みんなの広場

学芸員の投稿
Update: 2013年02月19日
奥河内観光写真コンクールの入賞品展示会
「奥河内」をPRしようと、千早赤阪村と共催で実施された「奥河内観光写真コンクール」の入賞作品が決まりました。今回は、525点の応募があり、その中からグランプリの河内長野市長賞は、美加の台の松下君代さんの「艶やかな光」で観心寺のライトアップの風景です。準グランプリは千早赤阪村長賞で大阪狭山市の若原正之さんの「棚田夢灯り」で千早赤阪村の棚田の点灯風景です。
2月6日の正午からキックス(河内長野市立市民交流センター)で表彰式が行なわれました。
金賞6点、銀賞16点が選ばれ、銀賞の中には、ガイド倶楽部の佐々木通博さんが選ばれていました。佐々木さんは毎年入賞されるベテランで、今回は大阪芸術大学賞を併せて受賞されています。滝畑の光滝をバックに「滝に魅せられた少女」という題です。滝畑の光滝は最近、また、ノーベル製菓のコマーシャル「親子滝修行編」で、男梅蔵とちび梅蔵が出演しているバックの滝です。1粒に梅1つ分の梅果汁が入っているというものです。
他には、河内長野市・千早赤阪村を始め、堺市・大阪狭山市・和泉市・岸和田市・橋本市・富田林市・大東市・阪南市の方が入選されています。作品の展示会は、2月8~20日まで市役所のロビーで(ただし、土・日曜日・11日は閉庁しています)、2月23~25日まではノバティーホール、2月28日~3月5日は、千早赤阪村のくすのきホール、3月22~28日までは、大阪市内の富士フィルムフォトサロンで展示されます。
Written by マロンさん
学芸員の投稿
Update: 2013年02月15日
ありがとう綿の里親さん
2月9日~3月10日まで、ふるさと歴史学習館でくろまろ館企画展示「ありがとう綿の里親さん」が開催されています。くろまろ館では、平成24年5月「綿の里親プロジェクト」が発足して、約50名の方がプロジェクトに参加し、綿を育てていただきました。多くの方が参加して河内木綿の魅力を広めることができました。品種はアジア綿で、河内長野で江戸~大正時代にたくさん作られていました。八十八夜の5月初旬に、日当たりが良く、水はけの良いところに種をまいて、毎日水撒きと虫退治等、日々の世話を焼いて、9月に綿が吹き始めます。里親の皆さんから持ち込んでいただいた、木綿の綿は約12kgとなりました。出来た綿を11月には、市内の川上小学校3年生・西中学校1年生が、「昔の暮らし」体験で、綿繰り体験をしてもらいました。地元で作られた綿に触れることで、かつての河内長野の人々の営みを、より身近に感じてもらえました。綿繰り機とは、綿から種を取る専門の道具です。綿には、たくさんの種が入っており、手で取るのは難しいので、綿繰り機で取ります。
今回の特別企画で「ありがとう綿の里親さん」ということで、「綿の里親プロジェクト2012」を開催しています。来年度も綿の里親を募集する予定です。更に今後は糸紡ぎなどの綿の活用まで幅を広げていくように考えています。
ふるさと歴史学習館へは、花の文化園の北側5分ぐらいのところです。三日市町駅からは、高野街道を烏帽子形神社方面へ歩いて、国の指定史跡となった烏帽子形城跡の北側の和泉道の寄ヶ峠を越えて、ハイキングで45分の距離です。
Written by マロンさん
学芸員の投稿
Update: 2013年02月15日
講座「平成の世相を斬る」
2月5日に行われたモックルいきいき大学の講座は、毎日新聞の客員論説委員の八木亜夫先生の「平成の世相を斬る」でした。
「昨年の後半から今年にかけて、世界各国で政権の交代が起きています。21世紀の10年間にかんすんでいた地球の姿が変わる予感がします。フランスの大統領が交代して、アメリカでは、オバマ大統領が再選されました。中国では、あれだけ人口の多い国なのに、共産党の一党独裁体制です。韓国は大統領に女性が就きました。日本の政治家とは違う環境で育ちました。血の涙を流した経験をもたれている、すさまじい人生を生きてきた人です。
日本では新しい政権になり、景気の回復が見込まれますが、今後の予想を的確に読むことはできません。安倍首相が政権に就いた途端、円安が起き、株価が上がってきました。安倍さんが指を振ると株高になったというのは、偶然の出来事だと言われています。
