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学芸員の投稿
Update: 2013年10月08日
平成25年度の河内長野市「だんじり祭り」
1日、河内長野駅前に「だんじり祭り」の看板が登場しました。
10月12、13日に、河内長野だんじり祭りが開催されます。千代田地区(7台)、長野地区(8台)、三日市地区(6台)、高向地区(3台)の4地区で、24台のだんじりが登場して賑やかに行われます。
12日は、
千代田地区は千代田神社へ11時に宮入し、正午に出発。
長野地区は、7時半に長野神社でお祓い、西代神社へ9時半に宮入し、10時50分に出発。
三日市地区では、赤坂上之山神社と烏帽子形神社へ7時、8時半に宮入。
高向地区は、高向神社に正午に宮入し、16時に御旅処から宮出。
午後からは各地区のだんじりパレードが行われます。
13日は、1日中市内がパレードで賑わいます。
河内長野だんじり祭りの歴史は、文久3年(1863年)に、高向神社に奉納された「高向神社祭礼図絵馬」にだんじり祭りの様子が描かれ、また、江戸幕末に烏帽子形八幡神社関連の諸事が書かれた「氏神八幡宮百燈出来手続書」には、寛政9年(1796年)に上田の地車が製造されたことが書かれています。
昭和20年代前半の困難な時世でも、先人の方々がこの河内長野だんじり祭りの火を絶やすことなく守り続けてきて、平成の現在に至るまで、約半世紀以上にわたり「伝統継承」が行われています。
江戸時代中期に、上田・高向で地車が最初に登場したと思います。上田町の地車は堺形の地車です。「槍廻し」ができる構造ではなく、ゆっくりした運行が堺形の特徴となっています。
祭神の八幡さんを乗せて、ゆっくり移動させて、氏子の村々を回り、各家庭を巡回して、五穀豊穣を祈ります。
今では、このことを知らない人が多く、岸和田のだんじりの様子がテレビなどで紹介されるので、若い人が槍廻しなどをやっています。
ここの地車が神様の移動のものと知らずに動かしていると、郷土史家の竹鼻さんも話されています。
Written by マロンさん
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Update: 2013年10月08日
「河内長野の古墳時代」の展示会
くろまろ館では、11月17日(日)まで、企画展示「河内長野の古墳時代」が開催されています。渡来人たちのシルエットということで、渡来人が残してくれたすばらしい技術を見ることができます。
渡来人は、朝鮮半島で大規模な政治的・社会的な動きがあったときに、日本へ渡来したと考えられています。時期としては、第1波は縄文時代~弥生時代前期、第2波は古墳時代中期から5世紀前後、第3波は古墳時代後期の5~6世紀、第4波は飛鳥時代の7世紀の百済の滅亡(660年)までです。
内陸部の河内長野へは、4~7世紀にかけてやって来られた人々が渡来人だそうです。やはり石川沿いの農地が開かれたのだと思います。三日市駅前付近では、弥生時代の丸い竪穴式の住居や古墳時代の四角の住居跡が出土しています。中央にあった炉が、壁際に新式のカマドで作られており、韓式の土器を使って、甑(コシキ=蒸し器)と長胴甕(チョウドウガメ)のセットで、炊飯が行われていたようです。
また2本の古刀のうち、10号墳出土のものは、圭頭柄頭大刀と呼ばれ、13号墳から出土したものは、円頭柄頭大刀と呼ばれています。現在は修復されたものも展示されていて、市文化財です。大阪府内では、9刀出土しているそうです。
渡来人の乗馬の風習も、馬とともに伝わりました。四條畷の「牧」で飼育されて、河内長野にもきたようで、装飾された馬具が出土しています。
くろまろ館は花の文化園の南側にあり、河内長野・三日市からハイキングされても、楽しい時間が持てます。1時間ぐらいの距離です。月曜日が休館日で、開館時間は9時~17時です。
特別歴史体験では「韓式土器を作ろう」です(材料費300円)。
10月19日(土)には「海を渡ってきた人々と土器」という講座が、14~15時30分まで行われます。電話0721-64-1560で受付中です。入場は無料です。
Written by マロンさん