みんなの広場

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Update: 2013年12月12日
高向神社の湯立神事
 河内長野市の高向にある高向神社では毎年12月10日に新嘗祭と併せて湯立神事が斎行されます。本殿にて新嘗祭を終えたのち湯立神事が始まります。神社の境内に、四方に斎竹を立て注連縄が張られた斎場に湯釜を据え、火を焚いて湯を沸かし、神職が祓い清めたあと湯釜の縁にお餅が供えられます。そして湯だった忌釜へ御米(みけ)・御酒(みき)・塩を注ぎます。その後、笹葉の束を両手に持って煮えたぎった湯に浸しかきまぜ、家内安全と無病息災の祈願をこめ、神前へ笹葉束に浸した熱湯を両手で左前方方向へふりまくようにかけられます。さらに前方右方向へ、再び左前方方向へふりまくようにかけられます。お湯かけの際、総代の名前を順次読みあげ、神職が熱湯をふりまきます。幾度となくそれが繰り返されます。神事の後で忌釜の忌湯を飲むと1年間が無病息災(当神社では、胃腸に効く)、忌餅を食べると歯痛に効用があるといわれ、神事後にお湯やお餅がふるまわれます。当神社では湯立神事を献湯祭とも言われます。
 柳田・民俗学によると“神意”によらねば決し難い大事が起こった場合に古くから行われた、ト占の一種であります。祭の境内に大釜を据え、火を焚き湯を沸かして笹の枝で資本の人々の頭上に熱湯を振りそそぐので、一種の湯による浄祓とも名づくべきものであります。 以前はこの方法の繰り返しによって巫祝が自らに、または傍の1人に神を憑らしめ、人間の言葉を通じて神の答えを得ようとしました。このように古代の探湯(くがたち)とも関連があり、占い、誓約(うけい)として行われていましたが、今日では湯による浄祓いと無病息災を祈る神事となっています。神事の忌釜の忌湯を飲むと無病息災の効があるとかで、飲む人が多いようです。
Written by 岩湧太郎
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Update: 2013年12月12日
きらめく光りのアート・河内長野のイルミネーションPart.3
 南海高野線「河内長野駅」から西へ徒歩で7~8分の所に河内長野市立文化会館(ラブリーホール)があります。当館の前のスペースで毎年12月になると午後5時~10時にウインターイルミネーションと称して鮮やかなイルミネーションが点灯されます。1月19日まで開催され、期間中の1月15日~17日の午後6時30分~8時30分にイルミネーションカフェがあり、ハンドベルやマリンバなどの生演奏が行われる予定です(お問合わせ:同館・電話0721(56)6100)。光りのアートを楽しむ市民は、当館のイルミネーションを見て、寺ヶ池公園へと向かうコースを巡ります。当館のイルミネーションは、寺ヶ池公園のイルミネーションとともに、本市の年末の風物詩として定着し、多くの市民に親しまれ楽しまれています。
Written by 岩湧太郎
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Update: 2013年12月12日
きらめく光りのアート・河内長野のイルミネーションPart.2
 河内長野のイルミネーションPart.1でご紹介した寺ヶ池公園の近くにある民家では、毎年12月になると垣根や庭いっぱいに鮮やかなイルミネーションが点灯され、辺り一帯が鮮やかな光りで彩られます。当家は寺ヶ池公園に近接しているため、同公園のイルミネーションを見にくる市民に、二重の楽しみを提供されています。公園とは異なった趣向を凝らし趣味の域を超えた立派なもので、市民の心に明るさ、潤い、癒やしを与えています。当家のイルミネーションは、寺ヶ池公園のイルミネーションとともに、本市の年末の風物詩として定着し、多くの市民に親しまれ楽しまれています。
Written by 岩湧太郎
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Update: 2013年12月12日
辻本和子さんの個展から
8日、吉波さんの「第3回絵本で遊ぼう」というイベントが、河内長野市の「にがいわいプラザ」で行われました。にぎわいプラザの一角に辻本和子さんが展示会をされていました。彼女は高野山が好きな画家で、何度も訪れて、たくさん、高野山を描かれているそうです。
河内長野に住んでいましたが、今は中百舌鳥に住んでおられます。
最近では高野街道に興味があるようです。
絵本作家として、「カワセミのミー君」をつくっておられます。カワセミは、雄が献身的に働く鳥で、求愛のときは、雄が魚を頭から食べやすいよう(うろこが刺さらないよう)に口移しで、雌に食べさせて、食べてくれたらつがいとなります。巣づくりから雄が働き、卵を産むとまた、餌をとって帰って、食べさせるそうです。その細やかな活動を絵本にされたそうです。
また、3年間の交際ののち、今年7月に花の文化園で、結婚式を挙げられたそうです。吉波さんも参加されて、バラ園でのすばらしい結婚式だったそうです。そのときの様子を描いた絵本「おさむとかずこの物語」をつくられて、婚約から結婚式までの絵本として、会場で展示されていました。
