みんなの広場

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Update: 2012年11月30日
金剛寺で「龍吐水(りゅうどすい)」を見ました。
24日に金剛寺の講堂で講演会があり、時間があったので、昔の小学校のような講堂の廊下に出たら「龍吐水」という江戸時代の消火用ポンプを発見しました。天保15年4月吉日(1844年)約170年前に作られたものです。
河内長野市には、このような産業遺産の貴重な文化財が残っています。
ウィキペディアで調べたら、「わが国における消防ポンプの歩みは、龍吐水(りゅうどすい)に始まります。この龍吐水は、放水する様子が、龍が水を吐くように見えたことから名づけられたと言われています。いつごろ発明されたのかはっきり分かりませんが、一説には、指導で作られたとの説もあります」と書かれていました。
また、なにわの海の時空館の元館長である石浜紅子さんから教えていただきました。「明治期に、大阪港に「飛鯨号」という消防船があり、消火用ポンプを備えていたようです。この船のことは、残念ながら詳しい記録が残っていません。時空館の菱垣廻船浪華丸にも、「すっぽん」という木製ポンプが付いています。こちらは、船内の水をくみ出すためのものです。ポンプ類の起源は、オランダからのものより古いかもしれませんね」と書かれていました。彼女は現在、浪華丸の保存運動をされています。保存運動に協力しましょう。
Written by マロンさん
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Update: 2012年11月29日
2012年西條酒造の酒槽式
11月27日13時30分から、西條酒造の関係者の皆さん、及び酒蔵通りの市民の皆さんが集まり、長野神社の神主さんの神式の儀式で、酒槽式が行われました。振舞われた新酒は「天野酒 初槽の酒 平成24年度」という底にうっすらと澱(おり)が溜まった未だ荒削りの酒で、今年の初絞りのものだそうです。飲んでみると、今年の新酒は、五臓六腑にしみわたる20度以上の生原酒だそうです。玄関の軒下に飾られた酒林に、神主さんの手によって振り掛けられました。
西條さんのお話です「酒林の中には、酒造りの特別の神様がいます。それは奈良の大三輪神社です。そこで杉の束ねた玉を作ります。これを杉玉とか酒箒(さけほうき)と言います。一般的には酒林(さかばや)といい、新酒ができた時に店先に吊るします。江戸時代には、新酒ができる頃に、毎年新しい杉の葉で酒林を作りました。杉は常緑樹であり、一年中青い葉がえられます。杉には殺菌作用があるなどの理由から、昔は造り酒屋では、杉を便利に使っていました。酒を貯蔵する樽は、杉で作られています。
実は酒林によく似たものが、ウィーン郊外のグリンツェンのワイン造りの店にあります。象の鼻のような鉄製の腕があり、樅木の枝で作られています。やはりその年のワインの新酒ができる頃に取り付けられます。面白い秋の風物です」
11月13日に見た酒林の製作風景が思い出されました。高野街道沿いには、40個近くの酒林が飾られて、神主さんから1つずつ新酒が振り掛けられました。28日まで道路沿いに飾って、その後、各家庭にもって帰られて、酒蔵通りのお宅にぶら下げられます。
また西條さんは、「年末に大吟醸無濾過の特別価格版が出ます。このお酒は素晴らしいです。過剰なご期待を頂いても、裏切らないと思いますよ」と、地元でしか聞けないお話しをされ、自身を持っておられました。
Written by マロンさん
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Update: 2012年11月27日
金剛寺の内陣の特別公開
