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大念寺・鶯関神社(だいねんじ・おうかんじんじゃ)
大念寺の梵鐘は、鐘楼に吊るされ、大きさは高さ146.5cm、口径92cmで、市内最大です。観音堂には、十一面観音が安置され、境内には、室町時代につくられた十三仏板碑もあります。大念寺門前の旧守口街道(行基みち)は、生駒山系を越えて大和国へと通じ、寝屋川と交わる堀溝の地は交通の要衝であったため、中世以前にはこの地に「鶯の関」(関所)がもうけられたといわれています。
また、街道沿いには、鶯関神社があります。 -
伝・秦河勝の墓(でん・はたのかわかつのはか)
6~7世紀に聖徳太子を補佐し活躍したと伝わる秦河勝を顕彰するために、その子孫によって江戸時代に秦山と呼ばれる寝屋川北岸の丘陵上に建てられました。中央に高さ2.42mの五輪塔が建てられていて、五輪塔南側に一対の石灯篭が建てられています。
秦河勝は、聖徳太子から仏像を賜って、京都の太秦に広隆寺を建立したこと、また、日本における舞楽や能の始まりにかかわったことで知られています。この墓の周辺は秦氏ゆかりの土地らしく、秦(はだ)・太秦(うずまさ)といった地名が現在でも残っています。 -
太秦高塚古墳(うずまさたかつかこふん)
太秦高塚古墳は、寝屋川市の秦・太秦の丘陵上に所在する太秦古墳群で、唯一現存する古墳です。
2001年(平成13年)の発掘調査によって、古墳の形状や保存状況がわかり、人物・水鳥・鶏・家・盾・衣蓋などの形をした埴輪や土器がたくさん出土しました。 出土した埴輪や土器などから、太秦高塚古墳は5世紀の後半に築かれたと考えられます。
2001年度(平成13年度)に寝屋川市制施行50周年記念事業として復元整備が行われ、2002年(平成14年)4月1日に「太秦高塚古墳公園」として開園されました。 復元された約350本の円筒埴輪が古墳の周囲を巡る情景は壮観です。 -
八坂神社のくすのき(やさかじんじゃのくすのき)
スサノオノミコトを祀る八坂神社は明治元年に改称されましたが、由緒によれば牛頭天王の総本宮である播磨国廣峯神社の分御霊として創建されたのが923年です。さらに淀川・茨田の堤建築後にできた沼から発生した疫病の平癒祈願のための創建として643年にまで遡ります。ここには「千年楠」と呼ばれる高さ約16m、周囲約7m、樹齢は650年以上と推定される(千年を超えるという説も)くすのきをはじめ寝屋川市が指定する保存樹4本を含め計19本ものくすのきが育っており、駅前とは思えない静かな雰囲気は古代から連綿と続く鎮守の杜の佇まいを残しています。ここのくすのきにはフクロウの亜種である珍しいアオバズクが棲息しているのも鎮守の杜ならではです。
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春日神社のスダジイの社叢(かすがじんじゃのすだじいのしゃそう)
シイは、ブナ科シイ属の樹木の総称で、日本の暖帯林の最重要樹種で、東北南部以西の本州から九州の丘陵・山野の広範囲に分布しており、高さ20mにもなる常緑高木です。5月下旬から6月に強い香りのある花が咲き、秋に実(堅果)をつけます。
春日神社には、社殿を囲むように樹高10mから15m、幹回り4m程度のスダジイの巨木が2本生育しています。
このうち、神社東側の旧堂池(現在は埋め立て)の池端にあるものは、幹が池側に大きく張り出していて、立派な樹形です。
人里近くに、スダジイの巨木が群生することは珍しく、1981年(昭和56年)に大阪府の天然記念物に指定されました。 -
神田天満宮のくすのき(千年大楠)(かみだてんまんぐうのくすのき せんねんおおくす)
神田天満宮に数本あるクスノキの巨木のうち、社殿東側にある木は、高さこそ蘇生治療により枯れた幹を切除したため現在は15メートルですが、幹まわりは10メートルを超え、寝屋川市内最大、大阪府内でもトップクラスの巨木です。大阪府指定天然記念物でもあります。
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友呂岐緑地と寝屋川せせらぎ公園(ともろぎりょくちとねやがわせせらぎこうえん)
友呂岐(ともろぎ)緑地は、昔、寝屋川沿いを並行して流れていた二本の水路を一本にまとめて整備された緑道です。 京阪寝屋川市駅北部から萱島駅までを結ぶ約3.5kmの緑地は、見事に成長した350本のサクラ並木が有名で、お花見やウォーキングなどでにぎわっています。水と緑の自然景観を活かした休憩所が各所に設置され、特に清水町付近の通称「たこ公園」は世代を越えて地域のみんなから愛されています。
この緑地帯に隣接して寝屋川市駅前に「せせらぎ親水公園」があります。「寝屋川の再生を図る」寝屋川再生ワークショップに参加する市民と行政が、計画段階から協働して整備し、平成17年4月に市民が川面に近づける憩い空間が誕生しました。寝屋川市駅西側広場に隣接した延長220メートル、最大幅28メートルの親水空間には、デッキ、船着場、遊歩道、沈下橋、自然石を積んだ生き物生息環境などが配置され、橋の上から眺めるだけだった「寝屋川」は、市民と行政の協働、エコロジーのシンボルとして生まれ変わりました。 -
厳島神社末社春日神社本殿
末社春日神社本殿は一間社流造檜皮葺で、厳島神社旧本殿と伝えられています。建築年代は、交野天神社本殿と共通する様式も見られ、室町時代中期に遡る遺構と考えられます。昭和53年に重要文化財に指定されています。
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片埜神社本殿(かたのじんじゃほんでん)
片埜神社本殿は、残されている棟札によると、慶長7年(1602年)豊臣秀頼が片桐且元を総奉行に再建したもので、三間社流造、檜皮葺で、細部にいたるまで桃山時代の華麗な様式をよく示しており、昭和25年に重要文化財に指定されています。特に四面を飾る蟇股(かえるまた)の彫刻に当時の特色をみることができ、「竹に虎」、「芙蓉にせきれい」、「椿にひよどり」など、絵画的で精巧な彫刻がそろっていて見応えがあります。
平成21年から23年に、檜皮葺屋根の葺替、彩色の塗替が行われ、朱漆塗に極彩色の壮麗な社殿がよみがえりました。 -
交野天神社本殿・交野天神社末社八幡神社本殿
交野天神社本殿は一間社流造檜皮葺で、応永9年(1402)の建築です。末社八幡神社本殿も一間社流造檜皮葺で交野天神社本殿よりやや小ぶりですが、やはり応永頃の建築と考えられます。両者とも室町時代中期に遡り、枚方市の建築物としては最古のものです。昭和25年に重要文化財に指定されています。