みんなの広場

学芸員の投稿
Update: 2013年01月15日
河内はキリシタンの聖地
1月7日付けの朝日新聞に、大阪の実話「河内はキリシタンの聖地」という記事が出ていました。
河内長野市にもたくさんの隠れキリシタンの遺跡等があります。
天正10(1582)年2月15日、長崎発信イエズス会総長宛の「天正9年度日本年報」に、「この城(八尾)から5~6里のところに、烏帽子形と称する別の城(城下町)があり、周辺を含めて3人の領主が治め始めています。このうち、2人はキリシタンであり、同所には、300人のキリシタンが住んでいます。我々は当地に立派な教会を建てることを決めて、木材やその他の用具を集めています」と書かれています。
また、烏帽子形城の北端にある字端山の一角には、小字で「ヤソブ」という地名が残っており、この付近に教会が建てられたのではないかと言われています。ここには「ヤソ地蔵」と呼ばれる地蔵尊があります。この地蔵尊は、光背の中で、頭の位置がかなり下で、像の様子も変わっています。
竹鼻さんと言う郷土史家がおられて、郷土研究会誌に「隠れキリシタン史」を書かれています。河内長野市にある野作薬師寺の白磁観音を見られた中で、本尊の薬師如来のお厨子の懸魚のマークが、ひし形に十字が刻まれており、キリシタンの関係物ではないかと検討されています。また、童の辻の増福寺にも、マリア像が残されています。
鳴滝には首を打ち落とされたキリシタン像があります。合掌の先も砕かれ、右手首と右手が壊されています。信者の祈りの本体を守るために、傷めたと思われます。祈りの組み手です。ガウンを着ていて、腹部の八弁の花はアネモネだと思われます、と書かれています。
流谷の月輪寺というお寺の跡には、十三仏石板碑が3枚に割られていました。この板碑は承応2(1653)年と、刻記された人数の戒名が彫られ、その中にカタカナの戒名で「テウロ」「シタニ」と刻まれて、キリシタンの洗礼名ではないのかと言われています。市の文化財です。
Written by マロンさん
学芸員の投稿
Update: 2013年01月15日
狭山池博物館のお客様
10日の府立狭山池博物には、午後一番にペルーから若いアベックのお客さんが来られて、スペイン語のリクエストをされました。受付のもろこさんが、「今日来られている高田さんが、スペイン語ができる」と言われたので、お願いしました。
男性の方は、建築関係の仕事をされていて、安藤ファンだそうです。日本に観光に来て、翌日帰国されるので、その前に狭山池博物館へ来られたとのことでした。無料であること、写真が撮れることに感激され、スペイン語のガイドが受けれると喜んでいただきました。
高田さんは、1975年から6年間、ペルーに商社の技術者として、駐在されていたそうです。帰国後、スペイン語を活用されるために、JICA(国際協力機構)のシニア海外ボランティアとして、ドミニカへ2年間派遣されたそうです。おかげで、スペイン語が錆びついていないと笑っておられました。
ただし、博物館のガイドでは、特殊な技術用語が難しいので、英語の単語を使って話したと言われました。博物館でのスペイン語のガイドは2回目だそうです。素晴らしい仲間がいます。現在は河内木綿のボランティア企画展を担当されています。
Written by マロンさん