みんなの広場

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Update: 2014年01月30日
美味しく食べていきいき健康(野菜でアンチエイジング)
野菜ソムリエの中沢るみさんによる「いきいき大学」での講演会が行われました。「美味しく食べてイキイキ健康」という講座です。次々と野菜の効用が語られました。
「私は管理栄養士で、野菜ソムリエです。元気が出ない、疲れが取れないなどと言うような場合に、食べものを食べてくださいと伝えたいと思います。
大根は食べ合わせるもので、シミやしわに効くなどの違いがあります。
筍の中に含まれるビタミンAには、成長ホルモンがあります。白い粉を洗って捨てる人が多くありますが、これが成長ホルモンの元です。
なすは紫外線から身を守るために、紫色になります。トマトの赤はリコピン、なすびの紫はアントシアニンで、ともにパワーがあります。
男性・女性ホルモンのもとになる豊富な成分は、山芋にあり、パン生地にすりおろして加えて、加熱するとホッコリ感が出ます。
私は、アレルギー体質であると思っていました。大学の先生の初めての授業で「体質は栄養学的にいうと、3ヵ月で変えられる」と話されました。その教えを守ったら3ヵ月でニキビが取れました。
すべての細胞には、毛細血管が通っています。血液から栄養分を受けて、細胞が代わっていきます。血液は食べものからの栄養と水で出来ています。
ストレスは爪に星という白い斑点が出ます。栄養不足のサインです。ごまがすばらしい食材で、マグネシウムを摂るときはすりおろした方が効率が良いです」など細かく紹介されました。
「今回の講座が、最新のアンチエイジングということで、「座右の銘」という課題が与えられました。「笑う門に福来る」笑っていると幸福が来るといわれていたのを思い出しました。松井選手の座右の銘が「一日一笑」だったと思います。笑いを一日一回見つけましょう」と結ばれました。
Written by マロンさん
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Update: 2014年01月28日
滝尻から美濃出橋を経由して金剛寺へ
22日、滝畑班では、今年の新春コースを金剛寺班と共同で開発することになりました。9時に滝畑ダムの事務所前に10名が集まりました。今回はダム下の滝尻まで下って、府道河内長野かつらぎ線を北進しながら、新緑の風景と渓谷美を楽しんでもらいます。
新美濃出橋へ向かう途中、石川の源流が流れる深い谷が広がっていて、静かでした。この日の滝畑は気温が1度で、道路には昨夜からの雪が積もっていました。ガイドポイントの寺が池への導水路や塚堂寺跡を確認しました。もう少し、久保弥三治さんの口述の「日野の口碑」という沖田南峯さんが昭和47年に発行された小冊子を読み解いて、地区の歴史を勉強します。
コミュニティセンター「みのでホール」でトイレ休息を取りました。事務員の方に市指定無形文化財の日野獅子舞の練習場を開けていただき、見物することが出来ました。昼食場所としても有力なことが分かりました。
観音寺では、重要文化財の木造大日如来坐像を拝見する予定でしたが、ご住職が不在で見学できませんでした。その後、坂を登り、関西サイクルスポーツセンター方面へ向かい、旧茶花の里の跡地に造られた喫茶ギャラリーみわとカラオケ天について、休息可能か調査しました。
その後、自然休暇村フルーツランドへ向かいました。夏と秋の味覚が食べ放題のフルーツランドですが、冬と春の季節は閉店中でした。扉が開いていて、風がないので、昼食を取らせていただきました。トイレも完備してあり、ゆっくり出来ました。ここから少し山へ入ったところの「楠参議物見之松碑」「九頭龍神」の場所は、案内人がいなかったので、次回に回して高瀬集落へ向かい、金剛寺には13時半ごろに到着して、初期の目的を達成し、解散しました。
今後、時間配分と見学箇所、金剛寺班のガイド内容を検討して、今年の春にハイキングを実行することにしました。新緑の季節のハイキングが楽しめます。
