊び体験、うちわやお手玉・くす玉、布ぞうりなどを作る体験、バルーンアートを体験するなどの子どもから大人まで一緒に楽しめます。
 4階は、戦中戦後食生活の無料体験で「サツマイモとはったい粉をトッピングした茶がゆ」を食べて、食糧不足の時の貧しい食生活を思い出した。イベントホ-ルでは日替わりメニューで、25日は本市在住の荒木正則氏の「シベリア強制抑留体験語り部“つたえたい!平和といのちの大切さ”」の講演、26日は感動の映画鑑賞で「リトルマエストラ」や「グッモーエビアン」の上映があった。
展示や体験、講演を通じて学び、平和やいのちの大切さを感じながら大人も子どもも楽しい一日を過ごしていました。
Written by 岩湧太郎
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Update: 2014年07月29日
舞台稽古がはじまる創作ミュージカル「高向玄理」
 1954年に近隣の1町5村が合併し河内長野市が誕生して本年で60年を迎え、記念事業「河内長野ルネッサンス60」として4月の記念式典を皮切りにいろいろな行事が順次展開されています。その一環として8月10日(日)に、本市立文化会館で上演されるミュージカル「高向玄理~☆KUROMARO☆物語~」の舞台稽古がはじまり大詰めを迎えています。これまで部分部分に分かれて稽古してきたものが、一同が揃って物語のはじめから稽古をする、通し稽古が実際の舞台上で行われて、舞台上での立ち位置や動きを確認する段階を迎えています。玄理役の俳優・山本拓平さんらのプロの役者のほか、本市ミュージカルスクールに通う生徒や一般の市民が出演し、約100人で練習を重ねています。
 玄理は今の本市高向を本拠地にしていた渡来系の氏族・高向氏の一族とされ、厩戸皇子が遣隋使の小野妹子らに従って随に留学させた学徒です。法律や政治制度などを学び、32年後に帰国し学者として大化の改新で国づくりに関わるなどで活躍した。
 ミュージカルでは、留学生に選ばれ村に帰った玄理が祝福を受け=写真=、やがて幼なじみの女性との別れを惜しみつつ、一族の期待を背に受けて旅立つシーン、随での研鑽の日々や帰国後、大化の改新で国づくりへ情熱を燃やす日々などが1時間40分で描かれている。
 原作は芝田 啓治(河内長野市長)、脚本は谷原 憲一、音楽はタケカワ ユキヒコ、演出は西村 文晴、総合演出は川上 勝、総合振付は河野 智登美、合唱指導は東野 亜弥子、振付はTEN、プロデューサーは中川 やす代の各氏です。
Written by 岩湧太郎
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Update: 2014年07月29日
長野中学校区青少年健全育成会 滝畑の見学
7月19日朝8時半に烏帽子形公園で集合して、滝畑へ向かいました。滝畑は25度で曇り空です。滝畑ダム管理事務所前で、打ち合わせとガイドの準備を行いました。ガイド倶楽部からは、渡邊拠点長以下松本・津野・三木・藤田・速水・栗原で、磨崖仏下のガイドと、紙芝居の担当に別れました。
ダム管理事務所からは、福永さんと定延さんが、本日の堤体内の案内をされます。定延さんはチョウチョの収集家です。又、ダムの貯水量が、2年ぶりの空梅雨で62%となった事を聞きました。又、ダムが出来たから32年が経っています。
9時から活動開始して、階段を堤体の下まで降りて、二組に分かれて対応しました。私たちは松本・藤田・栗原で磨崖仏と滝畑の紹介をすることになり、藤田さんが前半で、滝畑の様子の紹介し、私が、先日の長崎での原爆慰霊会の様子を紹介しました。最後に松本さんがクイズを準備されていました。
長野中学校青少年育英会では、父兄を始め、若い青年男女が応援されていて、活動的なグループでした。15人/1組として8班の編成でした。中には元会社の同僚や、長野中学校の卒業生の大学生も参加されていて、私の話に即答してくれました。その中の一人の大学生は、4年前に長崎の平和公園で鎮魂歌を歌ったそうで、今回の話を懐かしそうに話してくれました。長野中学校では相当前から続けられている行為のようでした。地上からの見学は、普通は見られないので、初めての人が多く興味を示して頂けました。
