みんなの広場

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Update: 2014年02月13日
2014年2月観光案内所ディスプレイ
河内長野観光案内所の2月のディスプレイは、コーディネーターのカサブランカさんからのコメントが、今回はいただけなかったので、見物してきた感想とします。今月の歌は、暖かさと寒さが交互にきていたので、「冬景色」でした。『冬景色(ふゆげしき)』は、1913年(大正2年)『尋常小学校歌 第五学年用』が、初出の文部省唱歌。歌詞の中では、1番は水辺の朝、2番は田園の昼、3番は里の夕方が描写されているそうです。2007年(平成19年)に「日本の歌百選」に選ばれた1番の水辺の朝が書かれていました。『さ霧消ゆる 湊江(みなとえ)の 舟に白し 朝の霜 ただ水鳥の 声はして いまだ覚めず 岸の家』です。
奥河内の風景は、6枚の写真で、金剛山・滝畑地区・金剛寺・美加の台の興禅寺・千早赤坂地区の雪景色です。田中画伯の絵は、延命寺の蓮池と滝畑の民家との雪景色の風景です。今月は大野さんのお人形がなく、花の文化園からの真っ赤なイチゴが飾られていました。下の床には「さおり織」が置かれていました。
今回はさおり織を調べてみました。インターネットには『さをりは1968年に大阪で産声を上げた手織りの手法の1つ。専業主婦であった城みさを(1913年~現在90歳)が、57歳の時に始めた今までの手織りとはまったく違う新しい考え方の手織りで、「自分のもって生まれた感性を最大限に引き出す」ことを主眼に置いた画期的な手織り。常識や既成概念にとらわれず、自由奔放に好きに好きに織る。そうすることで、自分の秘められた感性が、最大限に引き出され、出来上がった布は、世界に1つしかない、独自の完成を反映した作品になる。そこが一番のさをり織の魅了だ。さをりでは、見本・手本といったものもなく、織るにあたってのルールもない。そのため、老若男女、障がいの有無を問わず誰にでもできる開かれたものと言える」とありました。
Written by マロンさん
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Update: 2014年02月12日
「ものづくり・継ぎ手づくり・みらいづくり」
「くろまろ塾」河内長野地域学の第4回目は、東尾メック(株)の工場見学です。鋳鉄とは、溶鉱炉があって、大々的に噴煙が立ち上って、ゴミゴミしたところだと思っていましたが、精密機械の組み立て工場化していて驚きました。
建設機材の配管材料の変化を先取りし、管が鉄から塩ビに移行するのを読み取られて、体質変換されたことと、14種類の新型のマリアブルを開発されたことに興味がありました。地域貢献の取り組みをされていることにも共感を持ちました。
はじめに、東尾会長から工場の概略が説明されました。「1997年の阪神大震災で継ぎ手は、金属製から樹脂管へと変化していきました。規制緩和や自由化という問題もあり、売上げが78億円から42億円に激減しました。そこで、管種の変換を考えました。
井上社長が社会的な現象で、管が変わると想定して、商品開発を考えていきました。汐の目の変化と同じで、変化していきました。他社にないものを考えて、新しいニーズを見つけていきました。
鋳物メーカーからメカニカルメーカーに体質の変換ができ、市場の成長性から考えて、対応したことがよかったと思います。信頼性の努力が積み重なって、現在の東尾メックになりました。
日本企業が衰退へ向かう中で、一角の企業しか残れないと考え、開発・生産技術・省力化の工夫を行いました。
スキルが求められる中で、高機能・高品質が特に求められています。
賃金の安いインドネシア・タイで売れないものは駄目だと考えました。
働く人が一緒に仕事をしているのが、良い会社であるとの考えで、それぞれが課題に挑戦しています。一人一人がスキルアップに取組んで、会社の力になっていると思います。
会社の基本理念が「人本経営」ということです。
経営課題を社長からパートの人にまで共有して、目的を一つにして、同じ考えで活動することです」と話され、自動化された工場見学が行われました。
Written by マロンさん
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Update: 2014年02月10日
人本経営を貫く各種管継手トップメーカー「東尾メック株式会社」の見学
 河内長野市民大学の地域学講座「ものづくり・継手づくり・未来づくり“つなぐ”プロフェッショナル!」として、2月4日に東尾メック(株)で同社会長の東尾光紹氏の講演と本社工場の見学がありました。
