みんなの広場

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Update: 2013年03月27日
大阪市公館の裏の水防碑
 この水防碑にも明治18年6月の水害の事跡が刻まれています。昭和55年秋に大阪市が建立した碑です。
 この場所は小学校の副読本「わたしたちの大阪(北河内版)」日本文教出版発行で、登場する「わざと切れ」の行われた場所であります。
 このあたりは江戸時代中期から北河内地区の水防要所だったようで、わざと低めの堤防をつくって、この石碑より東側にあたる北河内地区の輪中地帯に溜まった水を大川へ戻していたそうです。
 この堤防は江戸時代には享保20年、享和2年、文化4年にも輪中の内側の溜まり水を抜くために開かれましたが、当時の記録を吟味してみると、明治18年も含めて、なんと享和2年以外は、溜まり水が思ったように抜けなかったそうです。
Written by 暇仁
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Update: 2013年03月27日
澱河洪水記念碑銘
 これは、都島区中野町の桜宮神社にある石碑です。桜宮神社はほかに3つ以上記念碑が建っていて、記念碑マニアでは有名なスポットかもしれません。
 この記念碑は明治18年の淀川水害のことを刻んだ石碑です。
 明治18年の水害は、淀川流域では象徴的な水害だったのでしょうか、ほかにもそれを伝える記念碑が淀川最下流から枚方まで6つ(重修桜堤碑、淀川大洪水記念碑、墾田紀功碑、赤井堤記念碑、修堤碑、明治十八季洪水碑)以上あります。それぞれの場所で、明治18年水害を伝えています。地域減災活動の原点かもしれません。
 碑文には明治18年6月枚方市伊香賀で堤防が切れ、北河内全域まで浸水が拡がり、大阪市公邸あたりの堤防を人工的に開いて(俗称:わざときり)、北河内全域の水を大川に戻しました。その後、暴風雨が来て、さらに被害が拡大した。
 同時に大阪府知事の建野郷三の強いリーダーシップが称えられています。なお碑文は明治碑文集に掲載されていて、摂河泉洪水記念碑として確認できます。http://school.nijl.ac.jp/kindai/HRSK/HRSK-00223.html
Written by 暇仁
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Update: 2013年03月27日
卒業制作で町を元気に
 これは寝屋川市のある学校の卒業制作です。
 また街角にミュージアム作品が増えました。
 大東市立住道北小学校前の寝屋川堤防を利用した友情ロードほど、まだまだ整備されていませんが、今年も卒業制作が追加されました。
 テーマは春夏秋冬とのこと。
 この学校区は昨年8月14日早朝には時間雨量100㎜を越える豪雨で、床上浸水は183件床下浸水281件もの被害が出ていました(寝屋川市12月度資料)。寝屋川市内ではもっとも被害密度が高い地域でした。今でも雨が降れば、ふだんほとんど水がない河川が増水して道路に水が溢れる光景がしばしば見られます。
 地域に活力を与えるすばらしい演出です。
Written by 暇仁
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Update: 2013年03月26日
天下茶屋めぐり
こんにちは。はんたろうです。
先日、大阪市西成区の天下茶屋界隈に行ってきました。
北摂エリアの私からすると、ちょっと気になる街でようやく2度目の来訪でしたが、地下鉄・南海天下茶屋駅のすぐ近くにも大阪のいい風情を感じる風景が盛りだくさんでした。
ご紹介する写真は地名の由来ともなっている「天下茶屋跡」です。
天下茶屋は豊臣秀吉と関係があり、住吉大社への参拝のときに、元々名水が沸くこの地で構えられていた屋敷に立ち寄った時に茶の味に感激され、「殿下茶屋」や「天下茶屋」との呼び名で知られるようになったことが由来だそうです。
しかし1945年の大阪大空襲に遭ったため、今はその由緒ある屋敷の茶屋もほぼ無くなり、石碑が歴史を物語っているのみとなっています。
その他、周辺には寺社も点在していて、天下茶屋駅の東の方には古墳の跡とされる聖天さんこと「聖天寺」の小高い丘があって階段を登り境内に入ると、キタの遠景も楽しめます。
ところどころに安い「立ち飲み屋さん」や「たこ焼き屋さん」、チン電こと「阪堺電車」が1両で踏切の音と共に市街地の真ん中を頑張って走っています。
そんなよき時代の面影を残しつつも、天王寺の新名所である「あべのハルカス」の高層ビルが垣間見れたりと、古きを温め、新しきも受け入れる街の魅力を感じたのでした。
地域の個性がある大阪の街めぐりは、新鮮な発見が多いと思います。是非行かれたことのない場所へは、足を運んで頂きたいと思います。きっと何かを感じますよ。
●天下茶屋跡
大阪市西成区岸里東2-10-9
Written by はんたろう
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Update: 2013年03月26日
長居植物園のコブハクチョウ
大阪市東住吉区にある長居植物園の大池にコブハクチョウが2羽います。
