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Update: 2014年01月14日
福求めて賑わう長野神社の十日戎
 「本えびす」を迎えた10日、河内長野市の長野神社は商売繁盛を願う商店主や会社員、家族連れにぎわった。「商売繁盛で笹もって来い」のお囃子が響く中、参拝客らは縁起物の絵馬や俵、熊手などを結んだ福笹を買い求めていた。また参道や境内にたくさんの露店が出て、大勢の参拝客で賑わをみせた。
 同神社の戎さんは、本殿左側にお祀りされております。その正面にお詣りして拝むが、一部の人は「エビスさんは耳が遠い神さん」だといって、祠の後ろに廻って鉦や羽目板をトントン叩いたり大きな声でお詣りにきたことを告げたりして、商売繁盛を祈ったり福を授けてもらおうという人が今でも多く見られました。「このエビスさんは耳が不自由である」という伝承は、今宮戎や西宮戎でも同様な伝承が聞かれるので、エビス信仰につきもののようです。海に潜って魚介類をとる人たちは、耳を病むのを非常に恐れるということなどから、アマ(海女・海士)の人たちによる言い伝えのようでもある。
 同神社は9日の宵えびす、11日の残り福を合わせて大勢の人が参拝します。昔は宝栄駕籠が出て町内がたいそう賑わいを見せたそうです。
 戎さんは蛭子尊や山幸彦、大国主命の子の事代主命とも言われ、多くお祀りされています。当神社の恵比寿さんは、事代主命と言います。恵比寿さんは元々豊魚をもたらす神霊として信仰され、その後航海の守護神として信仰されたり、市場の守護神として信仰されて商業の発達に伴って商業の守護神となり福の神として商人の信仰を集めるようになりました。また、農家では家の福を増す神様として、また台所を守る神様として信仰されたり、また山の神様として春に山から下りてきて田の神となり収穫をもたらして秋に山へ帰るとされて、信仰されています。
Written by 岩湧太郎
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Update: 2014年01月14日
「パッカパッカと幸せのせて」の新春絵手紙展
1月11~19日まで、大阪府立狭山池博物館で絵手紙の展示会「パッカパッカと幸せのせて」が開催されています。作者の鍋島聡子先生が来られていて、お話をお聞きしました。
「絵手紙歴20年で、北野田で教室を開いて、9年目を迎えました。絵手紙には、実物を見て描くので、お手本というものがありません。その結果、筆を持ったことがない人でも、何でも描くことができます。
私は西除川の下流域に育ったので、水利のことは知っていましたが、博物館を知らない人が多くいると思います。博物館から7mのスペースを提供され、縦1.35m×横0.8mの和紙を7枚張り合わせて描きました。家の中では広げられないので、庭の木を取って、シートを敷いて、全体を構想しました。その後、7枚の絵に分割して描きました。
狭山池の全体を描きたかったので、俯瞰図や航空写真を考えましたが、無事作成が出来ました。中心は狭山池博物館としましたが、南の方に面白い風景が広がっていました」と話され、絵の中心部には、「狭山池へ初めてスケッチに来たのは昨年5月でした。戸惑いました。大きな大きな池をどう描けばよいのか。はるか彼方、対岸の何を描けばよいのか。小さなハガキに必死の思いを込めて、最初の一枚を描きました。それから何度来たでしょうか。季節は移り、今は堤防に佇むだけで、身体は氷のようです。狭山池に悠久の時を刻み、流域の人々は、田畑を守ることができました。私たちの四苦八苦する様子も笑いながら見守っていたことでしょう」と書かれていました。
多くの生徒さんの作品の中で、Bさんは鹿児島の出身で、地元に帰ったときに、九州を旅行され、絵手紙を描かれました。私も長崎出身であり「異国情緒長崎」に目がいきました。他には「唐津くんち」「嬉野温泉」「平戸は祈りの島」など、数多くの絵手紙を出品され、各自1枚のスペースを、特別に2枚のスペースとされたそうです。
Written by マロンさん
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Update: 2014年01月14日
長野神社の十日ゑびす祭り
