みんなの広場

学芸員の投稿
Update: 2014年02月26日
くろまろ館の雛祭り「人形とお道具展」
2月22日から4月13日まで、くろまろ館(河内長野市立ふるさと歴史学習館)で企画展示が行われています。
本日の午前中、ボランティアとして勤務しました。朝一番に、愛媛県から烏帽子形城跡を見学に来られ、資料館で資料を購入された方に、写真ポイントや現地の話を紹介しました。案内所に城の模型があることもご存知でした。
国の史跡登録で全国的になったと喜んでいます。
「人形とお道具展」について、学芸員の高田さんから、説明を受けました。
飾られているお雛様は、天保13年寅3月、大阪の木綿問屋の河内屋さんが、娘のタキさんの初節句に購入されたもので、箱書きに残されていたそうです。
御殿飾りといわれるもので、畳一畳分の大きさの御殿が組み立てられ、三段飾りのお雛様です。今回は場所の都合で、御殿の展示は出来ませんでした。御殿にも屋根があるものと、ないものがあり、これは、屋根のない「源氏枠」という形式だそうです。人形は古今雛といわれるもので、江戸で考えられ、関西で作られたもので、刺しゅうが豪華です。お顔の描き方が、江戸前はガラス玉が入りますが、これは細い目で描かれています。
三人官女の中央は、三宝をもっており、後で追加購入されたものだそうです。
両脇の隋身は、歌舞伎役者風です。仕丁(しちょう)の3人は、箒・熊手・仕丁のお掃除セットを持っています。
現在はセットで買われますが、当時は雛市が立って、そこで好みの雛を集めたようです。
男雛と女雛の並べ方は、関東は右が女雛で左が男雛ですが、関西は、京都に皇室があったことから、右に出るものがいないということで、右が男雛になったと言われています。
道具類も武家の嫁入り道具を揃えてあるようです。そこで「おままごと」をして、質素倹約を覚えたのだそうです。
御殿飾りは関西より西に広がったそうですが、昭和30年代頃までに、段飾りになっていったそうです。
Written by マロンさん