11月22日、金堂特別公開の挨拶で、堀金剛寺座主は、「雨もやみ、大変貴重な日となりました。今日は、市長さんのお話のように、文化庁の建築関係の先生方が、大修理の進捗状況を調査に来られています。今、お話しがあったように、インドに仏教の信仰が厚いアショカ王がおられ、お寺を建てたいと希望されました。法筐印塔を8万4千個作り、空中へ投げたところ、飛んでいったという故事によります。金剛寺の裏の塔の山(大師山か御所の山か)には、飛んできた法筐印塔があり、重要文化財になっています。お釈迦様の説かれた教えが、8万4千巻と言われ、塔に託して落ちたところが、仏教が降盛すると言われ、聖武天皇が金剛寺を建てられたと伝えられています。
私は体調が少し悪く、94歳となり、1日1日と人間は老いて、死んでいくのを味わっています。不整脈が出たりして、今日も思うことを話せないのが残念です。私の命のある間に、修理は完成できないと思いますが、皆さんは工事の内容を目で見て、弘法大師の遺徳を偲んでください」と、平成の大改修について、深い思いを話されました。
内陣の様子を初めて見ました。内陣の柱は700年前の黒光りした素晴らしいもので、色彩が残されていました。写真は、胎蔵界の曼荼羅が掲げられていた柱です。写真の左側は、金剛界種子曼荼羅が描かれて、天蓋がついていたそうです。普段は拝見できない光景です。また、多宝塔の内部も文化庁の方が調査されていました。
子どもたちの解説も、よく勉強されていました。
23日には、時間があったので、金堂前の仮説テントで桧皮葺(ひわだぶき)、こけら木割、槍カンナの体験をしました。こけら木割は椹(さわら)の木を5mmの厚さに割る技術で、瞬時に加工されるのに驚きました。また、チョウナと槍カンナの実演は、槍がんなでの薄く削る加工に挑戦しました。
Written by マロンさん
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Update: 2012年11月27日
金剛寺でこけら作成の作業風景
24日には、金剛寺の金堂の修復に関わっておられる大工さんの工事現場が、紹介されるブースが作られていました。桧皮葺・こけら木割・檜がんな等の実体験ができるとの売り込みでした。松本ナンバーの車に乗っておられた職人さんがこられていたので、お聞きしたら椹(さわら)木を40cm×30cm×10cmのブロックにして、40cmの真ん中で割って、更に真ん中で割って、もう一回半分にして、一枚の薄い板が完成する、とのことでした。椹の木のブロックに、刃物を当てて小づちでたたくと、まっすぐに木が割れることに驚きました。すべて一本の刃物で加工していました。こけら木割は、椹の木を5mmの厚さに割る技術で、瞬時に加工されるのに驚きました。こけらの漢字は柿とは違います。
ウィキペディアで調べたら、「こけら板の作成と組み立ては、最も薄い板(こけら板)を用いる。板厚は2~3mm。板葺に共通で、幅9~10cm、長さ24~30cmの板をずらしながら下から平行に重ねて並べ、竹釘で止める。木材を横に渡し、石で固定するだけの場合もある」とありました。
桧皮葺の実演では、桧の皮を並べて、竹釘で止める工程を実演させてもらえました。金剛寺で育っている30cmぐらいの檜の皮を剥ぐ工程も実演されて、上手に皮が剥かれていました。10年も経つと、また皮が取れるようになるそうです。
最後に、チョウナと槍カンナの実演では、槍がんなを使って、私も薄く削る加工に挑戦しました。本当に薄く剥けて、丸太の表面がツルツルに加工できるのに驚きました。
Written by マロンさん
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Update: 2012年11月27日
河内長野市の金剛寺平成の大改修風景
11月22日に、金剛寺金堂の特別公開のオープニングセレモニーが、芝田市長・文化庁村田参事官・大阪府教育委員会新井課長・堀金剛寺座主・澤摩尼院庵主・他来賓と天野小学校生25名の参加のもとで開催されました。芝田市長は「24節季の小雪に当たり、河内長野も冷えてきました。紅葉が盛んとなり、目を楽しませてくれる季節です。本日は文化庁・大阪府からも来賓の方に来ていただき、金剛寺金堂の特別展示が行われています。河内長野市は文化財のまちで、国宝6件、重要文化財78件を持ち、全国の1740市町村の中で、14番目に位します。その半分が金剛寺にあり、半分が歓心寺がもつ古刹があるところです。