 当社は本市菊水町にあり、1950年3月創業、従業員160人で各種管継手製造販売している会社です。現在は可橋ポリエチレン製継手のトップメーカーとして、主製品はクランプリング方式をはじめとした14種類のメカニカル継手を開発・製造販売しています。また地球温暖化防止のため空調機器などの施工・廃棄時の冷媒ガスの漏れ防止や回収を確実にする冷媒配管用継手を開発・製造し、トップシェアを占めています。製品は自社開発した機械で作る点が注目されています。製品の設計開発理念はメカニカル的・構造的に締め付けて“漏れない・抜けない”、簡単な構造でグローバルスタンダードなもの、シンプル・イズ・ベストです。
 経営理念の第1に社員を大切にすることを掲げています。全社員が経営課題を共有して働く協働主義を人本経営に高め、会社の発展、社員の幸せが実現できる魅せる会社をめざしています。これは今の世で素晴らしいことだと思います。愛社精神を生み、社員の意識向上、モラルの高さに繋がります。これが、TPM認証会社として保全技能士を70人も輩出し、ISO9001とISO14001の認証、JIS指定工場の取得に繋がっている。
 会長の講演は自信に満ちた誇らしさを内に潜めた話し方、偉ぶらないフレンドリーな姿勢で自社の概要や経営理念を語られました。工場見学では、整理整頓が行き届き、チリ1つ落ちていない清潔で明るい綺麗な社内であること、社員の表情は明るく活気に溢れ士気やモラルの高さが見受けられました。経営者の的確な市場分析と先取りしたニーズへの対応が成功されているものと推察され、本市が誇れる優れた企業といえるでしょう。
Written by 岩湧太郎
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Update: 2014年02月10日
高向の古民家見学
花の文化園の駐車場の宮ノ下遺跡で、鎌倉時代の井戸跡が発見されたので、2月1日13時から現地説明会が行われました。30分ほどの説明会あり、解散しました。
現地説明会を聞いて、渡邊さんと話していたら、目の前に一度訪ねてみたいと思っていたが、そのままになっていた高向の古民家があることを思い出して、出かけてみることにしました。ちょうど、古民家の隣の東さんという方がおられて、今は空き家で何方もおられないということで、見学させていただくことになりました。この辺りも崖の下で、昔はがけ崩れなどがあったそうです。
私たちがちょうど、ボランティアを始めたころの2004年4月17日の毎日新聞に記事が出ていました。2003年のロケ地の推薦写真で、最優秀賞に選ばれた「高向の民家」です。推薦者の小松さんのコメントが出ていました。小高い山裾の緑に抱かれた、古びた民家と土壁の蔵が、寄り添っていた。その感激を「竹林を背景に、柿の木などがあり、まるでかぐや姫の世界。そこだけが、時間が止まっているように見えた」と話されたことが、記憶に残っていました。
ちょうど、10年の年月が過ぎていることになります。
東さんから、昔、牛を飼われていて、その小屋が現存している、とお聞きしました。
また、大阪ロケーション・サービス協議会のホームページに掲載され、当時は写真を撮りに来られる人が大勢いた、との話でした。
古びた土蔵は、昔のままでしたが、主屋の屋根はトタン葺きに替わっていて、それも穴が開いていました。
人が住まなくなると、痛みが激しいと思いました。
Written by マロンさん
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Update: 2014年02月07日
天野山金剛寺の厄除星祭大法要・柴燈大護摩供法要
2月3日の節分に、河内長野市天野町にある天野山金剛寺では厄除星祭大法要・柴燈大護摩供法要が行われました。
法要を行う行列の一隊は、本坊から楼門をくぐり仮本堂へと歩みます。先導の僧に導かれて法螺を鳴らしながら山伏の一行と僧呂の一行、大導師の順に進みます。仮本堂前で山伏たちに迎えられて僧呂、大導師が堂内に入り内陣に安置された大日如来座像への厄除 星祭大法要の厄除・祈祷の読経をなされます。
僧侶達がたくさんの大般若経というお経を、扇のように舞う動作で読経します。読経後、食堂前では護摩たきがはじまります。 既に食堂前の護摩壇の周りに結界が張られてあり、この聖地内から仮本堂内にお祀りされている大日如来へ僧侶たちが般若心経、真言等が読経された後、山伏による法弓の儀 法斧の儀 宝剣の儀によって東方、南方、西方、北方、中央の穢れや悪魔を祓い、護摩供養の間、仏様に結界内を守ってもらいます(東方:降三世夜叉明王、南方:軍荼利夜叉明王、西方:金剛夜叉明王、北方:金剛夜叉明王)。般若心経、真言等が 読経されるなかで灯明から移された松明で護摩檀に点火され護摩供養が行われます。護摩檀から、たちまち真っ白な煙が立ちのぼり、龍が天に昇るように大きな塊となって空へと消えて行きます。大きな煙や火柱に無病息災・諸願成就を祈願します。
護摩供養が終わると“ふくまめ”が配られたり、甘酒の接待などが行われます。