同行されていたボランティアの中に「金剛コミュニティー」の記者の方がおられて、滝畑のPRをお願いして、今後の滝畑の素晴らしさの取材をお願いしました。
本日参加の小学生4年~6年の生徒が90名で、引率が30名の大所帯で、自家用車やバス2台で来られて、本日は滝畑の青少年育成会館で宿泊されると、11時前に出発されました。
Written by マロンさん
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Update: 2014年07月28日
小倉屋山本の昆布物語
大阪自由大学の「大阪精神の系譜」の「小倉屋山本の昆布物語」として、第四代社長の山本博史さんによる講演会が、映像と講演とで行われました。
『日本沿岸における昆布の分布をみると、太平洋側を流れる寒流と、日本海側の暖流が、函館の立待岬で出合います。津軽海峡に二つの大海流が流れていて昆布の生産地です。太平洋と日本海の境界線の分岐点が、最大の昆布の生産地で、昆布が知っています。その西側には育っていません。北海道付近だけです。』その後、地区別で昆布の紹介がされました。
『古くは「ゑびすめ」と呼ばれ、北海道と東北の一部で収穫されていました。今、映像で昆布漁の雰囲気を見て貰いました。南茅部町が昆布の生産地です。ここで取れるのが、「真昆布」と呼ばれる物です。
昆布の旨味は5基本味の一つです。1908年池田菊苗教授によって、初めてグルタミン酸(アミノ酸の一種)が、昆布から抽出され、イノシン酸、グアニル酸などの、旨味物質も次々と発見された。
昆布は1年物と2年物が混ざって生えています。1年目の水昆布は、水中眼鏡で確認して、2年物をマッカで巻き取っています。その為に海がクリヤーで、波の無い日に作業が行われます。
昆布を採ったら、直ぐに天日に干さなければならないので、天気の良い日にしか作業が出来ません。
マッカの棹を使う事が出来るのは、組合員だけです。
その為にアルバイトや家族でも出来ません。生産量が上がらないので、後継者が育っていません。』最後に『商いの心を忘れずに、「昆布の真正」を届ける。父が話してくれれた事です。嘉永元年に創業し、「暖簾」を後世に受け継ぐ為に、説いた言葉です。「商いの心」を忘れず、素材へのこだわり、培われてきた製造技法、おもてなしの心遣いで全てに「真正」を貫く想いから生まれた。昆布の真正を求めて、努力するので、ご愛顧して頂ければ、在り難いと思います。』と結ばれました。
Written by マロンさん
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Update: 2014年07月28日
笑いグスリ処方します
7月16日老寿サナトリューム理事長の北畑先生の「笑いの医学的効用」が行われました。
『各地で講演会に呼ばれて、講演して落語でもしてみようと、林家染丸師匠と出会って、阿倍野の演芸場へ通って、何とか弟子にして貰う為に、美々卯に誘って、弟子入りをお願いしましたが、お前の様な者を弟子にしたら「困る・困る」と言われて、勝手に「あやしやこまる」としました。日本では笑うとあほだと思われます。
「出る杭は、打たれる。出ない杭は、踏みつけられる。出すぎた杭は、打たれない。」と言います。
命が一番、ニコニコ二番の気持ちで考えて下さい。子ども達を見る時、10の内の2は花○で、6はノーカウント、残りの2は×としている。
しかし、本当はノーカウントの6も○なんです。健康で笑顔でいるなら、病気やけがをしたら気が付くのですが、元気に挨拶する子なら、誉めてあげてください。お手伝いでもしてくれたなら、感謝のありがとうを、言ってあげましょう。
ローマ時代のセネガの言葉に『高い年齢に達した老人が、長い間生きてきたことを、証明する証拠として、年の功以外には、何も持っていない例がよくある。』と笑の研究は進んでいません。計量しにくい事と、金がかからないと言う事です。
しかし最近は日本笑い学会での研究が進み始めています。