金剛寺は南北朝期の南朝方の行在所があったところです。目の前の食堂(じきどう:天野殿)で約6年間政務を取られていました。また、北朝方の3人の上皇(光厳・光明・崇光)もおられました。その様な素晴らしい誇れるお寺です。今回平成の大改修が行われる中で、300年の間の新たな歴史の一部分に関われるのは、非常に誇りに感じます。また、天野小学校の児童の皆さんが、郷土の歴史を勉強されて、本日発表されますので、皆さん聞いてください」と話されました。文化庁の村田参事官は「金剛寺は1300年前の奈良時代の創建で、1320年という今から700年前に建てられたことが、柱の足元の蓮の座(蓮華座)に、元応2年の墨書きが見つかっています。更に300年後の豊臣秀頼時代に大改修が行われていて、100年後の元禄時代にも大改修が行われています。700年の歴史が刻まされた建物の観察ができます。それを堪能してもらいたい。後の世代の人が、信仰心で建物を大切にしてきたことだと思います。今回の改修は「ふる里の森システム推進事業」の中で行っています。11月22日は良い夫婦の日ですが、別に大工さんの日でもあります」と結ばれました。内陣の様子が今回は見られます。
Written by マロンさん
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Update: 2012年11月26日
天野小学校6年生の郷土研究の発表会
11月22日に、天野小学校6年生の25名が6班に分かれて、郷土史の学習成果を披露しました。①楼門について、②摩尼院について、③金堂について、④金剛寺の文化財について、⑤多宝塔について、⑥御影堂について、各場所に4~5名が参加して、手づくりの巻物にしたり、紙芝居風にしたりして、問題も3~4問つくり、回答を3択で選ばせていました。
併せてスタンプラリーも行いました。
午後1時30分から始まった金堂改修の特別公開のセレモニーで、小学生の代表2人も挨拶をしました。セレモニーの最後に、2人は「地元の歴史を学んで、絵や資料を集めてきた中で、金剛寺の素晴らしさを知り、一生懸命に紹介します」と挨拶しました。くろまろくんが来ていて、まだ6年生であり、楽しそうに相手をしていました。
11月22~24日には、「天野小6年生が作る金剛寺パンフレット」という企画で、パネル展示が金堂修理現場と講堂で行われました。23日に開かれた講座に参加したら、講堂には1人1人が手作りした金剛寺の学習成果が展示されていました。
Written by マロンさん
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Update: 2012年11月26日
楠根小収穫祭
楠根小収穫祭とは楠根小学校区の収穫祭です。
ちらしによると児童たちが今年8月14日の大洪水で被害を受けた地区住民の皆様を元気づけるためにはじめたそうです。
 当日は児童らが製作したたくさんのおみこしが校区内を巡回し、児童がちらしを配布しながら練り歩き、太鼓の音と元気な掛け声があふれた大変楽しい行事でありました。
 子供たちの元気な声があふれる町は、ほんとうにいいものです。 
Written by 暇仁
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Update: 2012年11月22日
辻野典代さんの個展に参加して
11月21日午前中河内長野市立市民交流センター(キックス)での講座に参加して、午後一番に辻野典代さんの個展に出かけました。会場には「かわちながの観光ボランティア倶楽部」の前会長の林さんがおられました。今は辻野先生の教え子の一人です。タイミング良く、先生も弟さん夫妻と来訪者の接待をされていました。
早速入口に展示してある大型の絵の話が聞けました。一日かけて描かれた農村の風景で、藁を積んだ影と木の影の方向が、太陽の動きで違うと教えていただきました。奥の間には、同じ大きさの旧作が3枚展示されて、冬景色の雪の色が寒そうでした。写真を写させていただいた部屋の絵画は、最近の中型の作品で、林元会長が好きな絵だそうです。手前の小物ブースには、国内の風景画の他に、スイス・フランス等の海外の石造りの建物の風景画もあり、先生の活動の広さを感じました。廊下の部屋には、河内長野の金剛寺の絵がありました。