技術の進歩では、最近私もスマートフォンを持っています。いくつかの種類があることをご存知ですか。1つに、携帯電話があり、これは古い電話機能のものです。次にスマートフォンというのは、携帯電話にパソコン機能があるものです。3つ目は、タブレットというもので、例えばアイパッドがあります。最後にパソコンがあります。以上の4種類のものがあります。今は、歩きながら使えるスマートフォンが最先端です。昔は新聞や本を読んでいましたが、ほとんど使われなくなりました。新しいニュースも観ることが出来るようになりました。
それを使っての選挙予想はあてにならないことがおきました。今回の衆議院選挙で、嘉田さんの未来の党が、世論調査で、自民党についで第2位の予想でしたが、予想があてにならないことが判明して、嘉田さんは哀れでした。今年も7月の参議院選挙に向けて、世の中の変わり方が激しいことを感じてください」と結ばれました。
Written by マロンさん
学芸員の投稿
Update: 2013年02月15日
錦織公園の梅の里での「寒梅会」下見
2月16日に行なわれる「友達の輪」の2月例会が、錦織公園の寒梅会と決まったので、2月9日、下見に藤田幹事と出かけました。金剛駅に9時45分に集まって、錦織公園へ向かいました。10時30分に西側の入口に到着しました。その後、園内を散策して梅の里へ向かいました。
錦織公園は、羽曳野丘陵の南端に位置する、その面影を残した起伏にとんだ地形を保持し、「豊かな緑の中で自然とのふれあいの場」として、親しみ、楽しめる公園として造られました。東から南へ、二上山・大和葛城山・金剛山・岩湧山・和泉葛城山の雄大なパノラマを望むことができます。東側には堂ノ山古墳があり、一辺が10mの方墳で石室が南北方向に2基並んでいます。同一墳丘内に石室を2基持つ古墳は珍しく、朝鮮半島の影響を受けたものだそうです。
パンフレットでは、豊かな自然環境が残っている羽曳野丘陵にあり、園内には河内地方に広がっていた里山の風景を再現した「河内の里」や、子どもたちに人気の大型遊具がある「やんちゃの里」「水辺の里」があります。また、大阪みどりの百選にも選ばれていて、「梅の里」「桜木の里」「つつじの丘」など四季の移ろいを肌で体感できる散策路も充実しています。その他、自然や年行事をテーマにしたイベントを「里の家」や「山の家」で毎月開催するなど、来園者の皆さんに楽しんでいただいてます。
今回の梅の里は、面積が約8000㎡あり、25品種の約500本が植えられていて、品種によって、花の形、花の色、開花時期が異なります。今回の下見では、冬至梅(白)・鹿児島紅(赤)・八重寒紅(赤)が、蕾と少し花が咲いていました。下見であり、そのまま南出口から45分ぐらいで、千代田駅まで歩きました。
Written by マロンさん
学芸員の投稿
Update: 2013年02月08日
平成25年2月の河内長野市観光案内所ディスプレイ
2月の河内長野市観光案内所のディスプレイで、カサブランカさんのコメントは「暦の上では春とはいえ、まだまだ寒さが厳しい今日この頃です。寒波到来で、春は遠いようです。今月のメインテーマは、“いよいよ春到来”。サブテーマは“高野街道 酒蔵通り”として、西條酒造さんのご協力で、昔の写真や数々の天野酒を展示することができました。今回、西條酒造さんの新しいパンフレットも案内所に設置しています。
さをり蔵 主宰佐藤幸美先生からは、“さをり織り”の作品をお借りできました。来月3日は桃の節句。ボランティアガイド有志の方から“貝殻のおひなさま”を作っていただきました。とても、かわいい大中小のおひなさまです」でした。
サブテーマ「高野街道 酒蔵通り」で、西條酒造さんの協力で、古い5枚の写真(お店の写真や酒造りの風景・現在の酒林)と天野酒の瓶詰めされた、大吟醸天野酒当のお酒が展示してあります。展示の一番上の童謡の書は、“春が来た”です。♪春よ 来い 早く 来い…歩きはじめた みぃーちゃんが…です。下段の花の飾りは、庭に咲いたネコヤナギと紅白の寒椿を藤のかごにアレンジして配置されています。大野さんの高齢のお人形は、“春が待ち遠しい親子”です。お餅を焼いて 家族団らんです。
Written by マロンさん
学芸員の投稿
Update: 2013年02月08日
あびこ観音「節分厄除大法会」
あびこ観音は、古来よりあらゆる人々の災難を防ぐ”厄除けの観音”として、代々の天皇や源氏、平家の武将、楠正成、足利将軍など、多くの人々の崇敬を集めてきた。
毎年2月の日本最古の伝統を持つ厄除けの行事「節分厄除大法会」には本尊が開帳され、厄除開運、無病息災等を願う参詣者で境内は大変賑わい、地下鉄「あびこ」駅前、JR「我孫子」駅前からあびこ観音までの道に数百の出店が並ぶ。