海には波が在り、一分間に18回打っていて、それが息の回数と同じです。天上界の神様がそれを見ていて、18の倍数の36が体温です。更にその倍の72が脈拍で、その倍が144で血圧です。更にその倍が288日で妊娠の期間です。
皆さんも余裕が出てきたら、自分で何とか①口、②手、③知識を出して、顔と顔を合わせて、人と交わって下さい。
高齢者社会が元気に成る様に、少しは阿保となって、遊び心が必要です。是非バカみたいな事をする必要を感じて下さい。』と結ばれました。
Written by マロンさん
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Update: 2014年07月28日
狭山池博物館の一日(7月15日)
博物館の受付前には、館長先生の手作りの、小さなうちわと紙風船のオブジェが飾られています。昼の食事前に、枚方から同年輩の男性が来られた。奈良の大学で卒業論文の「行基と伊丹の昆陽池(こやいけ)と水路」についてを纏めるのに、狭山池博物館に調査と資料収集に来られた。博物館をガイドして、見て貰って色々話をした。行基さんのファンが多く時々その様な調査に来られる。
午後は韓国からの若い学生さんが8名ほど来られて、写真を熱心に写しておられて、閉館前まで見学された。
大阪からは若い学生さんが一人で来られて、ガイドを申し入れたら、初めての訪問の様でした。インターネットで溜池を検索していたら、狭山池がヒットして訪ねられたそうだ。紙芝居には良く反応して頂けて、「面白く良く理解が出来た」と言って頂けた。その後、重源和尚の像の前に、狭山東小学校の3人組がいたので、紙芝居の上演を話したら、見たいといってくれて実演した。熱心に聞いてくれて、力が入った。終了した時に「有難うございました」とにっこりしてくれました。
3時15分に予約の、久留米商工会の皆さん14名が、バスで到着された。今村さんと二人でガイドすることに成りました。予約の段階で、安藤建築を中心に見学の希望が在り、添乗員さんと確認して、館内の見学を4時までとして、滝の見物と、館外の見物を15分行う事で了解された。農業家の方もおられて、樋や水路などを良くご存じで、いろいろ質問が在り、楽しく案内が出来ました。中には農業関係の仕事に従事されている方もおられ、樋の開閉を、現在も行っておられた。和気藹々のガイドが出きました。
館内のガイドを時間通り行い、滝の流れを見て頂き、博物館の入り口で、記念撮影を行い、狭山池の堤防の上を歩いて、展示物の確認を行い、付近の風景を見て頂き、バスで天王寺の宿泊場所へ向かわれました。
Written by マロンさん
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Update: 2014年07月28日
スキルアップ講座「博物館の歴史から見える事」
7月12日府立狭山池博物館のスキルアップ講座として、学芸員の小山田宏一先生による第一話「博物館の歴史から見える事」が行われました。
『狭山池博物館は、今ではボランティアの皆さんと運営していますが、その中で考えて欲しい事は、博物館に勤務している者としてでは無く、一個人として情報の提供をしたい。博物館の歴史を考える時は、物事が起きた時系列に並べて考えます。一枚の年表に纏めました。
一期は、明治初めから戦前まで、二期は戦後から2007年の国立博物館独立行政法人化まで、三期は財政難から入館者減の2008年の博物館法改正まで、四期は2009年の新しい協働と言う事で、狭山池博物館の場合は、狭山池三者協働の動きです。
日本の場合は、一期の始まりを明治から現在までとしました。様々なパラダイムを造る事が大切だと考えます。歴史は過去の歴史を繰り返す為に、パラダイムを造って来ました。日本での博物館の初めは、明治4年開催の大学南校物産展示です。
第二期は戦後の話です。新しい国を作る為に、博物館の利用を考えました。狭山池博物館は2001年に出来ました。
博物館数の推移をみると、昭和62年度と比べて、平成20年度では、博物館数は約2.5倍に増加しています。国立博物館の独立行政法人化が行われました。
三期は財政難で淘汰が始まり、博物館法の改正で、指定管理者の制度が導入されました。