Written by マロンさん
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Update: 2014年01月27日
歴史体験教室「型彫りの技に触れる」
24日、河内長野歴史学習館(くろまろ館)主催の歴史体験教室「型彫りの技に触れる」という伊勢型紙の体験講座に参加しました。
募集の25名が満席となり、キャンセル待ちの状態となったそうです。
1月14日に朝日新聞で「天下逸品・伊勢型紙」が、2面で大きく宣伝されていました。伊勢白子から8時に車で出発された坂先生夫妻と実習生の若い女性4名・男性2名が応援に来られていました。坂先生は伊勢型紙技術保存会の方で、狭山池博物館での伊勢型紙の研修時にお会いして、翌月くろまろ館を見学していただき、関係が深まっています。
先生のお話では、伊勢には型紙がほとんど残されていなくて、河内長野市にこのようなたくさんの型紙が残されているのは奇跡だ、とのことでした。
13時前には、25名の方とキャンセル待ちの10名が来られたので、会場を詰めて、全員が参加できました。
白子からの若い女性たちは、研修生で、3年間勉強されていて、型紙に興味を示されて、以前、勉強用に博物館所蔵の型紙をコピーして帰られました。
早速、前回報告した「鯛のタイ」を見ていただき、興味を示されて、縁起物として、風呂敷などの製品化が出来ないか、話されていました。
体験では、各自が選んだ型紙を切り抜くため、注意がありました。「1. 選んだ図柄に茶色の型地紙を貼り付ける。2. カッターは手前に引いて使う。3. 刃先が弱にならないように。4. 図柄を左手で軽く押さえる。5 掘りやすい向きに図柄を回す。6. 金魚の目や泡、フクロウや雪だるまのめなど小さな丸錐で彫る」と話されて、1時間半の作業が始まりました。
この日は河内長野市の和田教育長以下教育委員10数名の方の見学もあり、坂先生より型紙が保存されていることのお礼が述べられて、狭い会場が賑わいました。
仕上がった作品に、自分の名前を坂先生に彫ってもらう人も現れて、先生は笑いながら対応されていました。
Written by マロンさん
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Update: 2014年01月27日
奥河内楽歩(滝畑編)
平成23年より始まったくろまろ塾では、『車座で「奥河内の魅力について語り合いませんか」という河内長野市民大学「第21回くろまろ塾カフェ」INにぎわいプラザというイベントが行われるので、下打ち合わせの準備が始まりました。
今回はかわちながの観光ボランティア倶楽部に依頼があり、滝畑班が対応することになり、渡邊拠点長を中心に計画が進められています。
第2回目の打ち合わせが、キックスの会議室で行われ、パワーポイントで、プロローグから昨年の1年間の活動と、滝畑地区の皆さんとの交流まで説明することに決まりました。
1時間の紹介の後には、コーヒーブレイクが予定されていて、「滝畑に磨崖仏あり」という河南町の観念寺のご住職が作られた紙芝居を上演します。また、滝畑班が使用するマニュアルや四季のお土産なども展示する予定です。
今回の募集されるポスターには「地域の語り部‐観光ボランティアガイド‐ということで、かわちながの観光ボランティア倶楽部のメンバーをお招きして、活動内容や滝畑の磨崖仏についての紙芝居を披露していただきます」という内容が記載されており、くろまろ塾本部事務局で募集します。
「開催は2月21日の午後2時から4時までで、参加費は無料です。定員は30名で、2月5日から電話で先着順の受付が行われます。電話は0721-54-0495です(月曜は休館)。」とのポスターが完成しています。
くろまろ塾カフェとは、くろまろ塾副学長の嶋田生涯学習アドバイザーが、カフェマスターとなり、アート・まちづくり・地域・コミュニケーション・スポーツ・哲学などの様々なテーマで、ゲストや参加者の皆さんで語り合う参加型のプログラムだそうです。
Written by マロンさん
