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伝茨田堤
この堤防は古墳時代中期に築かれた記録に残る日本最古の堤「茨田堤」のなごりであると伝えられています。仁徳天皇の時代に、淀川の洪水を防ぐために渡来人の技術を得て、築かれたことが「古事記」「日本書紀」に記されています。堤の完成で、農耕文化が急速に発展したことを伝えています。
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河内蓮根奉納行列
河内れんこんを奈良市春日大社若宮神社に供える奉納行列です。地元の伝承では、幕末期、奈良に蓮根を売りに行った若者が盗賊に襲われたため、無事を願って村中で金を集め春日大社に石灯籠を奉納し、授かった御用提灯を持って行商に行くと襲われなくなったという言い伝えがあります。恩返しの意味を込めて、20数名が装束に身を包み地元農道を練り歩いた後、大社の「一の鳥居」から1キロあまり離れた若宮神社に向け、御用提灯を先頭に奉納行列を行います。
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砂子水路の桜(すなごすいろのさくら)
「大阪みどりの百選」の第2位に選ばれており、500mの水路の両岸に約200本のソメイヨシノが見事に咲きそろう市内で一番の桜の名所です。シーズン中は、お弁当を広げたり、夜桜を見物したりと、大勢の花見客であふれます。休日には地元の砂子水路桜保存会のみなさんが舟を出し、水上からの桜見物を楽しむ人でにぎわいます。
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薫蓋クス(くんがいくす)
三島神社の境内にある樹齢1千年といわれるクスノキの巨樹で、大阪府にわずか4件しかない国指定の樹木の天然記念物の1つです。薫蓋という名称は、左少将千種有文の歌「薫蓋樟 村雨の雨やどりせし唐土の 松におとらぬ楠ぞこのくす」から採っており、歌碑が根元に建てられています。幹周り13.1m、樹高は約25mで、いかにも雄大な薫るきぬがさというにふさわしい樹形をしており、地元では「薫蓋樟」の名称で親しまれています。
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末広町のまちなみ
「大正ロマン」のコンセプトで再生され、コミュニティ道路はまちなみと調和し、グレードの高い魅力的な景観となっています。「末広町のまちなみ」は、平成18年度に府民投票をもとに「大阪まちなみ百景」に選定されています。
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カルチェ・ダムールのまちなみ
品格のある外壁、中央部のモニュメントなど、良好な住環境を備えています。「カルチェ・ダムールのまちなみ」は、平成18年度に府民投票をもとに「大阪まちなみ百景」に選定されています。また、大阪まちなみ賞(第12回大阪府知事賞)も受賞しています。
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石原町・幸福町のまちなみ
花が顔を覗かせるバルコニー、明るい色彩、統一感のあるデザイン、ガス灯風の街灯など、まちづくりへの配慮が見られます。「石原町・幸福町のまちなみ」は、平成18年度に府民投票をもとに「大阪まちなみ百景」に選定されています。
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だんじり祭り(だんじりまつり)
大東市に現存するだんじりは市内全域で34台あり、保有台数は北河内で最多とも言われています。またその形は「北河内型」といわれ、大きさや彫りの美しさには、他地域では見られない素晴らしさがあります。
毎年秋に豊年を祝いだんじりを曳行する秋まつりは、現在でも地域の伝統行事として大切に引き継がれています。特に近年は複数地域のだんじりを一堂に集める等の取組が進められていることもあり、だんじりの美しさや威勢のよさを見物に近郊から訪れる人が多く、大変なにぎわいをみせています。
◆住道だんじりまつり(末広公園、泉公園)、◆南大東連合会パレード(末広公園)、◆四条ふるさとまつり(野崎参道商店街)、◆南郷まつり(南郷町ふれあい広場) などがあります。 -
野崎まいり(のざきまいり)
野崎まいりは17世紀後半にはじまり、大坂の町や近郷から行楽を兼ねてお参りをする人々で賑わいました。
当時の大坂から今福・徳庵を経ての野崎まいりは、屋形舟で川をさかのぼるか、川の堤を歩いていくかのどちらかでした。春たけなわ菜の花の咲く中を舟の乗客と土手を通る人がお互いにののしり合う光景は古典落語でも演じられています。
現在は屋形舟での野崎まいりはできませんが、5月1日~8日にかけて、野崎参道に出店が立ち並び大変なにぎわいを見せています。 -
福聚山慈眼寺〔通称〕野崎観音(ふくじゅさんじげんじ)
野崎観音は、天平勝宝年間頃、行基が本尊である十一面観音を刻み安置したことにより始まったと伝えられています。その後、一時荒廃していたものを平安時代、摂津江口の長者(江口の君)が難病治癒の御礼に現在の地に移し再興したと言われています。
江戸時代には、大阪町人や近郊の農民たちの間で行楽を兼ねた社寺詣でが盛んになり、眺めも良く大阪からだと日帰りできることもあり野崎観音は人気を集め、「近在遠郷の参拝者ひきもきらず」という程の盛況を見せました。
「お染久松」悲恋物語として近松半二の人形浄瑠璃「新版歌祭文」や、東海林太郎が歌った「野崎小唄」等の作品の舞台としても登場します。