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大林寺
西除川に架かる宮橋東詰に、布忍山大林寺があります。
融通念仏宗で、河内西国第5霊場として信仰されています。
本堂には、本尊の阿弥陀如来立像(南北朝時代)と並んで、等身大の十一面観音立像が厨子の中に祀られています。
十一面観音像は桧の一木造りで、高さ170cmを測ります。
光背・台座や十一面の頭上面・両手先・両足先は後世の補修ですが、そのほかは当初のままです。平安時代後半、11世紀ごろの作とみてよいでしょう。
同観音は、平安時代後半に建てられていた布忍寺の本尊でした。しかし、明治初年の廃仏毀釈に際し、十一面観音は持ち出されて、近くの大林寺に安置されたのでした。
美術史家によると、「目鼻から口もとにかけての面貌の彫りは浅く、いたって穏やかな表情となっている。面奥の深い割りに頬の張りは少ない。府内でも古像に属し、作柄も畿内作品としてしっかりしている。」と述べています。 -
柴籬神社(しばがきじんじゃ)
柴籬神社は五世紀の始め仁徳天皇の第3皇子である第18代反正天皇の都跡(治世6年間)に第24代仁賢天皇によって創建された社であります。
御祭神は、反正天皇(別名 瑞歯別命〔みずはわけのみこと〕)で、生れながら歯が立派であったと記紀にも記され、境内末社には、市内でも数少ない伝説のある歯神社が祀られ、社前には、日本でも唯一の石造の歯磨の面があり日々、参詣者が指先で歯面に触れています。
祭典日は歯にちなんで、毎年八月八日午後八時八分に斎行され、当日、境内に四百個程の庭燎灯にローソクが灯され夏の夜の風物詩ともなっています。 -
我堂八幡宮
我堂八幡宮は厄除宮として有名で、延享元年(1744)の「両我堂村明細帳」には「十五社明神」、享和2年(1802)の「東我堂村明細書上帳」にも「氏神十五社神」と記されています。
明治初年に八幡神社と称した後、大正2年(1913)に産土(うぶずな)神社と改めましたが、いまでは我堂八幡宮の名で信仰されています。
堺市の百舌鳥八幡宮の分霊を勧請したもので、品陀別命が祭神です。
境内には、江戸時代から昭和初期にかけて若者が力競べをした力石・八幡石・明治石・龍王石・金剛石が残っており、貴重な民俗資料といえます。 -
阿保神社(あおじんじゃ)
菅原道真を祭神とする古社。境内には阿保親王を祀る親王社が合祀されています。平城天皇の皇子である阿保親王は六歌仙の一人として有名な在原業平の父でもあります。
親王がこの地に住んだことから、現在の阿保の地名が生まれました。
本殿の裏には神木がそびえ立っていますが、これは大楠で高さ16m、幹周り4.5m根株張6mにも及ぶ巨大なもので、市内三名木にあげられています。 -
「まったら愛っ娘(まなっこ)~松原育ち~」
「大阪エコ農産物」の認証を受けた松原市のオリジナルブランドの農産物。「より安心・安全で美味しいものを食卓に届けたい」という生産者の想いを込め、環境や身体に優しい野菜づくりにとことんこだわっています。
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南天苑本館
南天苑本館は、南海高野線沿いの天見にある温泉旅館の建物です。この建物は明治から大正時代にかけて活躍した建築界の大御所、辰野金吾博士の辰野片岡設計事務所の設計によるもので、和風をベースとしながら、洋風モダンなデザインを取り入れた、大正・昭和初期の建築様式を忍ばせる貴重な建物です。平成15年(2003)に国の登録文化財となりました。
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高野街道沿の歴史的建造物群
京の都と真言宗の聖地高野山を結ぶ高野街道は、平安時代に行われた貴族の高野参詣や、中世から盛んになる一般民衆の高野参詣に利用されました。 特に、河内長野市内の長野町から三日市町にかけては、中世の社殿、城郭や近世・近代にかけてつくられた民家など、歴史の趣を今日に伝える建造物が数多く残っています。
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延命寺
延命寺は弘法大師創建の伝承をもちますが、延宝5年(1677)に江戸時代の高僧浄厳和尚によって薬樹山延命寺として再興されました。この寺は紅葉の名所としても有名で、特に樹齢1000年以上の弘法大師お手植えの言い伝えが残る「夕照もみじ」は、府の天然記念物に指定されています。
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河内長野シティマラソン大会
「奥河内レイクラン」をテーマに掲げる「河内長野シティマラソン大会」は、家族みんなで楽しめる冬の一大イベントとして皆様に好評をいただいております。滝畑ダムを周回するハーフマラソンをはじめ、初心者の方にも参加しやすい5km,ファンランコースも設定し、開催します。
また、飲食店等の出店ブースもご用意しており、、参加者が満足いただける大会です。 -
河内長野市商工祭『One Love FESTA』
市内の地域産業の活性と創出を図ることを目的に、河内長野市商工会青年部が中心となり開催するイベントです。地場の特産品の販売や、飲食などの模擬店、ダンスステージなど、多彩な催しが行われます。