みんなの広場

学芸員の投稿
Update: 2014年05月20日
「奥河内あおぞらカフェ」の開催のお知らせ
河内長野市役所前広場の「モックルフルル広場」で「奥河内あおぞらカフェ」が開催されます。
6月1日9時~14時までです。主催の河内長野観光協会のWEBサイトには「河内長野市役所敷地内“モックルフルル広場”で、パンと珈琲の朝Cafeを開催します♪朝採れ野菜のマルシェも同時開催します♪当日は、市内4店のパン屋さん、2店の珈琲豆屋さんが出店していただきます。週末の朝、お散歩の足を伸ばして美味しいパンと珈琲で朝のひと時が心地よい時間になりますように♪当日は、良いお天気になりますように(^ー^)♪」と紹介されています。
内容は、参加はパン屋さんが、①たいちろうのぱん(南花台)、②RAPIN BLANC(西代町)、③アーリーバード(南花台)、④フレッシュベーカリーコットン(南花台)、⑤ベイクハウスキギ(楠ヶ丘)
珈琲屋さんは、①岡崎珈琲(大矢船中町)、②ワコー長野店(上田町)
同時開催の朝採り野菜の販売が、垣内農園さんが参加されます。カフェスペースでは、香り高いコーヒーとパンが用意されています。
同時開催に「奥河内観光PRイベント」が行われて、やまからのおくりもの屋さんが河内材の木工品をお買い上げの方に、カッティングボードに名前入れの無料体験もできます。
他には井上すだれさんの産物も見学と購入が出来ます。
Written by マロンさん
学芸員の投稿
Update: 2014年05月20日
「奥河内の春を訪ねる」ハイキング研修(その3)
13日滝畑班の「磨崖仏を彫った夏目さんが辿った道」の第三回目の研修を行いました。今回は自由参加として11名が参加して、コースの詳細を最終検討しました。最初に拠点長が、ダム管理事務所の所長さんとイベント当日は机と椅子を借用して、ダムの堤体の階段の使用が出来る様に、打ち合わせをしました。
現在の参加者は、20日が36名、24日が28名で、両日3班体制ガイドで、実施する事になりました。途中で「タラヨウの木の葉」の収集を行い、70枚位確保しました。日野浄水場への取り入れ口を確認して、石川沿いの渓谷美を、いかに表現するかを検討しました。寺ヶ池の導水路(連合井堰)と丹保井路を、見学するか検討しましたが、希望者だけ現地を見て頂く事にしました。残った方は道路で、現地の写真を見て頂く事になりました。
天日山観音寺では、高橋住職と面談して、20日・24日の木造大日如来坐像の、ご本尊のご開帳をお願いして、了解を頂きました。25日には修理にお寺を出られるそうです。雨天時でも食事ができるミノデホールでは昼食をとる予定です。紙芝居は、磨崖仏の下ですることとなりました。久保健商店では「半夏生餅」について、奥様より詳細をお話しいただいて、試供品を頂きました。小麦は消化しやすい様に、愛媛産を奈良で二度引きした物を使用し、もち米は和歌山産の物を、取り寄せている。一年間の供給が出来ない為に地元産の認定が、受けられないとの事です。その後「豆の蔵」までのコースの調査を実施して解散しました。
Written by マロンさん
学芸員の投稿
Update: 2014年05月20日
茨木市の花はバラ
各市にそれぞれ市の花や木がありますが、茨木市の花は「バラ」。
昭和40年代に自治会長さんへのアンケートで決定したようですが、いばらきの「ばら」にも繋がるというものだそうです。
由縁を調べてみると面白いものですね。

写真は茨木市の通称「バラ公園」とも呼ばれる若園公園という所での撮影です。
バラは春と秋に2回咲くのですが、この公園は150種と数多くの品種が楽しめて、 園内はバラの香りに包まれていてとてもいい匂いがしてます。

バラがまとまって見れる公園はそれほど多くはないので、お薦めのスポットだと思います。
アクセスは電車ですと、阪急京都線の南茨木駅から東へ徒歩15~20分くらいです。
近鉄バスでのアクセスも可能です。
http://www.city.ibaraki.osaka.jp/shisetsu/kouen/1317109235081.html
Written by はんたろう
学芸員の投稿
Update: 2014年05月20日
「黎明期の考古学を知る本」の展示会
5月10日から31日まで、府立狭山池博物館では、工楽館長が蔵書している本と、弥生博物館・奈良文化財研究所の所蔵の本52冊が、展示されています。
エジプト・ギリシャ・ローマ・ポンペイ・オリエントなどで、19世紀に入ると欧米による発掘調査が行われ、これらの遺跡の報告書が、デザインや装幀にも優れた最先端の印刷で造本され、国際博物館の日(5月18日)の関連事業として、展示会が開催されています。渡邊学芸員に展示内容を教えて頂きました。考古学と言う名前は、英語のアーケオロジーを訳したもので、19世紀になって、ヨーロッパで使われ始めたそうです。その最初が1822年にドイツで生まれたシュリーマンで、ホメロスの詩を読んで育ち、40歳の時にトロイアの発掘で、ギリシア神話が世界に証明されました。その後ヨーロッパ各国で遺跡の発掘が行われて、その研究成果が精密な図版となり、優れた印刷技術で製本化されて行きました。これらの書物は、当時の研究者の熱意が伝わってくるものです。アジアではポロドゥールが「インドネシアのジャワ」を調査、スタインが「タクラマカン砂漠」等の、発掘調査を行いました。
日本からは大谷探検隊や河口慧海が、明治時代に探検しています。一方日本では、京都大学の浜田耕作教授によって、モンテリウスの「型式学的研究法」の流れをくむ「考古学研究法」が発行されて居て、我が国の考古学の研究者に、影響を与えています。こうして、土器の編年の基準が造られて行きました。
Written by マロンさん