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辛國神社(からくにじんじゃ)
辛國神社は、物部氏ゆかりの神社であると考えられており、一の鳥居から拝殿までの長い参道は木立につつまれ、石燈籠こま犬が並び、古い歴史を物語っており、「大阪みどりの百選」にも選ばれています。毎年10月17日には御例祭が行われ、多くの人々で賑わいます。
【藤井寺八景】 -
伴林氏神社(ともばやしのうじのじんじゃ)
古代豪族の大伴氏やその一族である林氏の祖先神の道臣命(みちおみのみこと)と天押日命(あまのおしひのみこと)を祭神とする林地区の氏神で、平安時代の文書「延喜式神名帳」(えんぎしきしんめいちょう)にも載っている古い神社です。
また、伴林氏神社の西側には今から約1350年前の白鳳時代、林氏によって建てられたと考えられるお寺がありました。この寺は、現在字名に「寺の山」とあるだけで当時の様子はもとより、寺名までも分からないため「拝志(はやし)廃寺」と呼ばれています。なお、境内には、塔の心柱の礎石が残っています。
本殿ほか4件は、堂々とした外観と洗練された細部を有する近代社殿群として国登録有形文化財(建造物)に登録されています。
【藤井寺八景】 -
善光寺(ぜんこうじ)
浄土宗知恩院派に属する寺で長野の善光寺の元祖と言われ、元善光寺の名で広く知られています。織田信長の河内攻めの時に一旦焼失、慶長年間(1596~1614)になって僧宗珍によって現在の位置に再建されました。本尊の一光三尊仏は秘仏で、毎年4月24日にご開帳があります。
【藤井寺八景】 -
道明寺(どうみょうじ)
菅原道真ゆかりの尼寺で、土師氏の氏寺として創建されました。道真作と伝えられる「十一面観音菩薩立像(国宝)」が本堂に安置されており、彫技の精巧さと檀像彫刻中特筆すべき優品として、昭和27年国宝に指定されています。
毎月18日と25日には、厨子の扉が開かれ、本尊を拝観することができます。道明寺粉の糒(ほしい)が有名です。
【藤井寺八景】 -
古室山古墳(こむろやまこふん)
古室山古墳の墳丘は、築造当初の優美な姿を今に伝えています。墳丘長150メートルを測る規模は、陵墓を除くと古市古墳群の中では最大級の古墳です。後円部頂上の標高は約39メートルを測り、国府台地でも高所に位置しており、視界をさえぎる巨木が少ないため、頂上からの眺望はすばらしいものがあります。また、梅や桜の木が植えられており、季節になると美しい花を咲かせ、訪れる人々を楽しませています。地元では実際に触れることができる身近な古墳として大変親しまれています。
【古市古墳群】 -
野中宮山古墳(のなかみややまこふん)
古市古墳群のほぼ中央、誉田御廟山(応神天皇陵)古墳の西、墓山古墳の北に位置しています。全長約154m、後円部径約100m、高さ約14.1m、前方部幅約75m、高さ約10.1m。墳丘は三段築成で、くびれ部の両側には造り出しがあります。周囲に周濠と堤をめぐらせ、4月には、墳頂にある神社の桜が見事に咲き誇り、人々が集いにぎわう名所となっています。
【古市古墳群】【藤井寺八景】 -
津堂城山古墳(つどうしろやまこふん)
城山古墳は藤井寺市の北西部津堂にある大型の前方後円墳です。城山という地名は中世の室町時代にこの古墳を城として再利用したことにちなんだものです。城山の前に津堂という地名を冠するのは、城山と称する古墳が全国にいくつもあり、これらと区別するため津堂城山古墳と呼んでいるのです。現在は周濠部に花菖蒲園が整備され、開花期に「花しょうぶまつり」が開催されます。桜が満開になる季節は、菜の花や雪柳も咲き誇りまさに「春爛漫」ですばらしい情景です。
ガイダンス棟「まほらしろやま」では、出土した埴輪や土器のほか、長さ約3.5メートル、高さ約1.9メートルという巨大な長持形石棺のレプリカの展示も行っています。
【古市古墳群】【藤井寺八景】 -
にぎわい・まなび交流館 (愛称:アイセルシュラホール)
幼児から高齢者まで、学び、集い、交流しあえる複合施設として、多くの市民から親しまれている「アイセルシュラホール」。令和7年4月のリニューアルオープンで、観光拠点としての機能も新たに加わりました。
建物の外観は、本市から出土した「修羅」と「船形埴輪」をモチーフに、歴史を継承し、未来へと出航する船をイメージしています。
施設内には、津堂城山古墳から出土した重要文化財の「水鳥形埴輪」、西墓山古墳からの出土品や古墳の築造に関する展示品、藤井寺市出身とされる遣唐留学生「井真成」の墓誌レプリカが並ぶ歴史展示コーナーなどがあります。
また、2019年3月には、美陵ポンプ場内に保存されていた「百舌鳥・古市古墳群」で唯一見学できる石室である藤の森古墳の横穴式石室が移築されました。
【藤井寺八景】 -
葛井寺(ふじいでら)
市の名前にもなっている「葛井寺」は、葛井氏の氏寺として、7世紀後半の白鳳時代に建立され、平安時代後半には観音霊場として知られるようになり、地元では「観音さん」の愛称で大変親しまれ、西国三十三所観音霊場第五番札所としてにぎわっておりました。そして、令和元年5月20日「1300年つづく日本の終活の旅~西国三十三所観音巡礼」が日本遺産に認定され、さらににぎわいを見せております。国宝に指定されている本尊は、実際に千本以上の手を持つ大変珍しい、我が国最古の千手観世音坐像で、毎月18日には厨子の扉が開かれ、拝観することができます。重要文化財の「四脚門」は安土桃山時代末期に、南大門として豊臣秀頼によって建てられ、その後、江戸時代中ごろに今の西門として移築されました。藤の名所としても知られています。
【藤井寺八景】 -
葛井寺表門通り(ふじいでら おもてもんどおり)
葛井寺自体が歴史を持ちますが、周辺にも街道が通るなど、古くから栄えており、今も面影を残す白壁の蔵など、歴史を感じさせます。「葛井寺表門通り」は、石畳が用いられた舗装が参道を連想させ、残存する旧家と相まって、歴史的な街並みを体感できるスポットです。また、夜間には灯篭をイメージした街灯から溢れる温かみのある光が一層歴史的な雰囲気を醸し出します。