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島頭天満宮(しまがしらてんまんぐう)
この神社は17世紀にはあったとの記録があり、明治時代には産須那(うぶすな)神社と呼ばれていたが、昭和51年に「島頭」という江戸時代の旧村名を残すため、島頭天満宮と改名された。
旧島頭村とそれに隣接する3つの旧村それぞれに神社(島頭天満宮、産土神社(城垣地区)、産土神社(岸和田地区)、菅原神社(下馬伏地区))がある。これら神社の祭神は全て菅原道真であり、学業成就を祈願するパワースポットが集積する府内でも珍しい地域である。
本殿前東側には幹周6mを越す楠の巨樹がある。門真市内の寝屋川と古川流域には萱島の大楠をはじめとして、大きな楠が点在しており、島頭天満宮の楠もその一つである。 -
能勢妙見山(のせみょうけんざん)
標高660mの山頂にあり、地元では「能勢の妙見さん」と呼ばれ、親しまれれています。
能勢妙見山には北極星の神様「北辰妙見大菩薩」が祀られています。北極星はあらゆる星の最高位として古くから信仰を集めており、目標へと人を導き、運命を切り拓く神様と言われています。奈良時代の行基開闢といわれ、平安時代には源氏の祖である源満仲が信仰し、摂津源氏の系譜である能勢氏が代々守り続けてきました。江戸時代には芸能の神様として三代目四代目中村歌右衛門の信仰があったり、幕末には勝海舟も参詣したといわれています。大阪の北端の能勢町から南端の大阪湾が見渡せる景色は他では見られないもので、季節ごとにうつろう山の景色も見事です。
また、妙見山に広がる天然記念物の「ブナ林」は近畿以西で標高660mのような低い場所で生育していることが珍しく、山頂から北西斜面にかけて、幹周り2m以上のものが多く見られ、府下最大級のものも見られます。 -
能勢高原ドローンフィールド(のせこうげんどろーんふぃーるど)
本施設は都市圏から近く、新大阪駅・伊丹空港からも車で約40分という近距離にあります。訓練フィールドは勾配や起伏に富み、林間や水源等、多様な自然環境に恵まれ、さらにドローン操作や測量等の検証フィールドにも活用できる様々な建築物を有し、訓練フィールドとしては、西日本最大級の規模を誇ります。
また、広大な敷地を利用し技能訓練や飛行実験など、ドローンを始めようとする方から産業用ドローンの開発や実験、メーカーのイベント会場等に利用できます。
このように本施設はドローンに関する府内で希少な魅力スポットであると考えます。 -
ボウケンノモリのせ(ぼうけんのもりのせ)
大阪府立総合野外活動センターの跡地(敷地面積約80,000平方メートル)を活用して、池の上空を滑空する樹間距離500m超えのジップラインをはじめ、58のアクティビティが体験できる「ツリー トップ アドベンチャー」と、施設内をセグウェイで散策する「フォレスト セグウェイツアー」、2つのアトラクションの他にキャンプやBBQも楽しめます。
普段味わうことのできない森の冒険を体験できる府内でも数少ない自然体感型施設です。 -
彫刻の美術館 スキュルチュール江坂(ちょうこくのびじゅつかんすきゅるちゅーるえさか)
この美術館は、近現代ヨーロッパの彫刻家であるヘンリー・ムーア、オシップ・ザッキン、ブールデル、ロダン、ジャコメッティ、マリノ・マリーニ、ジャコモ・マンズー、メダルド・ロッソとそうそうたる顔ぶれの作品を展示しています。特にヘンリー・ムーアの大理石の彫刻『少女の胸像』、ロダンの『バルザック(最終習作)』、ジャコメッティの『男の胸像』、ロッソの『病める子』などは世界に誇れる作品です。
また、希少価値の高いデッサンや関連図書・文献も設置されています。
テラスと外の庭にはフランスの女流彫刻家のマルタ・パンの作品が4点展示されており、そのうち庭に置かれている3点はリーニュ・ブランシュの庭(フランス語で白い線)と言われている通り、モニュメント・メイズ・フロートの3点の作品がそれぞれ白い線で結ばれており、フロートは風を受けて池の中で向きを変えるユニークな作品です。
このように本美術館はそれぞれの作品が最も効果的かつ調和した環境で、近現代ヨーロッパ彫刻の魅力を満喫できる府内でも貴重な施設と考えます。 -
観光農業さかえ農園
さかえ農園は自然いっぱいの観光農園です。
しだれ桜やあせび、ツツジ、わらび等もあり、春の行事を楽しむことができる交流型施設でもあります。
周辺は田園が広がり、美しい農村風景がひろがっています。 -
右近の郷(うこんのさと)
右近の郷は、廃校になった高山小学校を改修整備し設置された施設で、そのグラウンド跡には高山右近・志野ご夫妻の石像が建立されています。
高山右近は豊能町の高山地区、妻の志野氏は豊能町の余野地区が出身であり、この石像は夫妻が豊能町にゆかりのあることを示す重要なものです。
また本施設は、毎週日曜日に農産物直売所がオープンし、地域で採れた新鮮な農産物が販売されます。冬には、「高山真菜」、「高山牛蒡」という豊能町特産のなにわの伝統野菜が出品されます。 -
平和公園
平和公園は市制施行20周年を記念して、昭和61年11月5日にオープンした公園です。北・中央・南の三つのゾーンからなり、北ゾーンには梅林が植えられ春には花見が楽しめます。中央ゾーンはスポーツ等ができる広場が設けられております。南ゾーンには、当時では日本最大規模のアーチ型カリヨンや、広島市から譲り受けた被爆石のモニュメントを配しております。カリヨンは高さ約9mのアーチに15個の鐘が取りつけられおり、季節のメロディーを奏でることができます。被爆石(幅1.6m 高40cm)は、爆心地から南約1kmにあった広島市役所旧庁舎の前庭に使われていた敷石で、表面に熱線を浴びた焦げ跡が薄く残っています。
本公園は花とみどりにあふれ、憩いの場として多くの市民に親しまれている施設です。 -
助松村境石造物群(すけまつむらざかいせきぞうぶつぐん)
地元では「ホウケント」と呼ばれる石造物群です。地蔵堂・徳本上人筆名号碑・西国巡礼供養塔・六十六部廻国供養塔が建っています。かつてこの地には「川ぶち」という大きな淵がありました。地蔵堂には、遍路がこの堂へ泊まった際に「地蔵さんが集まって、その晩に助松で生まれた子供の寿命を決めていた」夢を見たという話が伝わります。六十六部廻国供養塔には、この地で寿命を悟った念仏聖が生きたまま穴に入り、鉦(しょう)をたたきながら亡くなった話が伝わります。
石造物群の存在はムラにおける境神信仰の様子を知ることができるものとして貴重です。 -
森村境石造物群(もりむらざかいせきぞうぶつぐん)
森村境石造物群は、地域では「せきの地蔵」と呼ばれています。水路沿いにあるこの場所が、旧森村の境であると認識されています。「せきの地蔵」は大正時代に水路をせき止めるように埋まっていた石仏を引き上げて祀ったことから「関」の地蔵と呼ばれ、それが転じて「咳」の神様といわれていますが、この呼び名は「関」(村境)と通じるのが面白い点です。他に子安地蔵10体、足神2体がお祀りされています。
石造物群の存在はムラにおける境神信仰の様子を知ることができるものとして貴重です。