9日、長野神社の十日ゑびすに出かけてみました。宵ゑびすが行われる境内には39軒、道路沿いには20軒の露店が出て、賑やかに準備が進んでおり、ここも音頭「商売繁盛で 笹持ってこい 年の始めの恵比須さん」が景気よく流れていました。長野神社では、9日の宵ゑびす、10日の本ゑびす、11日の残り福が行われます。家運繁盛・商売繁盛の神様である恵比須様のお祭りで、近郊からたくさんのお客さんがお見えになります。
十日ゑびすの福笹の吉兆は、銭叺(ぜにかます)・銭袋・末広・小判・丁銀・烏帽子・臼・小槌・米俵・鯛等の縁起物からなり、十日戎の参拝者は有償で吉兆を自由に選べ、福娘による飾りつけが授与される、とのことです。
昔ながらの露天商は、まだ健在のようでした。
せっかくの恵比須様の銅鑼(恵比須さんは耳が遠いので、銅鑼を叩いてお願いする)が見られないようになっていました。
今年は、烏帽子神社の恵比須さんと長野神社の恵比須さんに参加できました。
帰りに酒蔵通りの西條酒造さんの前を通ったら、酒饅頭が湯気をあげて、酒店の前で販売されていました。『酒蔵では、9・10日の両日、初売りイベントを行います。にごり酒、大吟醸酒粕、生酒、酒饅頭、大福餅、素麺瓜粕漬けなどを販売いたします。時間は午前10時から午後7時まで、午前中のみ酒粕販売でごった返すため、交通安全上、酒蔵駐車場にて販売いたします。午後からは、酒蔵向かい側の旧店舗にて、販売を行っております。長野戎神社にお参りした後は、徒歩100mで酒蔵です。お立ち寄りください』と、西條さんのブログに書かれていました。
午前中の南海電鉄の人身事故の影響で、電車が止まっていたので、お客さんが少なかったようですが、10日も行われるので参加してください(写真の左側が西條酒造さんの初売り風景)。
夜9時ごろもまだ、宵ゑびすの音頭が賑やかに流れていました。
Written by マロンさん
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Update: 2014年01月14日
楽しい河内長野美術鑑賞会の新年会
 河内長野美術鑑賞会は毎年1月松の内に総会を兼ねた楽しい新年会を開きます。今年は9日(木)に開かれ22人の参加がありました。その概要をご紹介します。
 会場に入ると、壁には美術館で購入したポスターなどの装飾物が貼られ、テーブルには美術に関する資料やパンフレットが置かれていました(持ち帰り自由)。各席には、お正月らしいお弁当とお茶、オリジナルの押し花クリアホルダーに入れた資料が置かれ、美術鑑賞会らしい新年会の雰囲気機を漂わせていました。
新年会は、新年のあいさつにはじまり自己紹介が行われます。そして昨年度例会に皆出席された5人の方への表彰と会報「ササユリ倶楽部」の命名者の表彰、行事開催時の写真撮影者への感謝表彰などのセレモニーがあり、それぞれの方へ開運ダコ、お香入れなどの賞品を贈呈されました。
その後に吉例大福引き抽選会が行われましたが、この景品は美術に関連するものを参加者が各自に持ち寄り、くじ引きで順番に当てていきます。いわゆる無作為での賞品交換会というものであります。なかには早速開いて互いに景品を見せ合う人もいて、和やかさが漂います。
少しの休憩をおいて、本日の出し物・女性落語家“なみはや亭・ぷう助”さんの落語「まんじゅう怖い」で初笑い、福笑いを楽しみました。彼女はアマチュアですが、玄人はだしの上手さで語られ大笑いのうちに語り終られました。このようなユニークな行事はあまり例を見ません。一層座が和やいだ後に、もう一回の福引き抽選会が行われ、景品が会から贈られました。新年らしい縁起物の景品が当たり参加者全員が喜びをこらえていました。大変に楽しい、一時を過ごした参加者全員が大満足のうちにお開きになりました。
Written by 岩湧太郎
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Update: 2014年01月10日
烏帽子形八幡神社の戎さんの福餅まき
 河内長野市の喜多町にある烏帽子形八幡神社では毎年1月7日は境内にお祀りされている戎さんの祭り日にあたり、餅まきをされます。社殿前の境内に櫓を建てその上から、上田町、喜多町、小塩、楠ヶ丘、大師町の氏子をはじめとして近隣近在の大勢の老若男女の参拝者に、神前に供えられていた色餅をまかれます。太鼓の合図で櫓の上から5人の撒手から、次々と沢山の餅が撒かれます。この内にカタカナの印を付けた当たり餅があり、これを拾った人は、いろいろな景品と引き換えられます。新春から思わぬ福を授かる人がいて、喜びを噛みしめていました。