大阪市内とは思えないほどのゆったりした環境の中で生活をしています。
旭山動物園生まれで羽根を切ってあるので飛べませんが、とても人なつこいハクチョウです。
「ツガイでいつも一緒、仲がいいなあ~~」
思って調べてみたら、ツガイだと誕生したヒナの管理が出来ないのでオス同士らしいです。
人のいるところに必ず寄ってくるのでみんなの人気者です。
Written by ユーミン
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Update: 2013年03月26日
大人のための「絵本の読み語り」(後半)
大人のための「絵本の読み語り」(後半)は、始まる前に、筒井さんから話がありました。
「私は5年前にミュージパークネットを立ち上げて活動してきました。皆さんとのネットワークを繋ぐ活動で、1月に行われた花フェスタでは、大ホールのホワイエで、ガイド倶楽部の方が紙芝居を実演されていました。人の声の話しぶりの素晴らしさを聴き、今回参加してほしいとリクエストしました」
ガイド倶楽部が紹介され、木下さんから滝畑班の紹介がありました。当日の紙芝居は、恒例の「滝畑に磨崖仏あり」です。三輪さんと津野さんが行われました。三輪さんは檜の匂いがついたコースターを配布して、滝畑の雰囲気を感じてもらいながら、紙芝居を実演され、最後に、宮本住職から紹介された座って出来る体操「おつむてんてんの歌」を紹介しました。
津野さんは、宮本住職が紙芝居を作られた経緯について紹介されて、声の音や話しぶりで違いを証明されました。拍子木の音が快く響きました。
その後「ごあいさつ」という絵本を描かれた吉波喜久ゑさんの紹介がありました。「35年間保育に関わってきて、絵本を読んできました。目を閉じて聴いて下さい。「ごあいさつ」の本を読ませて頂きます。私とバラと市役所が、60歳を過ぎた私を、輝かせるものだと感じています。心が磨けるところだと感じて、「ご挨拶」という本を作りました」と話されました。
「そらはほんのすこし あかるくなりました。」から始り「おはなさん どうもごちそうさまでした。たのしかったね さようなら」で結ばれた詩です。まる詩です。
最後に向井さんがお好きな絵本作家・葉祥明さんの「母親というものは」と言う詩を読んでもらい、ラストは「おまえはうまそうだ」という宮西達也さんの絵本を二人で読まれて終わられました。
Written by マロンさん
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Update: 2013年03月26日
大人のための「絵本の読み語り」(前半)
3月20日河内長野駅前のにぎわいプラ座で、大人のための「絵本の読み語り」が開催されました。ガイド倶楽部の滝畑班が協力しながら、河内長野市の筒井幹夫さんと向井ひろこさんが中心となり開催されました。
向井さんは兵庫県の出身で、関西大学初等部ライブラリーで司書をされています。開催挨拶で筒井さんは、「河内長野市でも、色んなイベントが開催されて賑わっています。今回は宣伝もしなかったのに、大勢の方に参加して頂けました。向井さんと二人で、絵本の読み語りを行っています。読み聞かせではなく、読み語りというスタンスです。
本日は、ゲストに吉波喜旧ゑさんをお招きしています。第二部ではガイド倶楽部の方に紙芝居の実演をしてもらいます。新しい楽しい集いとしたいと思います」と話されました。
絵本が並べて展示されていました。「知ってるねん」長谷川義史さんが作られた絵本で、「ワニさんどきっ 歯医者どきっ」は五味太郎さんの絵本です。「おじいちゃんのおじいちゃん」は、筒井さんが好きな長谷川さんの本です。絵も素晴らしい絵本です。「食いしん坊のドウース」は岡崎礼奈さんが作った絵本で、梅花女子大学の学生さんです。物語は歯が生え替える幼児の心配事で、刺激的な本です。年配の方も保育園児も熱心に聴いていました。
「No David」はアメリカ人が描いた絵本で、英語で読むのも良いですが、今回は大阪弁バージョン「あかん・デビット」として読んでいました。最近はハグする親と、ハグをしない親がいます。
「走る・チン・チン」は筒井さんが好きな話です。作者は大人の漫画を描いてきた、しりあがり寿さんです。大人の人に読んでもらいたくて、絵本を描かれています。
最近は絵本の力が認められてきています。前半の最後は、「車を押したキツネ」という兵庫県美方町の民話でした。今後は河内長野の民話にも挑戦したいと話されました。
Written by マロンさん
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Update: 2013年03月26日
平成25年度金剛寺の正御影供