現実としては、出来る事から始めて、府民がこうしろと言うのではなく、理解の一元としたいと思います。役所が決めるものでは無く、市民目線で生まれたもので、実践を通じて、ぜい肉を落としていく事が必要だ。その様な意識が4年~5年間無かったので、やっと気付きました。
その中で多い単語が「市民」である。ブランチを実現させる時に、行政と市民が参加する、市民学芸員の繋がりが発生して来ます。もう一度皆さんに、考えて貰う為に話しました。
Written by マロンさん
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Update: 2014年07月23日
高向神社夏祭りでミュージカル“高向玄理”の公演祈願
 河内長野市の高向にある高向神社では、毎年7月15日に夏祭り(夏宮)が行われます。氏子総代20人ほどが社殿にお詣りし、夏越しの健康を祈願します。神事は社殿に御供えをし、神職から一同揃ってお祓いを受け=写真上=、祝詞を奏上した後、玉串をささげて暑い夏を無事に過ごせるように健康を祈願されます。この夏祭りに、市の市制施行60周年に合わせて企画した、飛鳥時代に随(中国)に渡った地元ゆかりの学者・高向玄理を主人公にした創作ミュージカルを8月10日(日)に本市のラブリーホールで上演するのを祈願するために、実行委員会事務局長の中川さんが参拝された=写真下=。
 玄理は現在の、高向神社周辺地域を本拠地とした渡来系の氏族・高向氏の一族とされ、聖徳太子から小野妹子ら(遣隋使)に従って隋に派遣された学徒。30数年間、法律や政治制度などを学び、帰国後は国博士として大化の改新で国づくりに活躍するなどした。
 ミュージカル「高向玄理~☆KUROMARO☆物語~」は、随での研鑽や帰国後の大化の改新で国づくりに情熱を燃やす日々などを上演される。玄理役の俳優・山本拓平さんらのプロの役者と本市のミュージカルスクールに通う生徒や一般の市民が出演し約100人で練習を重ねています。
Written by 岩湧太郎
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Update: 2014年07月23日
枚岡神社の笑いの神事
7月9日 枚岡神社の宮司の中東弘さんによる「笑いの神事」の講演と実演が行われました。
『皆さんお早うございます。この様な素晴らしい会場に、呼んで頂き有難うございます。河内長野市は山に囲まれて、自然が一杯の所で羨ましい限りです。
枚岡神社は、標高100mの高台に在り、西側には梅田から・難波・天王寺のハルカスのビルが見えます。日本の文化は、神話になって繋がっています。その為に神話の勉強が必要ですが、今の教育はされていないのが現実です。
英国のアーノルドトインビーは「自分の国の民話を、12歳までに習わなければ、その国は滅んでしまう」と言っています。我が国では、60数年教育されていません。
枚岡神社では12月25日に「笑いの神事」を行い、北海道から九州までの、1千名の方が来られて、20分間腹の底から笑いあって、連鎖反応で、楽しい時間を過ごされています。
冬の寒い日ですが、体が温かくなり、笑いが科学的にも、良いと言われ始めました。
神棚・仏壇を家にお持ちの方を聞き、河内長野の方のその多さに吃驚しました。
神棚・仏壇に手を合わせて下さい。言葉やしぐさを、子供たちが真似をします。その姿を見せないと、立ち振る舞いが出来ないと思います。そこには「三つ子の魂百まで」と言う格言が、伝わらないと思います。生命というものは、自然条件の中で、遺伝子は自分で病を、克服する様に出来ています。
若い人にはその様な方法で、健康を守って欲しいと思います。
熱中症というものは、水分の関係で、筋肉が弱って行きます。水が貯えられなくなり、熱中症となるのです。「貯筋」を絶えず努力して行かなければなりません。日本民族の精神的構造の中に「いのちの継承」と言う事があります。「先祖代々」という言葉で表現できると思うのです。つまり親から子へと子孫を残し、神々をご先祖として頂く、永遠の生命を引き継いで行く事だと思います。』
Written by マロンさん