 恵比寿さんは商売繁盛と福神様として人びとに親しまれる七福神の1つであることは周知のことです。この恵比寿さんは蛭子尊や山幸彦、大国主命の子の事代主命と言われ、多くお祀りされています。恵比寿さんは、元々豊魚をもたらす神霊として信仰され、その後航海の守護神として信仰されたり、市場の守護神として信仰されて商業の発達に伴って商業の守護神となり福の神として商人の信仰を集めるようになりました。また、農家では家の福を増す神様として、また台所を守る神様として信仰されたり、また山の神様として春に山から下りてきて田の神となり収穫をもたらして秋に山へ帰るとされて、信仰されています。
当地では山の神さま、田の神さま、農家の福を増す神様、台所を守る神様として厚く信仰されているようです。餅を撒くのは、原義的には米を撒く散供と同じと考えられます。しかし 散米が神霊を対象とするのに 対し、餅まきは人間に向かって行われます。餅も稲魂を持つ聖なる食物ですから、それを持ち帰って自宅の神棚に供えたり、一家で食べることで招福除災する意味があるようです。このようなことから餅まきが行われるようです。
Written by 岩湧太郎
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Update: 2014年01月08日
2014年1月観光案内所ディスプレイ
河内長野観光案内所の1月のディスプレイは、12月の最終週につくり替えられていましたが、太陽の光で写真がはがれていました。そのため、再度6日に写真を撮りに出かけました。
コーディネーターのカサブランカさんのコメントは『新しい年を迎えました。今年もよろしくお願いいたします。新年早々は、河内長野“花の文化園”を紹介します。冬の季節ですが、多くの花が咲き誇り、数々のイベントが開催されています。ぜひ、お客様に楽しんでいただきたいものです』でした。
童謡は「ゆき」で、「ゆきやこんこん、あられやこんこん 降っては降っては…」の歌です。
今月の写真は、花の文化園の特集で、季節の花の写真が5枚飾られていました。
生花は花の文化園さんからの提供で「ゴールドマイスター」の鉢植えが展示されていましたが、白い花が水を供給されていなくて、枯れていたのが残念でした。また、案内所が12/28~1/4までの休み明けに開店して、生き返るのを祈っています。
ゴールドマイスターという品種は、ドイツのホイガー社の40年にわたる交配から生まれたクリスマスローズの実生のブランドです。すべての種から生まれてきた逸品だそうです。
一番下の段には、獅子頭・タコ・独楽が、さおり織の布の上に飾られていました。
大野さんのお人形は、男の子と女の子で、屏風の前にありました。最近では、大野さんのお人形に、人気が出ていて、皆さんが注目されています。
田中画伯の奥河内の絵は、雪景色が2枚掲げられていました。
Written by マロンさん
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Update: 2014年01月07日
流谷八幡神社の勧請縄掛神事
南海電鉄高野線「天見」駅から徒歩で約12分の所に流谷八幡神社があり、毎年1月6日前後の日曜日に勧請縄掛神事が行われます。
 勧請縄掛縁起は、昔この里は甲斐の庄と呼ばれ京都石清水八幡宮の荘園でした。神社の辺りは流谷川が大渓谷を形成しているため人馬の通行が困難であり、また難工事のために架橋がない状態でした。ここに長暦3年(1039年)1月6日に石清水八幡宮のご神体を勧請する際、正道から社頭へ一筋の綱を渡し、それに宝殿を託してご神体を本殿へ遷宮しました。この勧請を永遠に記念するために、その跡へ鳥居の代わりに杉樹を両岸に植えて、毎年1月6日に注連縄を綯い、川越しに杉樹間に張り、勧請の昔を偲びました。
 現在の神事は次のように行われます。注連縄綯いは、縄綯い専用の梯子の3段目を支持台として3人がかりで綯います。サポートする人が3人程おり、藁屑などを除去して一握りの藁を渡します。縄綯いは力がいるため、途中で交代したり休んだりして左縄を直径10cm程度、長さ60mほど綯います。普通の注連縄のように藁の株元を綯い込むのでなく、「蛇の足」といって15cmほど外に出して綯い、蛇のように作られます。この綯いかたは、綯った注連縄が抜け落ちないようにとの配慮と、蛇の様に綯うの“蛇”を“邪”に引っ掛けて邪悪なものの侵入を防止する意味を持つ。注連縄綯いと並行して、注連縄に付ける瓔珞が作られ、大きさは人の背丈ほどあります。平年の歳では各12本、閏歳で13本作られるが、今年は平年歳であるため12本作られました。これを注連縄に1.8~2m間隔で取付けられます。
