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学芸員の投稿
Update: 2014年02月07日
天野山金剛寺の厄除星祭大法要・柴燈大護摩供法要
2月3日の節分に、河内長野市天野町にある天野山金剛寺では厄除星祭大法要・柴燈大護摩供法要が行われました。
法要を行う行列の一隊は、本坊から楼門をくぐり仮本堂へと歩みます。先導の僧に導かれて法螺を鳴らしながら山伏の一行と僧呂の一行、大導師の順に進みます。仮本堂前で山伏たちに迎えられて僧呂、大導師が堂内に入り内陣に安置された大日如来座像への厄除 星祭大法要の厄除・祈祷の読経をなされます。
僧侶達がたくさんの大般若経というお経を、扇のように舞う動作で読経します。読経後、食堂前では護摩たきがはじまります。 既に食堂前の護摩壇の周りに結界が張られてあり、この聖地内から仮本堂内にお祀りされている大日如来へ僧侶たちが般若心経、真言等が読経された後、山伏による法弓の儀 法斧の儀 宝剣の儀によって東方、南方、西方、北方、中央の穢れや悪魔を祓い、護摩供養の間、仏様に結界内を守ってもらいます(東方:降三世夜叉明王、南方:軍荼利夜叉明王、西方:金剛夜叉明王、北方:金剛夜叉明王)。般若心経、真言等が 読経されるなかで灯明から移された松明で護摩檀に点火され護摩供養が行われます。護摩檀から、たちまち真っ白な煙が立ちのぼり、龍が天に昇るように大きな塊となって空へと消えて行きます。大きな煙や火柱に無病息災・諸願成就を祈願します。
護摩供養が終わると“ふくまめ”が配られたり、甘酒の接待などが行われます。
 護摩供養は、悪事災難を免れ吉祥招福を念じ、大難を小難に小難を無難へ転ずる祈願を行う法要です。護摩は密教の修法で、おもに真言宗と天台宗で行われています。護摩修法は火の中を清浄の場として仏を観想します。これには、護摩壇に火を点じる外護摩と、自分自身を壇にみたて、仏の智慧の火で自分の心の中にある煩悩や業に火をつけ焼き払う内護摩とがあるそうです。
Written by 岩湧太郎
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Update: 2014年02月07日
観心寺の節分星祭り
 河内長野市寺元にある檜尾山観心寺では、2月3日の節分にゴクマキといって、参詣者へ紅白の餅や豆が特設の櫓や建て掛けの塔から撒かれました。撒かれる餅の内には、朱で印をつけた景品が当たる餅が混じっていて、思わぬ幸運な福を貰う人もいます。 ゴクマキは午前と午後の2回催行されます。この日は大勢の人で賑わい、境内には露店が出て賑やかで、福豆といって炒り豆などが売られています。この日ばかりは拝観料が無料で、境内が開放されます。 また同時に北斗七星をまつる星祭りのご祈祷が行われます。星供とも言いわれ、人の生まれた年、月、曜日の日を司る不変の四種類の星と年によって変わる九曜星を供養し、祈祷する法要です。厄年の人は、年の変わり目である節分に、その年の星をまつり、厄除けをして無病息災・家内安全を金堂で祈祷・祈願します。その後、七つの星塚を巡るお詣りをします。この厄除け星祭りの由来は、当寺発行の開運厄除星祭願名牒によると「当山御本尊は弘法大師四二歳の御厄除のため、一刀三礼を以て御彫刻、当山金堂に観世音菩薩とは申し奉るなり、北斗七星の星塚を奉祀する霊地は、我邦独り当山のみ 云々」とあります。
 かつて以前に当山は節分に護摩法要と餅まきを盛大にしていまた。同時に北斗七星を祭る供養があり、厄除けの男女が列をつくってお詣りするという程多くの人々で賑わいました。お詣りの人たちが本堂や中院にお籠もりをして、夜中に厄除けの豆粥を食べました。これを食べないと厄払いができないのでゲンが悪いと言ったそうです。また個々人が「ヤクモチ」を本堂に供えた後、下げた餅をできるだけ多くの人に配って食べてもらうと厄が落ちると言う呪術的要素の強い習俗がありました。今でもこの七つの星塚を廻って厄落としの炒り豆を供え、先に供えてあるものをいただいて帰る信仰が残っています(画像上はゴクマキ、下は星塚詣り)。
