現在の検索条件
-
二田村境石造物群(ふったむらざかいせきぞうぶつぐん)
二田村境石造物群は、地域ではこの地が旧二田村の南端であると認識されている場所にあります。石仏は、蓮華寺由来の「役行者」「不動明王」「厄除観世音菩薩」「弘法大師」「子安地蔵尊」「せき地蔵尊」「づつう地蔵尊」、旧大神宮(明治42年 曽禰神社に合祀)由来の「才の神」、村の辻々にあった4体、近年建立された「交通安全地蔵尊」の、合わせて13体の石仏が祀られています。地域ではそれら石仏を総称して「地蔵さん」あるいは「二田(ふった)の地蔵さん」と呼び親しまれています。ムラの出入口は災厄が出入りする場所であり、そこに信仰物を祀る行為は、災厄がムラに入るのを阻止する意味をもっています。
「交通安全地蔵尊」は平成10年に建立され、石造物群中最も新しいものです。地蔵堂から離れた場所にある信号機設置場所で事故が多発しても、横断歩道はあるが信号機は設置されていない地蔵堂前で事故がおこらないのは「交通安全地蔵尊」を祀っているからであると、地域では語られています。
石造物群の存在はムラにおける境神信仰の様子を知ることができるものとして貴重です。
現在は、年1回8月23日・24日に地蔵盆が開催されています。 -
小林美術館(こばやしびじゅつかん)
小林美術館は、2016年6月に開館した、高石市で初めての美術館です。
横山大観、上村松園など、文化勲章を受章した日本画家(39名)全員の作品を所蔵しているのが特徴で、テーマを設けた特別展や季節に合わせた季節展を開催し、近代日本画を中心に紹介しています。また、学芸員による解説など各種イベントもございます。
展示室では作品を間近に鑑賞することができ、美術鑑賞の後は1階のカフェでくつろぎながらコーヒーや軽食が味わえます。美しい松林で有名な浜寺公園も近く、公園散策の帰りに立ち寄ることもできます。いつでも気軽に日本画に親しめる新しい観光スポットとしてお勧めです。 -
大正区の工場群とその足跡を伝える石碑
大正区では明治から昭和初期にかけて、造船業、鉄鋼業などが栄え、巨大な工場群を形成、大阪の産業を牽引してきました。
戦後、それら産業は時代のニーズに応じて様々な業態に変化してきました。特に、船町から鶴町にかけては、合金、港湾機械、船舶及び映画のロケ地にもなった製鋼所等の工場が軒を連ね、その風景は大正区のシンボルとなっています。
また、明治から大正にかけて「東洋のマンチェスター」と言われた大阪の紡績業の発祥の地と大阪空港の前身となった木津川飛行場跡地に石碑があり、大正区がかつて紡績と空路の中心であったことを伝える数少ない貴重な史跡となっています。 -
大正区とその周辺を結ぶ橋梁群と渡船
四方を尻無川、木津川及び大阪湾で囲まれた大正区はまさに「島」。区を往来するには、橋または渡船を使う必要があり、住民の生活にとってなくてはならないものです。
なみはや大橋、千歳橋など巨大なものや千本松大橋、新木津川大橋のようなループ状のものなど、迫力ある橋梁は区のシンボル的な建造物です。
渡船は区内に7ヶ所あり、料金は無料。住民の足として、重要な役割を担っています。船上から見ることのできる工場群やクレーンなどの風景は大正区ならでは。令和4年には「ふね遺産」に認定されました。 -
旧河澄家(きゅうかわずみけ)
河澄家は江戸時代に日下村の庄屋を努めた旧家で、代々地域の発展に貢献してきました。平成21年3月に保存修理工事が完了して、平成23年5月から一般公開を行っています。
敷地内には、3棟の建物と主庭、裏庭、「日下のかや」として東大阪市の天然記念物に指定されたカヤの木を有します。
