現在の検索条件
-
枚方八景 香里団地の並木(けやき通り)
緑の丘陵と田畑が、昭和14年に陸軍の香里製造所となり、戦後ニュータウンが計画され、昭和30年代に現在の香里団地に姿を変えました。大通りのケヤキ並木、イチョウ通りの並木といった街路樹は、昔からここに生えていたかのように枝葉を空に張っています。
-
淀川舟運イベント
江戸時代、枚方は京街道(東海道)の宿場町として栄え、また、淀川を往来する三十石船の中継港として大いににぎわっていました。
淀川舟運の再生が求められるようになると、天満橋八軒家浜(はちけんやはま)船着場と枚方船着場間で観光船の運航が始まり、平成29年9月より定期運航も開始されました。屋形船やクルーズ船に乗船し、毛馬閘門の通過体験や、「三十石船唄」を聞くことができる船旅で、淀川舟運ゆかりの枚方宿地区の散策もできます。 -
ひらかた菊フェスティバル
市の花「菊」にちなみ、「ひらかた菊花展」・「枚方宿街道菊花祭」・「市民菊人形展」を総称して「ひらかた菊フェスティバル」を開催しています。
-
大阪府史跡「伝王仁墓(でんわにはか)」
8世紀に編纂された古事記・日本書紀によると、王仁博士は応神天皇のころ、論語十巻・千字文一巻を携え、朝鮮半島百済から渡来し、皇子に学問を教えたと記されています。日本に漢字を伝えた王仁博士の墓と伝えられる「伝王仁墓」は、韓国からも多くの訪問者が訪れ、日本と韓国の友好のシンボルとなっています。
-
市立枚方宿鍵屋資料館
鍵屋は、伏見と大坂を結ぶ三十石船の船待ちの宿として江戸時代に賑わい、平成9年まで料亭を営んでいました。同年、市の有形文化財に指定した鍵屋主屋は、極めて少なくなった江戸時代の様式を残す歴史的建造物で、寄贈を受けた市が解体復原し、平成13年に「市立枚方宿鍵屋資料館」として開館しました。宿場に残された古文書や民具、発掘調査の出土品などの展示やくらわんか舟、三十石船などの模型や映像を見ることができ、枚方宿や淀川舟運の歴史を学んでいただけます。なお、鍵屋の敷地は平成10年に市の指定史跡に指定し、昭和初期に建てられた近代和風建築の別棟は、令和5年に国の登録有形文化財に登録されました。
-
新春走ろうかい ひらかたハーフマラソン
このイベントは、枚方市の冬の風物詩となっており、例年約3,000人が参加されているこの周辺地域最大の大会となっています。
成人の日の開催ということもあり、毎年、成人を迎える人たちが「二十歳のメモリアルRUN」として振袖姿や紋付袴姿で走っています。 -
①枚方宿くらわんか五六市 ②ふとん太鼓巡行
①江戸時代に宿場町として栄えた枚方宿の賑わいを取り戻そうと、手作り作品やこだわりのモノを集めて毎月第2日曜日に開催している市です。公募により約200店が集まり、毎回たくさんの人が訪れ、作品・商品にまつわる作り手との語らいが生まれる活気ある市となっています。
②ふとん太鼓とは河内・泉州地方やその周辺で担がれる大型の太鼓台のことです。枚方市では毎年10月第2日曜日に開催され、内部に積まれている太鼓を叩き、1トンほどもある重さの台を約50人が担いで、掛け声にあわせ枚方市駅周辺を豪快に練り歩いています。枚方上之町にある意賀美神社の秋季例祭に五穀豊穣を祈る祭りとして、その起源は江戸時代にまで遡ると伝えられています。 -
枚方宿(京街道)
枚方宿は東海道57次の56番目の宿場町として、また淀川舟運の中継港として栄え、東海道筋でも有数の宿場町として、街道筋には本陣や問屋場のほか旅籠や茶屋が軒を並べ、徳川御三家の紀州侯が参勤交代の折にお泊りになる大きな宿場町でした。その延長は約1.5kmにもおよび、現在でも街道沿いには歴史的な町家が建ち並び当時の面影を残しています。
-
市民の森(鏡伝池緑地)
市政35周年に市民の森として整備したもので、鏡伝池を中心に、花しょうぶ園や「せせらぎの森」などのゾーンを園路や橋で結んだユニークな緑地です。
管理事務所では、緑化に関する講演会や展示会などを開催しており、施設内には、緑に関する資料室も備えています。
鏡伝池周辺は、古く平安貴族の遊猟の地と言われ、池面に映る月を詠んだ歌も残されています。 -
車塚公園
約5haにおよぶ広大な敷地には、豊かな緑や憩いのスペースとなっており、東側エリアは、芝生広場を中心に「桜の丘」や「水辺の空間」、西側エリアは、牧野車塚古墳の縁部に芝生広場などを設け、憩いや自然の安らぎを感じる公園として整備しています。
この公園は「安心と輝きの杜」の整備として、「中央図書館」、「輝きプラザきらら」と共に一体に整備したものです。また、災害発生時には、一時避難地として市民の安全を守ります。