略歴を見せていただいたら、河内長野市高向(高向玄理という遣唐使を経験された国博士がお生まれのところです)のお生まれで、旧大阪芸術大学のご出身とのことです。武者小路実篤さんが始められた大調和会に属されていて、武者小路さんからのお手紙も展示されていました。
現在は東京にお住まいで、絵画教室で教えられておられ、月に1回河内長野での教室に帰られているそうです。実家は息子さんが、築90年のお宅を守られています。今回の個展は、11月20日(火)~25日(日)10時30分~18時(最終日は17時)まで、「ギャラリー僕菴」で開催されています。
お宅までの案内は、千代田駅下車、旧西高野街道を南下して、清明塚の横です。徒歩20分ぐらいです。バスを希望のかたは、河内長野駅1番乗り場で乗車して、市役所で下車、長野高校側の道を東に進んで、十字路を直進して、旧高野街道に出て、左折すると5分で到着します。
Written by マロンさん
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Update: 2012年11月22日
大阪自由大学のシンポジウムに参加して
中高年ハイキング倶楽部の友達の安村さんの紹介で、大阪自由大学のシンポジウム「水都・大阪の繁栄をもたらしたもの」という講演会に参加しました。
講師は松木哲(神戸商船大学名誉教授)、脇本祐一(元日本経済新聞編集委員)、木津川計(上方芸能発行人、大阪自由大学学長)さんです。
講演会では、大阪は「天下の台所」という立場で、船による流通の話が中心に行われました。
「江戸時代の東京は100万人の都市で、その半数が武士でした。一方大阪は40万人の都市で、武士は約4,000人で、町人による自治が行われていました。米などを各藩の蔵屋敷のある大阪に集めて、他の消費財に変えて、江戸に送っていました。大阪はその中で、両替商や流通の専門家が育ち、天下の台所の役割を担ってきました。「天下の台所」という表現は、大正3年に幸田成友さんが名づけて、第7代市長関一さんが使われたそうです。
大阪市立海洋博物館「なにわの海の時空館」は、来年3月末で閉館となることが明らかになりました。2,000年に市制100周年事業として約176億円かけて開館しました。巨大な菱垣廻船「浪華丸」が10億円かけて復元されましたが、この貴重な和船も引き取り手が見つからないままです。
私たちは長年、大阪の地盤沈下の元で、明るい未来を描くことができません。かつての繁栄をもたらした海という視点から、大阪という都市の魅力と、大阪人の心意気で見つめ直す必要があります。江戸期には、菱垣廻船・北前船が出入りし、日本最大の流通都市として、繁栄を謳歌していました。しかし、かつて大阪に富をもたらした海の存在が、今、忘れられようとしています」という話がありました。
12月1日(土)午後2時から松木哲先生のガイドで「浪華丸」をたっぷり見学します。現地集合(地下鉄中央線コスモスクエア駅1号出口より約650m)。参加費2,000円(入館料込)。
Written by マロンさん
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Update: 2012年11月20日
ブルーライト大阪城
インスリンを発見した医学者、フレデリク・バンチング博士の誕生日11月14日を国連が「世界糖尿病デー」に定め、この日は全国のランドマーク約120カ所がイメージカラーの青色にライトアップされました。
関西では、大阪城(大阪市)や通天閣(大阪市)、京都タワー(京都市)、モザイクガーデン大観覧車(神戸市)などの名所が鮮やかなブルーに照らされました。
たまたま、すぐ近くのKKRホテルの「上方芸能お楽しみ会」に参加していたので、日没とともに外壁や石垣が淡いブルーにライトアップされた美しい大阪城をみることができました。
Written by ユーミン