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Update: 2014年01月23日
箕面川ダムのダムカードをゲットしました。
19日、箕面市の娘のところに行く機会ができて、箕面昆虫館へ駅から15分かけて出かけてました。雪が降り出して、寒い一日でした。
狭山池博物館で大阪府内のダムカードを1枚ゲットしていて、平成23年7月から滝畑ダムでも配布が始まって、入手していたのですが、箕面まで行く機会がなかなか取れず、やっとゲットして、大阪府内の3枚が揃いました。
「ダムカード」とは、国土交通省、(独)水資源機構、北海道開発局、沖縄総合事務局、及び一部の府県所轄のダムなどで配布しているトレーディングカードのことです。このカードは、ダムカード一覧のページに表示しているダム管理所や資料館・展示館などに行けばもらうことができます。ただし、ダムによっては何かしらの条件をクリアしないともらえない場合や、土・日曜日はもらえない場合もありますので、注意が必要です、と書かれています。
大阪府内では、狭山池ダムと箕面川ダム、滝畑ダムの3か所です。最近では、若い女性の方が、狭山池博物館へたくさん来られているとの情報でした。私のガイドを担当する滝畑ダムは、30周年記念を迎えた平成23年7月1日から「ダムカード」が配布され始めました。
滝畑ダムへのコースを紹介します。バスは便数が少ないので注意が必要です。平日・日曜祭日:9時4分、11時2分、12時27分、13時20分、13時20分、15時21分です。帰りは下車したバス停で、折り返しでバスが来ますので、確認しておいてください。一日フリー券600円が割安となりますので、駅前のコンビニ「アンスリー」で購入して乗車してください。下車は「滝畑ダムサイト」です。土曜・日曜・祭日は、ダムサイトの事務所は休みですが、ダムを渡った対岸のレークパークの事務所で配布してもらえるのでよろしくお願いします。
Written by マロンさん
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Update: 2014年01月21日
織田作之助の世界
16日、キックス(河内長野市立市民交流センター)でオダサク倶楽部代表の井村身恒先生による講座「織田作之助の世界」が行われました。
織田作之助の紹介を兼ねて「オダサクメモリー」という映像が放映されました。大阪に戻って新聞記者となり、南海沿線の北野田に新居を構えたが、妻が亡くなり、富田林の姉のところで生活していました。
その後、NHKテレビニュース、オダサクが愛した大阪の町の「筋と道」という話のビデオが紹介されました。
「法善寺」を舞台にした「夫婦善哉」、蝶子と柳吉の物語です。
上町台地には多くの坂があります。地蔵坂・口縄坂などがあり、特に口縄坂は静かな風景が残り、文学碑もあります。
井村先生は、オダサク風にマント姿で登場されました。服装から合わせられたようです。
「織田作之助は、昭和22年1月10日に東京で亡くなり、今年、生誕100周年を迎えました。オダサクさんとして人気があり、太宰治・坂口安吾と3人で「無頼派」として有名でした。
小説・戯曲・映画と幅広く活動した、33年と76日の生涯でした。戦後、1年半の間に数多くの作品をざっしんに発表しています。1日に100枚の原稿用紙に作品を書いていました。そのときはヒロポンを打っての作業のようでした。
現在残されている作品を、ストーリーだけでなく、表現の仕方、大阪弁の使い方を踏まえて、生誕101年に向けて、もう一度検証して、オダサクの広がりをプロデュースしていきたいと思います」と話されました。
「「座右の銘」を質問されて、準備したのが、戦後の作品にありました。昭和8年、オダサクが20歳のとき、京大での出来事です。京大のキャンパスでは、滝川事件後、左翼運動弾圧が起きて、左から右へ転向が起きました。思想体系に不信を持っていて、「左翼思想より腹を減らしているペンペン信条を信じる」と「腹ペコの思想」を信じるに至りました。」
Written by マロンさん