「第3回絵本で遊ぼう」の講演会の最後に、吉波さんが朗読してくれました。カワセミにも劣らない夫婦愛でした。かずこさんからは、お手製のケーキが届けられて、コーヒータイムでいただきました。愛の詰まった幸せいっぱいのケーキでした。
Written by マロンさん
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Update: 2013年12月10日
烏帽子形神社の湯立神事
 河内長野市の喜多町にある烏帽子形神社では、12月の第2日曜日に冬祭が催行される神事の一環として湯立神事が行われます。湯立神事は、社殿前に5つの地域の総代と氏子、参拝者が参列した中で催行されます。宮司によって四方や参拝者へのお祓いが行われた後、神前で祝詞が奏上されます。社殿前の境内では、四方に斎竹を立て注連縄が張られた斎場に、清水を一杯に満たした湯立釜を据え、薪を焚いて沸騰させてあります。その湯釜の周りの四方へ塩を撒いて清めます。そして熱湯の中に、御米・御酒が注がれ、笹束でかき混ぜた後に湯釜からお湯をくみ取り 、宮司によってお湯を神前に供えられます。その後、宮司が祓い清め無病息災・健康成就の祈願をこめ、煮えたぎった湯に笹の枝葉を浸し、自分の身や参詣者に注ぎ掛けられます。神事は、5つの地域ごとにまとまって順番に、宮司の後方に横一列にならんで、振りかけたお湯を浴びます。宮司はにたぎった熱湯に笹の枝葉の束を浸し、右手の笹束を左後方に、左手は右後方に振りかけます。このお湯かけは5地域の氏子たちや参拝者へ繰り返し行われます。
柳田・民俗学によると“神意によらねば決し難い大事が起こった場合、 古くからなされたト占の一種である。祭の境内に大釜を据え、 火を焚き湯を沸かして笹の枝で資本の人々の頭上に振りそそぐので、 一種の湯による浄祓とも名づくべきものである。 以前はこの方法の繰り返しによって巫祝が自らに、または傍の1人に神を憑らしめ、 人間の言葉を通じて神の答えを得ようとした。”
このように古代の探湯(くがたち)とも関連があり、占い、誓約(うけい)として行われていましたが、今日では湯による浄祓いと無病息災を祈る神事となっています。
Written by 岩湧太郎
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Update: 2013年12月10日
きらめく光りのアート・河内長野のイルミネーションPart.1
 南海高野線「河内長野駅」から西方へ20分ほどの所にある寺ヶ池公園では、メインエリアを中心にイルミネーションを点灯しています。自然の中で光る美しい風景を醸し出しています。今年で7回目を迎え、本市の年末の風物詩として定着してきました。今年も6万4千球のLED光で師走の夜を鮮やかに彩りしています。
 毎晩大勢の市民が楽しんでいますが、週末ともなると一層にぎやかになり大勢の人が繰り出します。
この点灯は12月1日~25日・午後5時~9時に行われています。しかし、18日はライトダウン実施のためイルミネーションは点灯しません。
Written by 岩湧太郎
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Update: 2013年12月10日
日系企業で働くインドネシア人労働者
6日、先週から引き続いて、桃山学院大学の小池先生による「インドネシアの日系企業で働くインドネシア人労働者」の講座が行われました。
「前回は、今盛んにインドネシアに進出する消費(コンビニ)・流通企業についてお話ししました。本日は「日系企業で働くインドネシア人労働者」を話しますが、このテーマについて調査したのは、2007~2009年です。首都から1時間半で行けるカラワン工業団地へ日系企業が集まっています。車道は四車線つくられていますが、外側の一車線はトラックなどのレーンで大渋滞です。ジャカルタでは交通渋滞の問題が起きています。
中企業のA社の総務部長と小企業のB社の社長から聞き取りを行いました。
従業員には、働いてお金が貯まると、大学に行って独立する風潮があります。A社は部品の少ない大量生産の中堅の会社です。B社は多品種小規模の会社です。
正社員への登用は、A社が60%に対して、B社は2~3%です。
生活環境の面で調査した結果、住宅は振興住宅地ができて、会社の中堅幹部が戸建住宅を購入しています。
日本人はジャカルタのホテルで暮らし、通勤しています。工場の作業者の大半は、新しくつくられたコスと言われる下宿に住んでいます。
消費財の所有状況では、家にカラーテレビを76%が所有していました。携帯電話は必需品で、95.2%の所有です。冷蔵庫・洗濯機は普及していません。しかしバイクは、53.6%で、交通手段として売れています。
雇用形態と勤続年数については、雇用形態は125名のうち、1~2年未満が、17.7%、2~3年未満が12.9%と大半を占めますが、5~10年未満の人も18.5%いました。
平均月給は、基本給1万2千円で、最近は最低賃金が2万円と言われています。労働者のうち、将来自営業を希望する人が28%占めていることが、インドネシアの特徴です。」
