みんなの広場

学芸員の投稿
Update: 2013年01月07日
烏帽子形神社の恵比寿まつり
1月6、7日に、烏帽子形神社の恵比寿まつりが行われます。
ここの恵比寿様は、島根県美穂神社の御神霊を昭和30年に分霊されたもので、美穂恵比寿としてのおまつりです。6日の朝から神社の氏子の方が集まって、ぜんざいの炊き出しの準備をされていました。地元のおまつりを大切にしたいものです。御祭神は、事代主命、三穂津姫命で、海運漁業の神で、安産の神でもあります。
6日の宵恵比寿は、14時~19時まで、おぜんざいの接待が行われ、7日の本恵比寿まつりでは、15時から餅まきが行われます。普通大阪では十日戎が主流ですが、ここでは7日の恵比寿まつりが行われます。
長野神社の戎様には、本殿裏にドラが置かれていて、大きな声を出さないと、耳が遠いのでお願いを聞いてもらえないとのことですが、ここにはありません。美穂神社では音楽が好きだと、楽器が奉納されるようです。色んな言い伝えがあります。
烏帽子形神社へは、河内長野駅からは、旧高野街道を南下して20分のところです。また、三日市町駅からは旧高野街道を北進して、同じく20分です。裏の山は、昨年始めに国の史跡になった烏帽子形城跡です。
Written by マロンさん
学芸員の投稿
Update: 2013年01月07日
ベアテ・ゴードンさんの思い出
1月3日の朝日新聞に日本国憲法の草案作成に携わり、「男女平等」などの条文を盛り込んだベアテ・シロタ・ゴートンさん死去の報が掲載されていました。
2001年3月17日に「1945年のクリスマス」という講演会が、大阪市内で行われて、退職後初めて講演会に参加したことが思い出されました。登壇した彼女は「どうして今日はアメリカの女性が、日本の女性の権利を勝ち取ったのかについて話したい。私は昭和4年オーストリアのウィーンで生まれ、父は音楽家で山田耕作さんに呼ばれて、私が5歳のときに来日した。それから大学の入試まで、日本にいた。それでオーストリアより東京が故郷と思っている。カリフォルニアのミアレス カレッジに入学したとき、日本とアメリカでの女性の地位が、大きく違っていることを実感した。
憲法草案をまとめていくときに、ケーディス大佐が、仕事を割り振っていき、「人権に関して」は、男性2名と私の3名だった。その中で言いたかったことは「家庭は、人類社会の基礎であり、その伝統は、善きにつけ悪しきにつけ、国全体に浸透する。それゆえ、婚姻と家庭とは、法の保護を受ける。婚姻と家庭とは、両性が法律的にも社会的にも、平等であることは当然である、との考えに基礎を置き、親の強制ではなく、相互の合意に基づき、かつ男性の支配ではなく、両性の協力に基づくべきことを、ここに定める」と基本に書いた。日本国民は、喜んで受け入れてくれたが、保守的な政府はデモクラシーに興味がなかったようだった。1952年占領軍が帰国した後、マッカーサーより押し付けられたものだと、保守党の人たちは言っているが、アメリカよりも良いものを押し付けとは言わないと思う。この憲法は押し付けられたものではない」と話されました。
その後「1945年のクリスマス」という本が、柏書房から発行されたので読みました。
謹んでご冥福を祈ります。
Written by マロンさん