修験道形式の天蓋護摩が有名で、奉書で作られた天蓋を天井に吊して護摩を行う。護摩の炎が天井近くに至っても紙製の天蓋は燃えないという。
日本最古の観世音菩薩の寺院で、昔この地に住んでいた依網吾彦(よさみのあびこ)の一族が、百済の聖明王から身の丈一寸八分の観音像を贈られ、欽明天皇7年に寺を創建。その後、聖徳太子が観音菩薩のお告げを受け吾彦山観音寺が建てられたと伝えられている。江戸時代には境内に36の支院があるほど隆盛をきわめたが、明治14年の火災で多くの寺宝と共に焼失し、その後明治23年に再建された。
また、さまざまな逸話が伝わっており、その中に徳川家康が大阪夏の陣で秀吉の軍から逃げてこの寺にかくまわれた話がある。そのときの和尚快敬(かいきょう)が偶然、家康と旧知の仲で、家康を本堂の須弥壇にかくまい真田の軍をやりすごし無事に家康を逃がしたと伝えられている。
ここは生者のための寺であり、お墓はない。死者を供養することがないので、檀家ではなく一般の信徒によって支えられているという。
Written by ユーミン
学芸員の投稿
Update: 2013年02月05日
天王寺七坂
「天王寺七坂」とは、大阪市の中心部を南北に走る上町台地の西縁に沿った七つの坂。
北から「真言坂(しんごんざか)」「源聖寺坂(げんしょうじざか)」「口縄坂(くちなわざか)」「愛染坂(あいぜんざか)」「清水坂(きよみずざか)」「天神坂(てんじんざか)」「逢坂(おうさか)」で、それぞれが個性ある風景を持っている。
・「真言坂」千日前通りから生國魂神社北門までの坂。千日前通りができる明治末期までは北にある高津宮の参道から続く長い坂だった。かつて生國魂神社の北側には真言宗の寺ばかり6坊があったことから「真言坂」と呼ばれた。
・「源聖寺坂」坂の上り口の源聖寺が名の由来で、坂の上の銀山寺には近松門左衛門の「心中宵庚申」にでてくるお千代・半兵衛の比翼塚がある。
・「口縄坂」坂の下から眺めると道の起伏がくちなわ(蛇)に似ているところから名付けられた。坂の上には、織田作之助の文学碑。少し南側には鎌倉前期の歌人で新古今和歌集の選定者、藤原家隆の墓があり顕彰碑が建っている。
・「愛染坂」坂の下り口の愛染かつらで有名な愛染堂勝鬘院が名の由来で、境内の多宝塔は大阪市内最古の建造物で重要文化財に指定されている。愛染堂の隣の大江神社には「夕陽岡の碑」がある。
・「清水坂」坂の上の清水寺から由来し、境内は通天閣などが一望できる格別の眺望。境内の崖には市内唯一の滝「玉出の滝」が流れている。
・「天神坂」坂の下の安居天神(安居神社)から由来し、境内は真田幸村戦死の場所で本殿わきに「真田幸村戦死跡之碑」がある。天王寺七名泉の1つ「かんしづめの井」もある。
・「逢坂」西側から四天王寺西門に至る坂道。昔は「合坂」とも表記され、坂の下の辻は「合法ヶ辻(がっぽうがつじ)」と呼ばれ聖徳太子と物部守屋が仏法を論じ合い法を比べ合わせた場所だといわれている。
Written by ユーミン
学芸員の投稿
Update: 2013年02月05日
愉快・爽快・空海ウォークの第2回目が行われました
2月2日、西高野街道観光キャンペーン協議会主催の「いにしえの道・西高野街道を訪ねて」のハイキングが行なわれたので、大阪狭山市のさやか公園に出かけました。かわちながの観光ボランティア倶楽部のパンフレットと、19コースのハイキング計画を持って行き、配布しました。ボランティア倶楽部の広報班は、千早口駅前でパンフレットを配布しました。9時に着いたら、すでに曇りの霧の中、100名ぐらいの方が、ストレッチ等をされていました。その中に、2人の知り合いの顔を拝見し、挨拶しました。皆さんには、パンフレットと19コースの計画を受け取っていただきました。やはりハイキングをする人には必要だと思いました。
9時半からスタートし、皆さん、一目散に千早口駅前に向かわれていました。
コースは、狭山池→岩室交差点→天野街道・西高野街道分岐点→西高野街道→十里程標→松林寺→中・西高野街道合流点→清明塚→九里程標→河内長野駅前→長野神社→烏帽子形神社→高野街道→三日市町駅前→八里程標→南天の道→千早口駅前の15.5kmです。
かわちながの観光ボランティア倶楽部では、松林寺・清明塚・長野神社・烏帽子形神社の4か所で定点ガイドに立ちました。今回は千早口駅前に出来た「友邦」の開店を知らせる内容で、食事が素晴らしいと下見に行かれた女性が、参加者に声を掛けられていました。昨年から始まった高野山開創1200年祭の「黄金のまち堺から聖山高野山へ」のプロジェクトからは、藤田・徳永さんのほか1名が参加されていました。参加者の方の報告では、友邦もお客さんでにぎわっていたそうです。