Written by マロンさん
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Update: 2013年12月10日
吉波さんの第3回絵本で遊ぼう(にぎわいプラザ)
8日、吉波さんの「第3回絵本で遊ぼう」というイベントが「にぎわいプラザ」で行われました。
「本日はお忙しい中、ご参加ありがとうございます。大好きな高野街道の観光ボランティアをされている皆さんの活躍に感謝します。」
その後、二胡の演奏者の紹介がありました。「世界的な二胡演奏者の賈鵬芳(ヤーバンフファン)さんの指導で、「サマンサ」というクラブです。ひと時を音楽で、魔法をかけたいと思います。本日、ピアノ伴奏の方や絵本作家の辻本和子さんなど、色んな方の協力で運営ができたことを感謝します。」
二胡の演奏は「見上げてごらん 夜の星を」と「世界に一つだけの花」。その後、ピアノと共演で、「蘇州夜曲」と「虹の彼方に」でした。
「高野街道と私」では、「私が高野街道を知ったのが、高校1年生で、比叡山に最澄の勉強で訪れたときでした。最澄は天台密教を勉強して、1年で帰国されました。その後、2年で空海も帰国して、2人の間に争いが起きました。
最澄の「一隅を照らす、此れ即ち国宝なり」という一文を心に止めていたので、空海の言われることが分かりませんでした。
真言密教を勉強する中で、能を見て回り、観心寺で薪能に出会い、羽衣・紅葉狩りなどの演目で、胸のつかえが取れました。
世阿弥の禅に裏打ちされた「風姿花伝」に入っていると感じました。
平成元年から当地に住んで、20年間、認可保育園に関わって、子どもたちに「すばらしい故郷」を伝えてきました。出会いの大切さを教えるために「ご挨拶」という絵本を書きました」と話された後、「おさむとかずこの物語」の朗読が行われました。
「今後は、年に2回ぐらい、このような交流会を行いたいので、皆さんの参加をお待ちしています」
「きよしこの夜」と「喜びの歌」、最後に皆さんで手を繋いで「ふるさと」を合唱してお開きとなりました。
「ぜひ、喜びを持って帰ってください」と結ばれました。
Written by マロンさん
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Update: 2013年12月09日
50周年を迎えた早川点訳グループ
東住吉区南田辺にある大阪市立早川福祉会館は、シャープ株式会社の創始者でシャープペンシルの発明者でもある早川徳治氏の寄付をもとに昭和37年に開館しました。
早川徳治氏は、苦難の時代に障がい者に励まされ今日の有ることに感謝し、恩返しをしたいと障がい者のために寄付されたそうです。
3階の点字図書室蔵書(点訳図書・音訳図書)はすべてボランティアによって作成されたもので、それら点訳図書・音訳図書のほとんどがサピエ図書館(何処からでもデータをインターネット検索し取り寄せられる)にも登録され、全国の視覚障がい者に利用されています。
現在は点訳2と音訳2のグループで約400名のボランティアが活動しており、そのうちの「早川点訳グループ」は今年11月に50周年を迎えました。
従来の書籍点訳は、点字器と呼ばれる道具を用いて、点筆にて1字ずつ(縦3点、横2点、合計6点でカナ1字を表す)直接点字用紙に凹型を付けて書いていきました。書き間違うと多くの場合は消すことが出来ず、新しい用紙に初めから書き直すという気の遠くなる様な作業でした。現在は、パソコンを使って点訳・校正・修正してから点字プリンターにかけ、図書に仕上げるので点字器を使っていた時代の何十分の一何百分の一の労力になりました。それでも1冊の本を完全に点訳するには、点訳者・校正者を含めて多くの人手と莫大な時間が必要となります。点字は六つの点だけで表すので、おのずと文字数は限られています。しかしその文字で数学や英語、そして工夫により時刻表や家計簿なども表現できる素晴らしいものです。
早川福祉会館の建物の正面には、「早川」の「早」の字がデザインされています。
Written by ユーミン
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Update: 2013年12月09日
御堂筋と銀杏並木の美しさ
大阪の代表的な道路である「御堂筋」。
12月に入った今、銀杏の黄葉がピークとなっています。

昭和12年に完成したこの道路は、都心部の過密状態を緩和し、高速鉄道と街路網を整備し、人口の分散を図るとともに、良好な都市環境を形成することを目的としたものであったとされています。建設当時は「飛行場」を作るのかと言われたくらい珍しい広い道路だったのです。

今でも大阪市内のみならず十分な存在感がありますが、銀杏の木が梅田付近から難波まで車道や歩道に植えられていて、新緑の頃と黄葉の時は特に美しい都市景観を感じます。

既に御堂筋のイルミネーションも点灯が開始されていて、今なら黄葉とともに2度楽しめます。是非訪れてみてはいかがでしょうか。

写真は心斎橋の大丸前です。(12/7土曜日撮影。)
Written by はんたろう