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Update: 2014年01月20日
新春「花の宴」コンサートに参加して
さくらの会の新春「花の宴」コンサートが、12日、京橋のクオレ大阪東で行われました。三国ヶ丘で乗り換えて、JR京橋には11時過ぎに着き、まずは会場を確認しました。近くに、インド人がやっているカレーの店「JAY」があったので、定食を頼んだら、ナンとエビカレーが出て、美味しくいただきました。
12時~開場で、会員の方手作りの「幸福の鈴」が配られました。前の席は、招待者席で、後は出演者の席となっていました。
井上先生は挨拶で「2000年の春、桜の花が咲く頃に、第一回「花の宴」コンサートが開催されて、今年で15周年記念を迎えるまでになりました。今日まで来てくださったお客様に、私たちの大切なものを届けたいということで、「笛の心」を届けたいと思い、一年の感謝を込めて、生徒たちが演奏させていただきます」と話されました。
第一部は、懐かしの名曲集・童謡・叙情歌を各地域のクラスごとに、14曲演奏しました。その後、テーマを設けて「月」「波」「花」「風景」「恋」のシリーズを23曲、篠笛で演奏されました。我々もよく知っている名曲の数々でした。
10分間の休憩の後の第二部は、「悠久の人と記・万葉の世界で遊ぶ」で、出演者が手作りの古代風の和服姿で演奏されました。11曲は「平城山」から「桜」まで、先生の解説付きで紹介されました。
第三部の花の宴大フィナーレは「感謝を込めて」ということで、「遥か」を先生がソロで、また「阿騎馬野」を先生と選抜メンバーが演奏されました。
最後は、「お花見」「花まつり」ということで、合同で演じられて、15時30分に賑やかにお開きとなりました。
なお、3月9日14時~同ホールで、「竹取物語」、小鼓&篠笛&切り絵で織りなす幽玄の世界が行われます。
前売券は、3,000円、当日券は3,500円です。問合せ先は、06-6955-8476(篠笛の響き政策委員会)まで。
Written by マロンさん
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Update: 2014年01月20日
伊勢型紙と鯛のタイ
河内長野市ふるさと歴史学習館(通称くろまろ館)では、12月7日から平成26年2月2日まで秋の特別展「技あり紺屋型紙」展が開催されています。
花の文化園の北側400mのところです。
型紙とは、布などの文様染に使われる型のことで、美濃和紙を柿渋で張り合わせた丈夫な型地紙(渋紙)に、文様が彫り抜いてあります。型紙による文様染を型染と言います。主な産地は、伊勢の白子・寺家(三重県鈴鹿市)が有名です。
くろまろ館は型紙を約1,500点保有しています。伊勢の型紙商の商印が押されているものが多く見られます。
12月7日、伊勢からバスで14名の方が、くろまろ館へ「技あり紺屋の型紙」展を研修で訪ねて来られました。鈴鹿市伝統産業館を訪問したときに、寺尾家住宅を使った型紙資料館でお会いした皆さんです。当日は特別に、別室の会議室で、型紙を101枚準備して、谷口館長・高田・松野さんが対応されました。狭山池博物館からは前回の訪問で色々交流をされた楠副館長とコーディネーターの石隈さんが参加されました。
そこで、鈴鹿から参加された技能者の方から、型紙に「鯛のタイ」の文様があると教えていただきました。
石隈さんは、お婆ちゃんに話を聞いたと知っておられました。
インターネットで調べたら、「鯛のタイ」とは、魚が胸鰭(むなびれ)を支えたり、動かしたりする際に使う骨の俗称で、魚の肩甲骨と烏口骨(うこうこつ)の部分をそう呼ぶそうです。その骨の形が魚を象っているからに他なりません。硬骨魚類のどの魚にもこの骨はありますが、特に昔から珍重されたマダイの形が美しいから、そう呼ばれるようになりました。
このマダイの「鯛のタイ」は、縁起物としても喜ばれ、お守りとして財布に入れておくと、お金が貯まると言われています。
11日に訪ねて話をしていたら、くろまろ館のスタッフの方が、正月の鯛で現物を写真に写されていました。型紙と現物です。