 護摩供養は、悪事災難を免れ吉祥招福を念じ、大難を小難に小難を無難へ転ずる祈願を行う法要です。護摩は密教の修法で、おもに真言宗と天台宗で行われています。護摩修法は火の中を清浄の場として仏を観想します。これには、護摩壇に火を点じる外護摩と、自分自身を壇にみたて、仏の智慧の火で自分の心の中にある煩悩や業に火をつけ焼き払う内護摩とがあるそうです。
Written by 岩湧太郎
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Update: 2014年02月07日
観心寺の節分星祭り
 河内長野市寺元にある檜尾山観心寺では、2月3日の節分にゴクマキといって、参詣者へ紅白の餅や豆が特設の櫓や建て掛けの塔から撒かれました。撒かれる餅の内には、朱で印をつけた景品が当たる餅が混じっていて、思わぬ幸運な福を貰う人もいます。 ゴクマキは午前と午後の2回催行されます。この日は大勢の人で賑わい、境内には露店が出て賑やかで、福豆といって炒り豆などが売られています。この日ばかりは拝観料が無料で、境内が開放されます。 また同時に北斗七星をまつる星祭りのご祈祷が行われます。星供とも言いわれ、人の生まれた年、月、曜日の日を司る不変の四種類の星と年によって変わる九曜星を供養し、祈祷する法要です。厄年の人は、年の変わり目である節分に、その年の星をまつり、厄除けをして無病息災・家内安全を金堂で祈祷・祈願します。その後、七つの星塚を巡るお詣りをします。この厄除け星祭りの由来は、当寺発行の開運厄除星祭願名牒によると「当山御本尊は弘法大師四二歳の御厄除のため、一刀三礼を以て御彫刻、当山金堂に観世音菩薩とは申し奉るなり、北斗七星の星塚を奉祀する霊地は、我邦独り当山のみ 云々」とあります。
 かつて以前に当山は節分に護摩法要と餅まきを盛大にしていまた。同時に北斗七星を祭る供養があり、厄除けの男女が列をつくってお詣りするという程多くの人々で賑わいました。お詣りの人たちが本堂や中院にお籠もりをして、夜中に厄除けの豆粥を食べました。これを食べないと厄払いができないのでゲンが悪いと言ったそうです。また個々人が「ヤクモチ」を本堂に供えた後、下げた餅をできるだけ多くの人に配って食べてもらうと厄が落ちると言う呪術的要素の強い習俗がありました。今でもこの七つの星塚を廻って厄落としの炒り豆を供え、先に供えてあるものをいただいて帰る信仰が残っています(画像上はゴクマキ、下は星塚詣り)。
Written by 岩湧太郎
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Update: 2014年02月07日
宮ノ下遺跡の井戸の跡説明会
1月27日の朝日新聞に出ていた「高向の宮ノ下遺跡の発掘調査で、鎌倉時代の井戸跡が発見された」との記事の現地説明会が、2月1日、河内長野市教育委員会ふるさと文化課によって行われたので、参加しました。50名ぐらいの人が参加されていて、思い思いの考えで説明を聞かれていました。平成7年度、宮ノ下の駐車場の建設工事のときから調査が行われてきました。当時は建物の跡や溝などが発見されていました。
今回、駐車場に「地域活性・交流拠点」がつくられることになり、再度発掘調査が行われ、井戸跡が3か所と土坑が1か所出土したので、現地説明会となりました。
ふるさと文化課の大江さんの説明では「井戸1は、石組み井戸で、鎌倉時代以降の人たちが埋めて、多くの石が中に入っていました。現在は安全面から1mぐらい掘ったところであり、さらに3mぐらい以上深いところまで埋められていると思われます。井戸の中の大小の石も展示しているので見てほしい」との話でした。
中からは土師器・瓦器が割れた状態で出土したそうです。鎌倉・室町時代に埋められたと考えられ、井戸自体の時代はもう少し古いとのことでした。
井戸3は、他の井戸1・井戸2と比べて小ぶりなものだそうです。しかし、井戸の中に大きな石が入っているので、井戸1より古く、平安時代のもののようです。土坑の中には、数枚の皿が割られた状態で入っていて、燃やされた炭化物の跡も見られるそうです。これからの分析で詳しいことが分かるそうです。
前回の調査では、農道付近と花の文化園の入口側の道路から、集落跡が出土していました。
展示された皿の破片は、青磁が福建省、白磁が広東省の磁器の破片だとの説明があり、金剛寺で出土した磁器よりも、古いものだとのことです。一部動物の骨も出たようです。この辺りは、高向玄理の故郷で、大陸との交流があったのではと想像が膨らみました。
Written by マロンさん
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Update: 2014年02月07日
幸せ椅子づくりへの挑戦
30日、「幸せ椅子づくりへの挑戦」という話が、(株)ひげ工房の古橋さんによって行われました。