注連縄掛けは、まず社頭の柿の古木に結ばれる。流谷川越えに注連縄を掛けるために橋の欄干から慎重に垂らします。そして対岸の勧請杉に注連縄が結ばれます。この注連縄が長持ちすれば、豊作になると言い伝えられているが、梅雨頃に切れるそうです。
Written by 岩湧太郎
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Update: 2014年01月07日
烏帽子形神社の恵比須祭
6~7日の烏帽子神社の恵比須祭に出かけました。6日の午前中、大阪狭山市の娘のところで孫たちと遊んで、帰りの電車がちょうど、河内長野止まりの電車でしたので、観光案内所のディスプレイの写真を撮って、歩いて烏帽子神社へ向かいました。
途中の西條酒造さんのところでも、長野神社の十日ゑびすに合わせて、9~10日に初売りが行われると書いてありました。こちらは西之宮戎系の、大阪で一般的なお祭りです。
烏帽子形神社の末社は、前回の報告のとおり、島根県の美保神社から昭和30年に分霊されたもので、御祭神は、事代主命、三穂津姫命で、海運漁業の神で、安産の神でもあります。
河内長野は石川の流域で、竹や材木の市場があったところです。開運漁業の神様がおられても良いと思います。事代主命は恵比須さんのことです。美保神社は全国各地にあるゑびす社の総本山で、3385社あります。西宮神社と違う系統の福の神のえびす様の総本社です。市内では、この恵比須さんだけが、1月6~7日に恵比須祭が行われて、6日の宵恵比寿の14~19時の間と、7日の本恵比寿の10~15時までは、「おぜんざい」の接待が行われます。また、7日の本恵比寿では、15時から「餅まき」が行われます。景気の良い「商売繁盛篠持ってこい 年のはじめのえべっさん♪」という今宮戎系の音頭が、拡声器で賑やかに、高野街道沿いに流れていました。多分、色んなところのものを採用しているのだと思いました。
Written by マロンさん
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Update: 2014年01月06日
烏帽子神社への初詣
新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
1月2日に娘の二家族が、新年の挨拶に来てくれました。午後は、ばあばが孫3人とお年玉の絵本を買いに行き、夕方は、じいじが孫たちと一緒に、烏帽子神社に初詣しました。持参したカメラがバッテリー切れで、正月早々の失態でした。
烏帽子神社は、烏帽子形山(標高170m)の東斜面中腹にある神社で、素盞鳴命・足仲産命・神宮皇后・応神天王を祀っています。烏帽子形城の鎮守として造られました。本殿は三間社流造で、国の重要文化財です。棟礼から文明12年(1480年)石川八郎左衛門尉(石川源氏)による再建と分かりました。本殿の屋根は、昭和40年・平成13年に、裏の里山で取れた檜皮で葺き替えられています。
近世までは徳寿院蒿福寺という神宮寺がありました。明治初年の神仏分離令で、廃寺となりました。
裏山は「シイノ森」としての神域で、伐採を禁じられています。
氏子は上田・小塩・喜多・楠ヶ丘・大師町です。
末社の恵比須社は、島根県の美保神社から、昭和30年に分霊されたもので、御祭神は、事代主命・三穂津姫命で、海運漁業の神で、安産の神でもあります。事代主命は恵比須さんのことです。美保神社は全国各地にあるゑびす社の総本山で、3385社あります。西宮神社と違う系統の福の神のえびす様の総本社です。
河内長野市内ではこの恵比須さんだけが、1月6日~7日に恵比須祭が行われます。6日の宵恵比寿の14~19時の間と、7日の本恵比寿の10~15時までの間は、「おぜんざい」の接待が行われます。
また、7日の本恵比寿では、15時から「餅まき」が行われます。烏帽子形神社へは、河内長野駅からは、旧高野街道を南下して20分のところです。また、三日市町駅からは旧高野街道を北進して、同じく20分です。裏の山は、平成23年のはじめに国の史跡になった烏帽子形城跡です。
Written by マロンさん