敷地中央に江戸時代初期の様式でたてられた主屋があり、西側に奥屋敷「棲鶴楼」、奥手に土蔵が配置されています。このうち主屋と奥屋敷「棲鶴楼」及び庭園を含む敷地が平成13年11月8日に東大阪市の文化財に指定されています。
かつての文人墨客が集い、庭を眺め、花合わせや観月の催しに興じたという記録の残る棲鶴楼は数寄屋風書院造の建物で、ここからは枯池式枯山水庭園である主庭を望むことができます。 -
とよのコスモスの里
花の愛好家が始め、今では全国にその名が知られるようになった「とよのコスモスの里」。約1ヘクタールの園内に咲き競う色鮮やかなコスモスは、およそ数百万本。園内の遊歩道を進むと、大人の背丈ほどもあるコスモスにすっぽりと包まれ、秋の風情を満喫することができます。
【開園期間】9月中旬から10月下旬 -
川中邸と屋敷林(かわなかていとやしきりん)
川中邸は江戸時代に大和川の付替えに尽力した中甚兵衛翁ゆかりの地で、国の登録有形文化財に指定された邸宅と、数百年にわたって守られてきた緑豊かな屋敷林が残っています。約5000㎡の面積を有する屋敷林一帯は川中氏とボランティアの活動によって保全されており、市街地に残る貴重な自然として、「今米特別緑地保全地区」にも指定されています。
※現在も居宅として利用されていますので、見学の際はご配慮ください。 -
腰神神社(こしがみじんじゃ)
腰神神社は、富田林市内最高峰金胎寺山より派生する巨岩をご神体とする神社です。御祭神は箕島宿祢・八大竜王・猿田彦尊・国光大明神で、創始は大化の改新(645年)頃、文武の師範箕島宿祢をお祀りしました。
建武元年(1334年)に楠木正成が後醍醐天皇の命で鎌倉幕府討伐の途中、愛馬千早丸の腰が立たなくなり、この神社の藤の木につないでおいたところ治ったと伝えられています。樹齢700年のその藤の木は現存しており、その御礼として1寸8分の黄金毘沙門天像と菊水の御紋を賜りました。このことから、腰痛に霊験あらたかとして参詣する人が多いと言われています。 -
金胎寺山(金胎寺城址)
城のあった金胎寺山は標高296.4mで富田林市で一番高い山です。この金胎寺城は後醍醐天皇に仕えた楠木正成が鎌倉幕府と戦うため、南北朝時代の元弘3年(1333年)に楠木7城の一つとして築城されたものです。楠公の有名な戦法である岩石・木材落としをこの城でも行い幕府軍を苦しめたと伝えられています。
その後、南北朝時代の争いが続き、正平15年(1360年)畠山氏が勝って畠山氏の支城となり、室町時代の中期には畠山氏のお家騒動の末、寛正4年(1463年)落城しました。山の頂上からは金剛・葛城山はもちろんハルカス・関空・淡路島等360度の素晴らしい眺望が望めます。 -
今東光資料館(こんとうこうしりょうかん)
河内・八尾の文化を愛した直木賞作家・今 東光(こん とうこう)の文学及び活動の紹介を通じて、八尾市の魅力を発見・発信し、文芸の奥深い世界にふれることのできる資料館として、八尾図書館3階に設置されています。
今東光は、大正時代に20代で作家活動を開始し、出家後昭和26(1951)年に現在の西山本町にある天台院の特命住職として赴任、昭和50(1975)年に千葉県佐倉市に転居するまでの24年間八尾に在住し、河内・八尾の歴史、文化、人々の生活習慣や人情などを題材として、数々の作品を創作しました。
ここでは、今東光の生涯・事績やその幅広い交友関係を知ることができ、今東光の生原稿や映像、音声等を楽しめるコーナーがあります。また、「今東光作品にちなんだ八尾の人・まちの魅力の紹介」をテーマとした企画展示・その他のイベント等も開催しています。