「前半では製作・制度について、後半は介護保険制度について話し、最後に車椅子の展示をしているので、乗車して感想を聞かせてください。
ひげ工房は、11年前に村上潤により創業され、4年前に私が3代目社長に就きました。村上が髭を生やして現場に出ていたので、ひげ工房と呼ばれました。村上は、「街の小さな木工所から」という本で、障がい者のための道具づくりという仕事を知り、研修して創業しました。
製作手順は、相談→採型→形状のデータ化・データの加工→切削・フレームの取り付け→仮合わせ1→仮合わせ2→仮合わせ3→納品です。「採型」(身体の型をとること)や、仕上げを前に「仮合わせ」(仮縫いのようなこと)などをしています。これらの工程(採型・仮合わせ・試乗など)は、実はとても手間・暇(人・時間・コスト)がかかることです。しかし、今行っているこのつくり方は、ひげ工房がいつも願っていて、めざしている一番の方法であると考え、これらの工程をかたくなに貫き通しています。健常者は少々自分に合っていない道具でも、自分に合わせることができます。しかし、ハンディキャップを持たれた方の多くは「ありのままの自分を受け止めてくれる道具」でないとうまく使うことができません。色々な問題に挑戦し続け、道具を創造し続けることが、ひげ工房の仕事です。
調整することで正しい状態で座れるようになるので、真っ直ぐに座れるように考えています。そこに両手が使えれば、食事が可能になります。
姿勢をきちっとする車椅子が合ったものでであれば、使える可能性が出てきます。
ちょっとした工夫で、生きがいに繋がるものが出来ていきます。
使う場面で身体にフィットしたものを採用してほしいと思います」
この日は市役所のほかの部署の方も見学に来られて、満員でした。
Written by マロンさん
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Update: 2014年02月05日
52年の軌跡展 交通科学博物館さよなら企画展Part2
 JR環状線弁天町の駅下には、交通科学博物館があります。今年4月6日を持って閉館となります。
 私は交通科学館時代に何度も拝観しましたが、駅の下だったとは、今日まで気づかず、あらためて自らの不昧を感じたところです。
 交通科学博物館は、鉄道ばかりでなく自動車船の展示、近世交通に関する展示もありまして、まさに「交通科学」の博物館です。
 大阪から貴重な遺産が出て行くのは惜しいと感じざるを得ませんが、京都でも、戦後社会科学習指導要領を作成された重松鷹泰先生がご推進なさった「しみじみとした空気が流れる」ような博物館に期待したいです。
 52年の軌跡展の冊子を見ると、私の写真が出ていてびっくり、大変感動しましたが、写真の連結器のようにがっちり連携して、何事も努めねばならないと再確認しました。
Written by 暇仁
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Update: 2014年02月05日
イクジイになろう
28日、NPO法人ファザーリング・ジャパン関西の代表理事の和田さんの講座に参加しました。
司会の筒井さんからは「本日は色々な仕掛けがあるそうで、指示に従ってください。会場におられる聴覚障がい者のために、予約筆記の皆さんが参加され、要約して情報をお届けします」と紹介されました。
和田さんは「本日はエプロン姿で登場しましたが、妻が勤務していて、私が主夫をしています。娘を学校と乳児院に送ってきました。まずは自己紹介から始めます」と話され、各地でパパスクール・イクジイスクール・父子キャンプ・育じいなど、現在行われている関連の事業紹介が行われました。
「そのような中で、ジイジにしかできないことがあります。老人と子どもの人口が増えており、地区では協働が必要です。
昔は子どもとの関わりを老人が持っていました。
ベイブレードは「よく回る独楽」です。独楽は、紐を引いて回すもので、紐を巻くときから力加減が必要で、紐を引くときも力加減が必要です。微妙な力加減は、やってみないと分からないもので、言葉では伝わりません。
同じく、肥後守というナイフでの鉛筆削りです。微妙な使い方を体験してください。
絵本も持参しました。落語や昔話です。おじいちゃんが主人公で、怖いところ・暗いところの話を絵本で示してほしいと思います。
「いない・いない・バー」は500万部売れた、乳幼児向けの本です。子どもは、同じ言葉を何回言っても楽しめます。
私は子育て農業論をもっています。子どもは工業製品ではありません。工場(良い学校・良い企業)にいても、期待通りには完成しません。土を耕して、水を与えて、胡瓜のように自分で成長する力が必要です。
後は天に祈り、子どもの中から出る力を信じます。
私の「座右の銘」は、①無限多様性の調和、②いきいきバッチリ、です」
今の社会に受難性をもっていて、最後は「③てんやわんや」と話されました。
Written by マロンさん