9時45分に調査したら、350人が出発していました。10時10分までは参加を受付けるとのことでした。
大阪狭山市駅に電車が着くと、どっと人が現れてきました。最終参加者は437名でした。
Written by マロンさん
学芸員の投稿
Update: 2013年02月05日
地域で支える「子どもと親」という講座
大阪樟蔭女子大学の荻原先生の講座は「地域で支える『子どもと親』」です。
先生は高校教諭から府の教育委員会に在籍のときに、次の3点を研究されていました。
「(1)子どもと親を取り巻く近年の社会変化、(2)大阪府:親学習の取り組み、(3)これからの子育て・親育ちと地域・社会 という3項目を少子高齢化の話の中で、子育てを含む家庭を取り巻く状況と地域の関わりを話してみたいと思います」と話されました。
「2006年~2012年の家庭教育と社会を巡るトピックスとしては、少子化が進むとともに、保護者の育児ストレスや育児不安の増加、さらには育児放棄や子どもへの虐待など、「親であること」の危機的な状況があらわれています。子育てを応援してくれる人が身近なところに多くいたころと違い、都市化・核家族化した中での子育ては、保護者と子どもを行き詰まりの状況に追い込んでいます。子育て家庭以外の世界との交流がなくなり、人間関係を膨らませるファクトが少なくなっています」
その後、大阪府の「親学習」の取り組みの説明がありました。
「これからの地域の共同のあり方では、小泉吉永さんの「江戸期の子育て:江戸の教育に学ぶ」で、子どもを見つめる大人の「まなざし」が、銭湯を始めとするいたるところにあって、お年寄りが地域の教育力を担っていたと思います。人生の節目・節目にあった「仮親」制度の絆を大切にしたい」と話されました。
戦後の子どもと高齢の数をグラフに落として、各年の数値を合計していくと、高齢者と子どもの合計は、増えてきています。お互いが地域で活動しています。色んな大人が暮らしておられるので、活動の機会を与える必要があります。総人口が減る中でも、地域で活動する人材は増えていると思います。我々の社会は、想像以上に厳しい状況ですが、地域という枠の中で活性化を図っていきたいと思います」と結ばれました。
Written by マロンさん
学芸員の投稿
Update: 2013年02月01日
花フェスタ3でのつまようじで作った「彦根城」
1月27日、滝畑班のブースの横が、広栄社の「つまようじ」の紹介ブースでした。午後から、稲葉社長ご自身が参加して、PRされていました。入口側に「国宝彦根城」が、つまようじを使って作られていました。近江八幡市の佐藤さんが、つまようじ15,200本を使って、詳細な彦根城を、1日2~3時間、計10ヵ月費やして作られたそうです。今回、雪で運びこめないと困るので、1日前に自家用車で運びこまれたそうです。
河内長野市はつまようじの生産地です。
広栄社の初代社長・稲葉由太郎さんは、大正10年三重県で創業し、大正13年アメリカから製造機械を一部導入し、それを河内長野市に設置して、日本で初めて白樺による機械生産を始めました。苦心の末、「平ようじ」を作りました。海外市場を開拓して、河内長野が独占産地として、全国の96%を占めています。
丸いようじは、欧米では、カクテルピックと呼ばれています。「つまようじ」の先進国である北欧では、二等辺三角形になっています。高付加価値をつけて生き残るために、三代目の現社長は、2000年から龍谷大学の協力で、2年半の歳月をかけて、三角形のようじを開発し、2003年から販売しています。三角ようじ「デンタルピック」は、単に歯の間に詰まった食べカスを取る道具としてではなく、「歯と歯茎の健康に役立つ」用具として開発されました。歯と歯の間の形状に合わせて開発されているので、断面が二等辺三角形になっており、上の二辺で歯の汚れを除去、底辺で歯茎をマッサージします。このマッサージが歯肉の組織を活性化させ、歯周病菌などに対し、抵抗力を高めます。つまようじが進化しました、と書かれています。
現社長は「つまようじ資料館」を開設して、見学者にはご自分で解説の任に当たられています。通常は土曜日の9時から16時までです。入場無料、事前に問い合わせてください(電話 0721-52-2901)。
Written by マロンさん