Written by マロンさん
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Update: 2014年01月16日
星に祈りを(観心寺の星塚)
河内長野市立ふるさと歴史学習館(くろまろ館)では、1月7日~2月16日まで、エントランス展示として「星に祈りを(観心寺の星塚)」が行われています。
観心寺には、金堂を取り巻くように、7つの星塚が祀られています。このような星塚が境内にあるのは、日本中でも観心寺だけだそうです。弘法大師が高野山を修行の道場として開かれたときに、高野山から1泊目の場所として、河内長野市の観心寺が造られて、北斗七星を勧請して、造られたのが始まりです。その後、3泊4日で京都の東寺までの間を往復されたそうです。弘法大師は、金堂前の大きな石に座り、中国から持ち帰った修法で、北斗七星に祈祷を捧げて招来し、ここを強い力を持つ霊域としました。人の力ではどうにも出来ない宇宙を、この地に勧請され、本尊として如意輪観音を彫刻されたのです。それが観心寺の星塚であると言われています。その願いは、国家安泰と民の厄除祈祷です。
観心寺の星塚には、回り方が書かれていて、貧狼星(ドゥベ)→巨門星(メラク)→禄存星(フェクダ)→文曲星(メグクダ)→簾貞星(アリオト)→武曲星(ミザール)→破軍星(ベネトナシュ)を20分かけて回ります。金堂では、本尊の厄除七星如意輪観音と、鎮守堂の詞梨帝母天をお参りします。
観心寺の節分星祭は2月3日に行われます。密教寺院の星供養では、当年の星に祈り、人々の除厄延命などを祈願する修法「北斗法」が修され、その本尊である「星曼荼羅」が掲げられます。受付は、午前9時~午後8時まで、千有余年の昔から、節分の日に星供の秘法を修して、皆さまの持って生まれた星と今年の星をお祈りし、厄除開運・家内安全・身体健康・如意融通・所願成就を祈祷いたしますので、どうぞお参りください。
もちまき・豆まきは、1回目:午前11時、2回目:午後3時、福豆授与は、午前9時~午後8時で、300円でくじ引き付きです。
Written by マロンさん
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Update: 2014年01月14日
高向神社の戎祭の福餅まき
 河内長野市の高向神社では毎年1月10日は境内にお祀りされている戎さんの祭り日にあたり、餅まきをされます。境内の中央に櫓を建てその上から、高向、日野の氏子をはじめとして近隣近在の大勢の老若男女の参拝者に、神前に供えられていた餅がまかれます。合図で4人の撒き手から6斗の量の餅が次々とまかれます。このなかにはカタカナの印を付けた当たり餅があり、これを拾った人は、いろいろな景品と引き換えられます。新春から思わぬ福を授かる人がいて、嬉しさがこみ上げ微笑を浮かべる人も。
 恵比寿さんは商売繁盛と福神様として人びとに親しまれる七福神の1柱であることは周知のことです。この恵比寿さんは蛭子尊や山幸彦、大国主命の子の事代主命と言われ、多くお祀りされています。恵比寿さんは、元々豊魚をもたらす神霊として信仰され、その後航海の守護神として信仰されたり、市場の守護神として信仰されて商業の発達に伴って商業の守護神となり、福の神として商人の信仰を集めるようになりました。また、農家では家の福を増す神様として、また台所を守る神様として信仰されたり、また山の神様として春に山から下りてきて田の神となり収穫をもたらして秋に山へ帰るとされて、信仰されています。
当地では山の神さま、田の神さま、農家の福を増す神様、台所を守る神様として厚く信仰されているようです。餅を撒くのは、原義的には米を撒く散供と同じと考えられます。しかし 散米が神霊を対象とするのに 対し、餅まきは人間に向かって行われます。餅も稲魂を持つ聖なる食物ですから、それを持ち帰って自宅の神棚に供えたり、一家で食べることで招福除災する意味があるようです。このようなことから餅まきが行われるようです。
Written by 岩湧太郎