Written by 岩湧太郎
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Update: 2014年02月07日
宮ノ下遺跡の井戸の跡説明会
1月27日の朝日新聞に出ていた「高向の宮ノ下遺跡の発掘調査で、鎌倉時代の井戸跡が発見された」との記事の現地説明会が、2月1日、河内長野市教育委員会ふるさと文化課によって行われたので、参加しました。50名ぐらいの人が参加されていて、思い思いの考えで説明を聞かれていました。平成7年度、宮ノ下の駐車場の建設工事のときから調査が行われてきました。当時は建物の跡や溝などが発見されていました。
今回、駐車場に「地域活性・交流拠点」がつくられることになり、再度発掘調査が行われ、井戸跡が3か所と土坑が1か所出土したので、現地説明会となりました。
ふるさと文化課の大江さんの説明では「井戸1は、石組み井戸で、鎌倉時代以降の人たちが埋めて、多くの石が中に入っていました。現在は安全面から1mぐらい掘ったところであり、さらに3mぐらい以上深いところまで埋められていると思われます。井戸の中の大小の石も展示しているので見てほしい」との話でした。
中からは土師器・瓦器が割れた状態で出土したそうです。鎌倉・室町時代に埋められたと考えられ、井戸自体の時代はもう少し古いとのことでした。
井戸3は、他の井戸1・井戸2と比べて小ぶりなものだそうです。しかし、井戸の中に大きな石が入っているので、井戸1より古く、平安時代のもののようです。土坑の中には、数枚の皿が割られた状態で入っていて、燃やされた炭化物の跡も見られるそうです。これからの分析で詳しいことが分かるそうです。
前回の調査では、農道付近と花の文化園の入口側の道路から、集落跡が出土していました。
展示された皿の破片は、青磁が福建省、白磁が広東省の磁器の破片だとの説明があり、金剛寺で出土した磁器よりも、古いものだとのことです。一部動物の骨も出たようです。この辺りは、高向玄理の故郷で、大陸との交流があったのではと想像が膨らみました。
Written by マロンさん
学芸員の投稿
Update: 2014年02月07日
幸せ椅子づくりへの挑戦
30日、「幸せ椅子づくりへの挑戦」という話が、(株)ひげ工房の古橋さんによって行われました。
「前半では製作・制度について、後半は介護保険制度について話し、最後に車椅子の展示をしているので、乗車して感想を聞かせてください。
ひげ工房は、11年前に村上潤により創業され、4年前に私が3代目社長に就きました。村上が髭を生やして現場に出ていたので、ひげ工房と呼ばれました。村上は、「街の小さな木工所から」という本で、障がい者のための道具づくりという仕事を知り、研修して創業しました。
製作手順は、相談→採型→形状のデータ化・データの加工→切削・フレームの取り付け→仮合わせ1→仮合わせ2→仮合わせ3→納品です。「採型」(身体の型をとること)や、仕上げを前に「仮合わせ」(仮縫いのようなこと)などをしています。これらの工程(採型・仮合わせ・試乗など)は、実はとても手間・暇(人・時間・コスト)がかかることです。しかし、今行っているこのつくり方は、ひげ工房がいつも願っていて、めざしている一番の方法であると考え、これらの工程をかたくなに貫き通しています。健常者は少々自分に合っていない道具でも、自分に合わせることができます。しかし、ハンディキャップを持たれた方の多くは「ありのままの自分を受け止めてくれる道具」でないとうまく使うことができません。色々な問題に挑戦し続け、道具を創造し続けることが、ひげ工房の仕事です。
調整することで正しい状態で座れるようになるので、真っ直ぐに座れるように考えています。そこに両手が使えれば、食事が可能になります。
姿勢をきちっとする車椅子が合ったものでであれば、使える可能性が出てきます。
ちょっとした工夫で、生きがいに繋がるものが出来ていきます。
使う場面で身体にフィットしたものを採用してほしいと思います」
この日は市役所のほかの部署の方も見学に来られて、満員でした。
Written by マロンさん