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飯盛城跡(いいもりじょうあと)
大阪府と奈良県の境界を南北に連なる生駒山地の北支脈である標高約314mの飯盛山の山頂一帯に立地し、城域は南北約700m、東西約400mに及ぶ、西日本有数の規模を誇る山城です。戦国時代末期の永禄3年(1560)に三好長慶が入城したあとは、当時の日本の中心であった京都や五畿内を支配する拠点として機能し、連歌や茶の湯などの最先端の文化交流の場ともなりました。また当時、城を訪れたイエズス会宣教師を通じてヨーロッパで刊行された文献や地図でも紹介されています。城跡には多数の曲輪や石垣、土塁、竪堀、畝状空堀群などの遺構が良好な状態で残っています。また発掘調査により、「織豊系城郭」に共通する3つの要素とされる石垣、礎石建物、瓦を先行して取り入れられたことが判明した、城郭史上貴重な城跡です。平成29年4月「続日本100名城」に、令和3年10月に国の史跡に指定されました。
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大阪市立阿倍野防災センター 体験型防災学習施設「あべのタスカル」(おおさかしりつあべのぼうさいせんたー たいけんがたぼうさいがくしゅうしせつ あべのたすかる)
阿倍野防災センターは平成16年に開館し、現在では南海・東南海地震や南海トラフ巨大地震などの大災害に備えるため、自分の住む地域の特性に応じた災害危険を認識することで、自分に必要な知識や技術を選択し、体験を通じて学ぶことができる、体験型防災学習施設となっています。平成31年には東日本大震災をはじめ近年発生した災害の教訓を取り入れた学習施設「あべのタスカル」へとリニューアルしました。
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鉢伏山西峰古墳(はちぶせやまにしみねこふん)
鉢伏山西峰古墳(はちぶせやまにしみねこふん)は、鉢伏山から西に伸びる尾根上に築かれています。この尾根の標高は約135メートルで、西方には大阪平野を見渡すことができ、5世紀の大王墓群である古市古墳群のビューポイントにもなっています。
この古墳は平成5年(1993年)に発掘調査が実施され、一辺約12メートルの方形の墳丘であることがわかりました。埋葬施設は、飛鳥時代に特有の「横口式石槨(よこぐちしきせっかく)」と呼ばれるものです。棺を納める「石槨部」の前に「前室」を設け、そこに至る「羨道(せんどう)」が付設されています。早くから開口していたので、棺や副葬品は残っていませんでした。
鉢伏山西峰古墳の横口式石槨の石槨部は、この古墳が立地する地形の岩盤の露頭を刳り貫いて非常に精巧に造られています。「漆喰(しっくい)」と言われる白色の上塗り材が石槨部の壁面の一部に残存していました。また、前室の床には白色の凝灰岩の切石が敷かれていました。出土した土器などから、7世紀半ばに築造されたものと考えられます。7世紀代を中心とする飛鳥時代に築かれた古墳は、一般的に「終末期古墳」とも呼ばれています。
横口式石槨をもつ終末期古墳は、全国でも数が少なく、特に「河内飛鳥」や「大和飛鳥」に集中して見られます。とりわけ、鉢伏山西峰古墳は、発掘調査によってその全貌が明らかになった事例として大変貴重なものです。現在、この古墳は整備されており見学することができます。 -
飛鳥ワイン(あすかわいん)
ぶどうの栽培からワインづくりまで、品質へのこだわりが自慢のワイナリー。
全国環境保全型農業経営コンクールで草生栽培が評価され、奨励賞を受賞しました。
さらに、毎年のように日本ワインコンクールでも受賞を続けている本物のワインづくりは、様々な体験ツアーなどで多くの人に公開されています。
栽培ボランティアでは、ワインづくりを夢見る若者が集い、工場・ぶどう畑見学ツアーにはファミリーも訪れ、にぎやかな休日になります。
ほかに、「マイワイン造り」、「オリジナルラベルづくり」など、ワインを通した人々の輪が広がるアイデアイベントがたくさん行われています。
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SENNAN LONG PARK「泉南りんくう公園」(せんなんろんぐぱーく せんなんりんくうこうえん)
関西国際空港の対岸に位置し、「恋人の聖地」泉南マーブルビーチや毎年海水浴場として賑わう「タルイサザンビーチ」に隣接する南北約2kmのエリアにオープンした、美しい自然を存分に生かした公園です。
アクティビティエリア、コミュニティエリア、マルシェエリア、グランピングエリアからなり、地元の恵みを生かした食、スポーツ、レジャーをまるごと体験できる、関西最大級のレクリエーション施設です。 -
椋橋総社 摂社“出世亀菊天満宮”及び庄本町のまちなみ
庄本町一帯は、京の朝廷対鎌倉幕府の戦乱、”承久の乱(1221年)”の発端の地であると伝わっている。その名残は、庄本町の氏神である椋橋総社とその摂社“出世亀菊天満宮”にも見ることができる。今年(2021年)、承久の乱から800年を機に、地元市民の会により、ゆかりの地であることを解説する案内板も設置された。また庄本一帯はかつて瀬戸内から京の都へ物資を中継する港として栄えた地で、鎌倉時代の集落の水路遺跡なども発見されている。境内や近隣の散策も楽しめる魅力あるスポットである。
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泉南石綿の碑(せんなんせきめんのひ)
「泉南石綿の碑」は、泉南アスベスト国家賠償請求訴訟の原告勝訴と石綿被害により奪われた多くの命の鎮魂、さらにすべての石綿被害根絶の願いを込めて、石綿産業と被害の原点の地である泉南市信達地区に建立された記念碑。
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アトリエ泉南石綿の館(あとりえせんなんせきめんのやかた)
「アトリエ泉南石綿の館」は、2019年4月に、戦前戦後の石綿紡織産業の最盛期に石綿の危険性を訴え続けた故梶本政治医師の医院跡地に建設された石綿被害を後世に伝えるための資料館。故梶本医師の遺品や住民運動、泉南アスベスト国家賠償請求の記録等が展示・保管され、石綿被害根絶の活動拠点となっている。
※個人宅に併設している資料館なので、必ず事前にご連絡をお願いします。 -
船場のまちなみ(せんばのまちなみ)
船場地区は、豊臣秀吉の大坂城築城に伴い、外堀の西側に造成されました。港から大阪城に向かって、船場のまちは東西の「通」を軸として発展、これに南北の「筋」が交わる格子状のまちがつくられ、今も当時のまち割が残っています。明治以降、堺筋や御堂筋等の整備により、人の流れは南北の「筋」が中心になりましたが、通りや筋には、各時代の歴史を伝える町名や建物、構築物が残り、また社寺を中心に伝統的な祭りが継承されています。さらに、各時代の建物や屋外空間を利用し、歴史・文化を伝えるイベントが数多く行われ、ここに暮らす人々のまちへの愛着の強さを感じることができます。
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水間鉄道貝塚駅(みずまてつどうかいづかえき)
貝塚市内を南北に走る「水間鉄道」は、厄除け観音として知られる「水間寺」のたもとまで敷設された鉄道として1925年に開業され、地元住民だけではなく、観光客や水間寺への参拝客にも利用され、「すいてつ」の愛称で親しまれている。この水間鉄道の貝塚駅が令和2年7月18日に水間寺をモチーフとしてリニューアルされた。