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仏眼寺跡(ぶつがんじあと)
西国三十三所観音霊場の古跡として伝わる寺院跡。平安時代に花山法皇が観音霊場を巡る際の先達であった仏眼上人の庵跡とされます。仏眼上人は聖徳太子墓で花山法皇の前に忽然と現れ、これを導いたことから西国巡礼の先駆者として語られます。仏眼寺跡は『河内名所図会』に「西国巡礼元祖の寺」と紹介され、付近には石塔などが残されています。
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太子聖燈会(たいししょうとうえ)
叡福寺境内を燈火で飾るイベント。なら燈花会をモデルに、地元住民有志が立ち上げた、魅力ある太子町のまちづくりをめざす取り組みです。10,000個もの燈火が醸し出す幻想的で幽玄な世界は、人々の心を打ち、多くの参加者を集めています。
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東條地区に広がる棚田(ひがんじょちくにひろがるたなだ)
東條地区の棚田は日当たりの良い南斜面に位置し、上流にある、ため池の水源に恵まれています。6月から10月にかけての豊かな稲穂が辺り一面に広がる風景は、心を癒す景観として親しまれています。
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唐川に乱舞するホタル(からかわにらんぶするほたる)
生物にやさしいかわづくりを目指した唐川では、ホタルの生息が確認されるようになり、これを契機に地域のボランティア団体(唐川ホタルを守る会)が設立されました。その結果、現在ではたくさんのホタルが乱舞するようになっています。
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稲穂の風景に映る推古天皇陵(いなほのふうけいにうつるすいこてんのうりょう)
推古天皇陵の周りは豊かな水と日光に恵まれ、稲作農業が昔から盛んに行われており、9月から10月頃にかけての稲穂の風景に映る推古天皇陵の姿は、心を癒す景観として親しまれています。
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小野妹子墓(おののいもこのはか)
小野妹子は推古天皇が派遣した遣隋使として活躍した人物で、華道家元池坊の始祖とされ、聖徳太子の墓前に献花したことから、毎年6月30日には、全国から多数の門弟が集い、道祖小野妹子墓前祭が盛大に開催されます。墓は13メートルの塚で詳細は不明ですが、江戸時代の「河内名所図会」に紹介されるなど、古くからこの地で祀られており、地元では「いもこさん」と呼ばれ、桜、紅葉、紫陽花の名所としても親しまれています。
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叡福寺大乗会式(えいふくじだいじょうえしき)
「太子まいり」とも呼ばれ、聖徳太子の命日にちなんで毎年4月11日に行われる叡福寺最大の法要。聖徳太子の命日、2月22日を太陽暦に換算し4月11日とされました。その歴史は古く、寺には会式を盛大に執り行ったことを伝える中世の文書が多く残されており、いにしえの聖徳太子信仰が今もなお受け継がれています。この日境内では、河内の真言系寺院や地元有志の協力により盛大な法要が執り行われ、金堂前では醍醐寺三宝院門跡により護摩供養が行われます。
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マルシェdeたいし(まるしぇどぅたいし)
町の顔づくりと地域の活性化を願い、ふれあいとまちおこしを旗印にスタートした住民主導の青空市です。物販の域を超えた、社会的、文化的な活動を包含した、協働の地域活動ですが、行政等からの補助はなく、自立運営で取り組んでいます。
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叡福寺及び聖徳太子御廟(えいふくじおよびしょうとくたいしごびょう)
推古天皇の摂政であった聖徳太子は、日本史上で最も著名な人物の一人です。太子町の町名はここから由来しています。しかし、これだけの著名人にもかかわらず、斑鳩宮での没後、この地に葬られていることを知る人はわずかです。叡福寺は推古天皇の勅願で建立されたと伝えられ、聖徳太子信仰の聖地として、貴族や高僧たちも参籠しました。国の重要文化財や貴重な美術品などを納めた宝蔵も魅力的です。
※桜の名所
※行事日程 4月11日・12日「大乗会式」、4月中旬の土曜日「太子聖燈会」 -
狭山神社(さやまじんじゃ)
延喜式内社の格の高い神社で、南北朝動乱で社殿が焼失し、室町期に再建されたと言われています。境内には同じく式内社で、狭山池の堤にあった狭山堤神社も移されています。