みんなの広場

学芸員の投稿
Update: 2014年05月28日
太平記のヒーロー・楠木正成を偲ぶ楠公まつり
 河内長野の寺元にある檜尾山 観心寺は楠木氏の菩提寺であり、楠木正成および南朝ゆかりの寺として知られています。当山では、大楠公・楠木正成の命日に当たる5月25日に供養祭・楠公まつりが行われました。
 楠木正成は、建武新政の功労者の一人また太平記のヒーローであるが、神戸・湊川で足利尊氏軍と戦い戦死しました。その頭部を足利尊氏のはからいで楠木氏へ送り届けられ当山に葬られました。その場所に首塚を建て祀られていて、ここで墓前法要が行われました=写真・上=。
金堂前をご詠歌衆の列が先に出立され、これに中院を出立された僧侶衆が建てかけの塔前で加わって、錬供の隊列が整い墓前に向かいます。開山堂前でご詠歌衆に迎えられた僧侶衆が墓前に入場されます。既に墓前に来賓・関係の参拝者が参列されています。また横に建立されている開山堂内にも既に琴・尺八の演奏隊が待機しており、そこへご詠歌衆が加わります。
法要に先立ち参拝者全員で国歌の起立斉唱があり、読経の後、尊師の願文と大楠公顕彰会会長の誓文の奏上がされます。ご詠歌衆の「大楠公和讃」や詩吟「天野天籟作・大楠公」、琴・尺八の演奏の奉納が続きます。その後、般若心経の読経の中で参列者の焼香が続きます。
 この墓前法要の他に境内では、少年剣道大会=写真・下=や詩吟大会が恩賜講堂で、琴・三味線・尺八の共演の演奏が拝殿で行われました。
 昔は近隣近在の村々から大勢の人が集まってお祀りをし、素人角力や武道大会、剣舞などが行われ賑やかであったそうです。
Written by 岩湧太郎
学芸員の投稿
Update: 2014年05月28日
最古の住宅縄文時代の河内長野
22日河内長野市立図書館の主幹尾谷さんの「河内長野市史を読み解く」と言う講座の、第二回目の「最古の住宅 縄文時代の河内長野」が行われました。『縄文時代というのは、どの様な時代か。1万5千年前の草創期→早期→前期→中期→後期→晩期と進みます。2千8百年前に晩期の終了を迎えます。氷河期から温暖化が始まり、環境の変化で植生が変わりました。動物界にも変化が起きてきて、大型のヘラジカなどは、木が密集してくると、大型の動物は生き抜く事が出来ず、小型の動物が出現して来ます。又、川魚も種類が増えてきました。その様に小型の動物は、狩猟して歩く事が不要となり、好みの動植物が、近くで手に入る様になりました。どんぐり・クルミ類が安定して採取されると、主食と副食の区分が出て来ました。主食は米等の植物性のもので、副食は鹿・魚・イノシシ等という形が基本的に造られて行きました。そこで定住生活が始まり、縄文時代の中ごろより、急に人口の増加が、見られる様になりました。生の澱粉は消化しにくく、熱と水によって、煮炊きする必要があり、そこでは土器が必要となります。もう一つは果実類のあく抜きが出来る様になりました。その上、調味料によって、新しい味が食べられる様になりました。副食の採取はいろんな方法がありました。貝塚からの調査では、地域によって違いが出ています。縄文人は、動物の肉は、鹿肉が一番の嗜好でした。次にイノシシでした。河内長野市での最古の住居跡は、宮山遺跡です。花の文化園の前の駐車場付近です。そこでは5.5mの竪穴式住居跡が出土しています。このため、天見川・加賀田川沿いには、多くの縄文時代の遺跡が出てくる事が考えられます。3km~5kmの範囲で小集団が生活していました。大集落は無かったが、縄文時代は、河内長野は住み易い所であったと考えられます。』と結ばれました。
Written by マロンさん
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Update: 2014年05月28日
「奥河内の春を訪ねる」ハイキング実施(5月20日編)
20日滝畑班の「磨崖仏を彫った夏目さんが辿った道」の第一回目のハイキングが行われました。女性20名男性12名の参加です。20度の気温でしたが、少し暑いぐらいでした。今回は渡邊拠点長の挨拶の後、二班に分かれて、時間差で出発しました。滝畑ダムの62mの堤体をゆっくり階段で、地上まで降りて行きました。堤体の下は、堤の中からの涼しい風が吹いていました。「滝畑に磨崖仏あり」の紙芝居は、速水さんの手作りの紙芝居の道具で実演されて、後ろでは井上先生から頂いたBGMが静かに流れて、放水口の水音と共演して、素晴らしい出来栄えでした。道中は予定通り進行して、観音寺ではご本尊の重要文化財の、大日如来坐像の扉を開けて、拝見させて頂きました。
その後、みのでホールで昼食をとり、久保健商店の女将さんによる半夏生餅の実演と由来についてのお話を聞きました。夏の栄養補強に、この辺りで食べられたもので、甕に入れた保存食だったとの話でした。皆さんの評判が良く、帰りにお土産として購入されました。大阪では魚屋の仕事をされていた人が、「大阪では半夏生の時は、タコを食べる」と話された。これは植えた稲が良く根付く様に、との祈りだとの事でした。その後、タラヨウの手紙の講習があり、17名の方が滝畑の捺印で、送られる事になりました。今回のイベントは終わり、くろまろ館へ向かい、館長さん以下のお出迎えで、ガイドの方の解説を受けて解散しました。
Written by マロンさん