現在の検索条件
-
寝屋のまちなみ(伝・寝屋長者屋敷跡)(ねやのまちなみ でん ねやちょうじゃやしきあと)
寝屋地区は、現在の寝屋川市では珍しくなった旧街道の佇まいを残しています。土塀や蔵が続くまちなみはノスタルジックな雰囲気を見せています。また、近くには一寸法師や浦島太郎で有名な「御伽草子」に出てくる「鉢かづき姫」とも関係深い伝・寝屋長者屋敷跡(寝屋二丁目)や、物語の背骨ともいうべき観音信仰に由来するとされる千手観音立像が安置されている西蓮寺があります。寝屋地区にはほかに、大坂夏の陣の年(1615年・慶長20年)に鋳造された市指定有形文化財の梵鐘がある正法寺もあります。さらに近くを第二京阪道路が通っており、近未来的な風景とレトロな景色のコントラストも興味深いです。
-
打上川治水緑地(うちあげがわちすいりょくち)
打上川治水緑地は、洪水のときに寝屋川と打上川の両河川の流量を調整するために、大阪府がつくった施設です。芝生広場は、大・小あわせて1万2000平方メートルの広さがあり、公園全体が一望できることから、数万人規模の大きなイベントにも利用されみんなに親しまれています。また、ウォーキングコースがあり、散歩やジョギングが盛んです。緑地内の池には野鳥が飛来し、春には桜が満開となり、水と緑のふれあえる場所です。
-
住吉神社(ねや川の戎さん)
住吉神社は古来三社大明神といい、祭神は住吉大神・春日大神・戎大神の三柱を合わせ祀っています。
江戸時代慶長年間(1596~1615)に火災に遭い、社殿や宝物をことごとく焼いてしまいました。再建にあたり少し場所を移し、現在の地に遷座し、地域の鎮守として信仰を集めてきました。
また、住吉神社は「ねや川戎神社」ともいい、「ねやがわのえべっさん」と親しまれています。戎大祭は昭和35年に復興されました。1月9日の宵(よい)戎、10日の本戎、11日の残り戎の3日間は、京阪沿線はもちろん、大阪市内、京都府内はもとより近畿一円から3日間で10万人を超える参拝者で賑わいをみせています。 -
香里ヌヴェール学院(旧:聖母女学院)校舎
香里ヌヴェール学院(旧:聖母女学院)は1923年大阪市(現在の中央区玉造)にて創立・開校されたカトリック系の小学校・中学校・高等学校。1932年に現校舎のある寝屋川市の香里園(美井町)の地に移転しました。この校舎はその当時建設され、現在では国の登録有形文化財(建築物)に指定されています。設計は旧帝国ホテルの設計などで有名なフランク・ロイド・ライトに師事した建築家アントニン・レーモンド(チェコ出身 1888~1976)。レーモンドはライトが旧帝国ホテル建設で来日したときの主任製図工でもありました。南仏をイメージした優美なアーチとスクウェアな建物のコントラストが美しく、また、日本最古のコンクリート打ち放しの体育室やシンプルなステンドグラスがある聖堂は西日が差し込むときが特にすばらしいです。
-
幹線水路の桜(かんせんすいろのさくら)
寝屋川市の北を淀川に沿って流れる幹線水路は、淀川からかんがい用の水を引くために作られ、淀川左岸の枚方から守口まで続いています。この水路の両側に桜が植えられるようになったのは1960(昭和35)年から1970(昭和45)年ごろで、当時地域の人々が美しい景色を楽しめるように植えたそうです。地元の人々が中心となって守り続けた水路の桜は、寝屋川市の木屋元町~太間町~点野~仁和寺本町の約4キロメートルにもわたる桜並木となり、平成元(1989)年には「大阪みどりの百選(主催:大阪府)」にも選ばれた、知る人ぞ知る桜の名所です。爽やかな川の流れを囲む桜のトンネルの中を、船で通り抜ける行事も行われており、見事な景観を見せてくれます。
-
メイプルアベニュー、ローレルアベニュー、コルナスアベニュー
木造賃貸住宅等が密集している萱島東地区で、特に面的整備ゾーンとして密集住宅市街地整備事業が進められました。老朽化した木造賃貸住宅等を複数の土地所有者などが共同して良好な賃貸共同住宅に建替えて建物の不燃化の促進を図り、建替えに併せて、地域の防災道路となる主要生活道路の拡幅整備が行われました。新しく生まれ変わったまちは、大阪府内などの密集地区の建替え事業のモデル事業となっています。
-
ネイキッドスクエア
寝屋川市萱島東地区は、木造住宅が密集する地域でしたが、ゆとりの街並みづくりや防災への配慮から、建替え促進として、密集住宅市街地整備促進事業が進められました。現在は、3階建・型枠コンクリートブロック壁式構造、街路形成型住棟のコーポラティブ住宅で、駐車場を兼ねた中庭広場を持つ特徴のある住宅が建造されています。
-
大阪仏舎利塔(おおさかぶっしゃりとう)
仏舎利塔とは釈迦の遺骨(仏舎利)を納めた塔であり、この地の仏舎利塔は大阪婦人活動の先駆者でもある川嶋貞子が私有地を開放し、私費を投じて建立したものです(昭和38年完成)。貞子が亡夫の遺志を継いで仏跡を巡礼した後、当時のインドのネール首相を訪ね仏舎利塔建立を直接嘆願しました。賛同した首相が直接贈呈した仏舎利を納めています。エキゾチックなインド様式の曲線を持つ塔は、信仰の対象だけでなく、美しい白亜の塔として地域のランドマークでもあります。現在は貞子が設立した社会福祉法人百丈山合掌会という老人ホームの敷地になっていますが、一般の人も参詣できます。
-
大念寺・鶯関神社(だいねんじ・おうかんじんじゃ)
大念寺の梵鐘は、鐘楼に吊るされ、大きさは高さ146.5cm、口径92cmで、市内最大です。観音堂には、十一面観音が安置され、境内には、室町時代につくられた十三仏板碑もあります。大念寺門前の旧守口街道(行基みち)は、生駒山系を越えて大和国へと通じ、寝屋川と交わる堀溝の地は交通の要衝であったため、中世以前にはこの地に「鶯の関」(関所)がもうけられたといわれています。
また、街道沿いには、鶯関神社があります。 -
伝・秦河勝の墓(でん・はたのかわかつのはか)
6~7世紀に聖徳太子を補佐し活躍したと伝わる秦河勝を顕彰するために、その子孫によって江戸時代に秦山と呼ばれる寝屋川北岸の丘陵上に建てられました。中央に高さ2.42mの五輪塔が建てられていて、五輪塔南側に一対の石灯篭が建てられています。
秦河勝は、聖徳太子から仏像を賜って、京都の太秦に広隆寺を建立したこと、また、日本における舞楽や能の始まりにかかわったことで知られています。この墓の周辺は秦氏ゆかりの土地らしく、秦(はだ)・太秦(うずまさ)といった地名が現在でも残っています。