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飛鳥川流域の自然・歴史遺産
二上山の麓を源にする飛鳥川は、河内飛鳥の中をゆるやかに流れ石川に合流します。流域には、古墳、寺院、神社など古代文化を伝える名所が多く奈良県の『遠つ飛鳥』に対し、『近つ飛鳥』と呼ばれています。「万葉集」にある「明日香川 黄葉流る 葛城の 山の木の葉は 今し散るらむ」の歌は、この川を詠んだものとも解釈され、江戸時代に駒ヶ谷の金剛輪寺に住んだ僧覚峰により、これを本歌とする「新古今集」の「あすか河 もみじ葉なかる 葛城の 山のあき風 吹そしぬらし」(人麿)の歌碑が飛鳥川のほとりに建てられています。
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ぶどうの里
羽曳野市の駒ヶ谷周辺は、土壌と気候がブドウ作りに適し、日当たりの良い丘陵地では古くからブドウが栽培されています。特にデラウェアは糖度も高く全国有数の生産地で、特産のブドウを使ったワイン作りも行われています。近年は、シャインマスカットの栽培も盛んです。
ブドウ畑の間を登っていくグレープロードは、ゆったりした気分で、緑豊かな景色と散策が楽しめる小道です。旬の時期には、ぶどうの直売所も沿道にオープンします。 -
道の駅『しらとりの郷・羽曳野』
道の駅「しらとりの郷・羽曳野」は、南阪奈道路沿いにあり、道路利用者のための休憩・情報案内施設や、バーベキュー広場なども楽しめる、憩いと健康づくりのための野外活動広場に加え、、地元でとれる新鮮・安心な農産物(野菜・くだもの・花)などを販売するJA大阪南農産物直売所「あすかてくるで」や、地域の特産品・加工品などを販売する商工物産館「タケル館」などの施設があり、新しい地域の魅力を発信しています。
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野中寺
聖徳太子の命により蘇我馬子が建立したと伝えられる古刹で、中の太子とも呼ばれています。現在も境内には金堂跡、塔跡など、創建時の伽藍の遺構が良好に残り、国の史跡にも指定されています。江戸時代に律宗の学問所として興隆し、方丈、勧学院(府指定文化財)等の建物が当時をしのばせています。金銅弥勒菩薩半跏像(国指定重要文化財)、平安時代の地蔵菩薩立像(同)などがあり、隣接する墓地には浄瑠璃で有名なお染、久松の墓もあります。
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羽曳野市指定文化財「畑田家住宅」と教育・文化フォーラム
羽曳野市郡戸にあり、主屋は、つし二階を持つ田の字型平面に座敷がつき、土間の梁架構は古い伝統をよく伝えています。これらに長屋門とそれに続く2棟の蔵、付属屋、納屋を配した屋敷構えは明治初期の旧家の趣きが残され、屋敷地全体が街の歴史的景観保存によく貢献しています。平成29年3月に市の指定文化財に指定されました。毎年、一般公開、小学生見学会、ノーベル賞受賞者ら世界的に著名な文化人を招いての、小・中・高校生とその保護者を対象とする「畑田塾」、フォーラムや音楽会ならびに出版などの文化活動を羽曳野市と畑田家住宅活用保存会の支援のもとに行っており、地域の文化発信の拠点としても貴重な役割を果たしています。
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白鳥神社だんじり祭
古市の白鳥神社は、かつて軽里にあった伊岐宮の祭神である、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)をお祀りしています。
毎年10月の祭りでは、古市6町からそれぞれ意匠をこらした勇壮なだんじりが出て、巡行、宮入が行われ、数多くの参観者が集まります。 -
白鳥伝説の郷
『古事記』、『日本書紀』によれば、景行天皇の皇子であった日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は、東国への遠征の帰り道に伊勢の能褒野(のぼの 三重県亀山市付近)で亡くなって葬られるが、やがて白鳥に姿を変えて飛び立ち、大和琴弾原(ことひきのはら 奈良県御所市付近)を経て、河内の旧市邑(ふるいちむら 羽曳野市古市付近)に舞い降りたので、そこにも陵を築いた。しかし、ついには天に上っていった、とあります。現在、市内には日本武尊の白鳥陵や、古市駅のすぐ東には白鳥神社が鎮座し、古代の英雄のロマンが語り継がれています。市の名称も白鳥伝説にちなむもので、白鳥三陵を縁に三市の交流も図られ、市のイメージづくりに欠かすことのできない象徴的物語として市民の間にも定着しています。
なお、白鳥陵古墳(前の山古墳)と峯ヶ塚古墳は、令和元年7月6日に大阪初の世界遺産に登録された「百舌鳥・古市古墳群」の構成資産のひとつです。 -
応神天皇陵古墳周辺の歴史景観
応神天皇陵古墳は約1600年前の5世紀前半に築造された、全長425mの規模をもつ最大級の前方後円墳で、令和元年7月6日に大阪初の世界遺産に登録された「百舌鳥・古市古墳群」の構成資産のひとつです。本来の陵域は現在よりも大きく、外濠、外堤、陪塚などの外周施設が整備されていました。『日本書紀』の「赤駒伝説」は、この辺りを舞台にしていたものと思われます。後円部に接して鎮座する誉田八幡宮は応神天皇を祀り、社伝によれば起源は欽明天皇の時代に遡るとされます。国宝に指定されている神輿は源頼朝の寄進と伝えられ、現在も9月15日に執り行われている陵へのお渡りの儀式に用いられていました。陵墓とそれを祀る神社との、長い歴史を感じとることができます。陵の傍らを通る東高野街道は高野山参詣の道として整備されたもので、近世における誉田八幡宮の賑わいを伝えています。
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布忍神社(ぬのせじんじゃ)
布忍神社は、大阪府指定有形文化財に指定されており、速須佐男之尊(すさのおのみこと)、八重事代主之尊(やえことしろぬしのみこと)、武甕槌雄之尊(たけみかずちのみこと)が祀られています。
境内には、本殿をはじめ、拝殿、末社、唐門(からもん)、客殿(旧絵馬堂)などの建物が並んでいます。
また本殿脇には、江戸時代・狩野派の作と思える唐獅子絵(からじしえ)があるほか、当神社には、江戸中期の当地域の文芸レベルの高さを如実に現わす「布忍八景」絵馬(ぬのせはっけいえま)、同じく江戸中期の高僧・高泉(こうせん)の書とされる「布忍宮」扁額(へんがく)、室町時代から江戸時代のものと思われる小絵馬(こえま)など数多くの文化財・美術品が残されています。 -
屯倉神社(みやけじんじゃ)
枝垂れ梅が有名である屯倉神社は、天慶5年(942)に菅原道真を祭神として創祀されたと伝えています。
当地にはもともと、天穂日命を祀る穂日の社があり、同社は、のち依羅三宅天満宮ともよばれるようになりました。
本殿には神像として菅原道真像が安置されています。総高99.7cm、総幅128.3cm、膝張78cmの等身大です。
体部は近世の作ですが、挿首形式の頭部は南北朝時代の古様を示しています。
天神信仰の広がりにつれ、屯倉神社には道真に関わる伝承品が多く残されています。
近世の近衛信尋自画賛の渡唐天神像、後陽成天皇の手になるという菅原道真画像、近衛基煕筆の「南無天満大自在天神」名号などは代表的なものです。
伊勢神楽講の獅子舞が秋の例大祭にあわせ各家庭をお祓いして回った後、毎年10月1日に境内で舞と芸を披露します。