16日にふるさと歴史学習館のボランティアに行ったら、特別室で「天野山金剛寺 正御影供(しょうみえいく)が、4月21日正午から開催」の紹介が行われていました。学習館の特別展示室で、昨年の正御影供の様子が、一部実物の展示と写真、及びDVDで放映されていました。学習館を訪ねられた方は、金剛寺の正御影供の様子の詳細を観る事が出来ます。天野山金剛寺の正御影供というのは、平安時代の末期の承安2年(1172年)に、阿観上人が修したのが始まりで、以来800年以上続く弘法大師の命日の法要のことです。金剛寺で4月21日に行われます。この時に「百味飲食(ひゃくみのおんじき)」と呼ばれる、山・海・川・里で採れた様々なお供え物が、一週間前頃から準備して作られます。これは、始めに金堂に供えられて、次に御影堂へ移されます。正御影供は、正午から始まります。法螺貝の音と共に山伏が先導する信徒・遍照会・奉賛会・金剛婦人会・御詠歌隊・稚児・大導師の順で、散華を撒きながら行列が金堂へ入り、法要が始まります。僧の読経の半ばから、金堂に供えられた百味飲食を、御影堂へ移す「奠供(てんぐ)」が行われます。奠供とは、何人かが、供えものを手から手に渡して、お供えすることを言います。供え物に息がかからない様に、白い布で口と鼻を覆って行います。その方々を「奠供さん」と呼び、天野の里の人が務めます。御影堂に祀られている弘法大師(御影)の前に供えられます。金堂での法要の後、一同(稚児以外)は御影堂に移り、御影堂法要が行われます。その後に餅撒きが盛大に行われます。現在の金堂は、平成の大修理の最中です。五仏堂を中心に行われる様です(写真はふるさと歴史学習館に展示されているものです)。金剛寺へのバスは、河内長野駅前の7番乗り場で、光明池駅行きに乗車「天野山」で下車して下さい。毎時35分発です。
Written by マロンさん
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Update: 2013年03月26日
河内長野市の小塩町の役小角坐像
小塩町の境界、お地蔵さんの山の土手に、小さな祠があり、役小角像が鎮座しています。小塩町は高台の上にあり、北西の道路沿いには地蔵菩薩と役の行者像があります。また、北東方向の道にも、地蔵菩薩が祀られていて、小塩村当時の古絵図には「陣屋の間」と言う表現で、家々が描かれていて、郷土研究会の竹鼻さんによれば、北条氏の陣屋に近いものがあったようです。北条氏は豊臣秀吉と小田原の戦いを起こして、北条家を残す為の和議で、高野山へ長男の氏直と伯父さんの氏規が蟄居させられました。その後、氏直は豊臣秀吉から河内国7000石を与えられました。高野山が寒いため、秀吉さんに許されて、支配地の滝畑で隠遁生活していました。従えてきた300人の家来の内20数人が、この小塩村に移動してきました。東側の崖下には天見川が流れていて、その川に沿って岩湧街道が走っています。付近には風呂谷と言われる冷泉が湧き出しており、江戸時代に、準旅籠の油屋さんの温泉として利用されていました。古い伝説では弘法大師が、中国の元が九州に攻めて来たとき、祈祷に向かう僧の足を治したとの由来があります。
旧村の入口には、疫病が入らないように、地蔵菩薩が祀られていますが、この地では更に役の小角も祀られています。ウィキペディアに、『役 小角(えんのおづぬ、舒明天皇6年(634年)伝から大宝元年6月7日(701年7月16日)伝)は、飛鳥時代から奈良時代の呪術者である。姓は君。修験道の開祖とされている。後の平安時代に山岳信仰の隆盛とともに、役行者(えんのぎょうじゃ)と呼ばれるようになった』と書かれている人です。河内長野市内には、数体の役の小角像があります。村の人はこの役の小角を、代々お祀りしてきたのでしょう。お花が活けてありました。
Written by マロンさん
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Update: 2013年03月21日
滝畑の後光滝経由して三国山周遊ハイキング
9時4分発の滝畑ダム行きのバスに乗車しました。1日フリー券600円を購入して、滝畑を往復する予定です。当日は、中高年ハイキングクラブさんの計画で、滝畑の奥河内と言う三国山(河内・和泉・紀州の交差したところ)周辺を回遊するハイキングの計画に参加しました。中高年ハイキングクラブの井原・熊村・馬場さんの3人と、ガイド倶楽部からは渡邊班長と私の2人です。
滝畑は快晴で、気温は5度。肌寒い風景でしたが、元気に後光滝へ向かいました。途中の稚児の滝(約20m級)は、普段は水が少ないのですが、素晴らしい滝となっていました。後光滝の東屋には10時30分に到着しました。ここも水量が多く素晴らしい滝でした。10分ほど歩いて、本格的な山登りとなりました。20度ほどの山肌を必死に登ったら、10分ほどで平坦な山道になりました。屋根には日光が当たらないので、シモバシラが出ていました。燈明岳への道と神野への分岐点で、昼食を取りました。井原さんがリュックに、うどんをみんなに食べてもらうために準備されていました。ガスバーナーで、大きな鍋に水を入れ、うどん玉や具を入れて、煮て温かいうどんをいただきました。12時15分に出発して、午後は三国山へ向かいました。途中宿山・七越峠には茶屋があったそうです。この道は、コンクリートで、足には悪いものでした。13時20分に到着した三国山は、対空送信所と対空路監視レーダーとの間に886mの三角点がありました。その後、千本杉峠へ向かい、ここから杉の林の中を滝畑への下りとなりましたが、途中にたくさんの折れた木が道をふさいでいました。麓への下りの道は、落ち葉で歩きやすいものでした。この辺りには、初めて目にする滝が3か所ありました。後光滝の分岐点へ14時55分に帰ってきました。全体的に木々の中を歩く森林浴ができるコースでした。16時17分発のバスに乗車して帰りました。
Written by マロンさん