みんなの広場

学芸員の投稿
Update: 2013年12月10日
烏帽子形神社の湯立神事
 河内長野市の喜多町にある烏帽子形神社では、12月の第2日曜日に冬祭が催行される神事の一環として湯立神事が行われます。湯立神事は、社殿前に5つの地域の総代と氏子、参拝者が参列した中で催行されます。宮司によって四方や参拝者へのお祓いが行われた後、神前で祝詞が奏上されます。社殿前の境内では、四方に斎竹を立て注連縄が張られた斎場に、清水を一杯に満たした湯立釜を据え、薪を焚いて沸騰させてあります。その湯釜の周りの四方へ塩を撒いて清めます。そして熱湯の中に、御米・御酒が注がれ、笹束でかき混ぜた後に湯釜からお湯をくみ取り 、宮司によってお湯を神前に供えられます。その後、宮司が祓い清め無病息災・健康成就の祈願をこめ、煮えたぎった湯に笹の枝葉を浸し、自分の身や参詣者に注ぎ掛けられます。神事は、5つの地域ごとにまとまって順番に、宮司の後方に横一列にならんで、振りかけたお湯を浴びます。宮司はにたぎった熱湯に笹の枝葉の束を浸し、右手の笹束を左後方に、左手は右後方に振りかけます。このお湯かけは5地域の氏子たちや参拝者へ繰り返し行われます。
柳田・民俗学によると“神意によらねば決し難い大事が起こった場合、 古くからなされたト占の一種である。祭の境内に大釜を据え、 火を焚き湯を沸かして笹の枝で資本の人々の頭上に振りそそぐので、 一種の湯による浄祓とも名づくべきものである。 以前はこの方法の繰り返しによって巫祝が自らに、または傍の1人に神を憑らしめ、 人間の言葉を通じて神の答えを得ようとした。”
このように古代の探湯(くがたち)とも関連があり、占い、誓約(うけい)として行われていましたが、今日では湯による浄祓いと無病息災を祈る神事となっています。
Written by 岩湧太郎
学芸員の投稿
Update: 2013年12月10日
きらめく光りのアート・河内長野のイルミネーションPart.1
 南海高野線「河内長野駅」から西方へ20分ほどの所にある寺ヶ池公園では、メインエリアを中心にイルミネーションを点灯しています。自然の中で光る美しい風景を醸し出しています。今年で7回目を迎え、本市の年末の風物詩として定着してきました。今年も6万4千球のLED光で師走の夜を鮮やかに彩りしています。
 毎晩大勢の市民が楽しんでいますが、週末ともなると一層にぎやかになり大勢の人が繰り出します。
この点灯は12月1日~25日・午後5時~9時に行われています。しかし、18日はライトダウン実施のためイルミネーションは点灯しません。
Written by 岩湧太郎
学芸員の投稿
Update: 2013年12月10日
日系企業で働くインドネシア人労働者
6日、先週から引き続いて、桃山学院大学の小池先生による「インドネシアの日系企業で働くインドネシア人労働者」の講座が行われました。
「前回は、今盛んにインドネシアに進出する消費(コンビニ)・流通企業についてお話ししました。本日は「日系企業で働くインドネシア人労働者」を話しますが、このテーマについて調査したのは、2007~2009年です。首都から1時間半で行けるカラワン工業団地へ日系企業が集まっています。車道は四車線つくられていますが、外側の一車線はトラックなどのレーンで大渋滞です。ジャカルタでは交通渋滞の問題が起きています。
中企業のA社の総務部長と小企業のB社の社長から聞き取りを行いました。
従業員には、働いてお金が貯まると、大学に行って独立する風潮があります。A社は部品の少ない大量生産の中堅の会社です。B社は多品種小規模の会社です。
正社員への登用は、A社が60%に対して、B社は2~3%です。
生活環境の面で調査した結果、住宅は振興住宅地ができて、会社の中堅幹部が戸建住宅を購入しています。
日本人はジャカルタのホテルで暮らし、通勤しています。工場の作業者の大半は、新しくつくられたコスと言われる下宿に住んでいます。
消費財の所有状況では、家にカラーテレビを76%が所有していました。携帯電話は必需品で、95.2%の所有です。冷蔵庫・洗濯機は普及していません。しかしバイクは、53.6%で、交通手段として売れています。
雇用形態と勤続年数については、雇用形態は125名のうち、1~2年未満が、17.7%、2~3年未満が12.9%と大半を占めますが、5~10年未満の人も18.5%いました。
平均月給は、基本給1万2千円で、最近は最低賃金が2万円と言われています。労働者のうち、将来自営業を希望する人が28%占めていることが、インドネシアの特徴です。」
Written by マロンさん
学芸員の投稿
Update: 2013年12月10日
吉波さんの第3回絵本で遊ぼう(にぎわいプラザ)
8日、吉波さんの「第3回絵本で遊ぼう」というイベントが「にぎわいプラザ」で行われました。
「本日はお忙しい中、ご参加ありがとうございます。大好きな高野街道の観光ボランティアをされている皆さんの活躍に感謝します。」
その後、二胡の演奏者の紹介がありました。「世界的な二胡演奏者の賈鵬芳(ヤーバンフファン)さんの指導で、「サマンサ」というクラブです。ひと時を音楽で、魔法をかけたいと思います。本日、ピアノ伴奏の方や絵本作家の辻本和子さんなど、色んな方の協力で運営ができたことを感謝します。」
二胡の演奏は「見上げてごらん 夜の星を」と「世界に一つだけの花」。その後、ピアノと共演で、「蘇州夜曲」と「虹の彼方に」でした。
「高野街道と私」では、「私が高野街道を知ったのが、高校1年生で、比叡山に最澄の勉強で訪れたときでした。最澄は天台密教を勉強して、1年で帰国されました。その後、2年で空海も帰国して、2人の間に争いが起きました。
最澄の「一隅を照らす、此れ即ち国宝なり」という一文を心に止めていたので、空海の言われることが分かりませんでした。
真言密教を勉強する中で、能を見て回り、観心寺で薪能に出会い、羽衣・紅葉狩りなどの演目で、胸のつかえが取れました。
世阿弥の禅に裏打ちされた「風姿花伝」に入っていると感じました。
平成元年から当地に住んで、20年間、認可保育園に関わって、子どもたちに「すばらしい故郷」を伝えてきました。出会いの大切さを教えるために「ご挨拶」という絵本を書きました」と話された後、「おさむとかずこの物語」の朗読が行われました。
「今後は、年に2回ぐらい、このような交流会を行いたいので、皆さんの参加をお待ちしています」
「きよしこの夜」と「喜びの歌」、最後に皆さんで手を繋いで「ふるさと」を合唱してお開きとなりました。
「ぜひ、喜びを持って帰ってください」と結ばれました。
Written by マロンさん