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金剛・葛城の山並み(ダイヤモンドトレール)
金剛山・葛城山の山並みは、水越峠を挟んで、大阪市内からも一望でき、姿、形も実に雄大で綺麗です。
その上に、大阪のどこからでも、どの辺にいるのか所在もよくわかり、大阪のシンボルとしてとても素晴らしいです。 -
史跡金山古墳公園(かなやまこふん)
史跡金山古墳公園は、国の史跡に指定されています。金山古墳を史跡公園として整備したものです。金山古墳は大小二つの円丘を合わせた双円墳という全国的にも珍しい形で、6世紀末から7世紀初頭、ちょうど前方後円墳がつくられなくなるころの古墳です。憩いの場として、また歴史の体験学習ができる史跡公園です。
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大ヶ塚のまちなみ
かつて寺内町として発展し、町割りの骨格が残るほか、所々に伝統的な建築様式の建築物が残っている。「大ヶ塚のまちなみ」は、平成18年度に府民投票をもとに「大阪まちなみ百景」に選定されています。
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上の太子観光みかん園(かみのたいしかんこうみかんえん)
近鉄南大阪線沿いの丘陵に広がるみかん園です。関西では最大規模のみかん園として、毎年シーズンには、多くの行楽客が訪れます。南向きの斜面に植えられたみかんの木は1万本を越え、周囲を一望できる眺望も魅力のひとつです。
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鎌田邸の楠(かまたていのくすのき)
樹高は25メートル以上、目通し径6メートル、枝張りは東西23メートル、南北21メートルをはかるまれにみる楠の巨木です。竹内街道を歩いていると、春日の集落の中にそびえるこのくすは、一目でわかります。くすのある鎌田家は、春日村の庄屋をつとめた名家です。昭和49年に大阪府の指定天然記念物となりました。
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一須賀古墳群(いちすかこふんぐん)
本町南部の丘陵上に広がる6~7世紀前半の群集墳。直径10~20mの小円墳が約260基も密集し、その多くが内部に横穴式石室をもちます。須恵器や武器・馬具などが副葬され、金銀の装飾品をはじめ、大陸からと考えられる金銅製の沓や耳飾が発見されています。大陸や朝鮮半島の影響が色濃く見られるこの古墳群は、本町に所在する飛鳥時代の王陵との強い関係から、当時高い技術力により重用された、渡来系氏族の葬地と考えられています。
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西方院(さいほういん)
浄土宗の寺院で本尊は聖徳太子作と伝える阿弥陀如来と恵心僧都作と伝える十一面観音菩薩です。寺伝によれば、聖徳太子の死後にその乳母であった月益姫、日益姫、玉照姫(それぞれ蘇我馬子、小野妹子、物部守屋の娘)が出家し、お堂を建立し、その冥福を祈ったのが始まりとされ、近接して三尼公の御廟とされる古い三つの塔が、聖徳太子信仰の姿を今に伝えています。
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梅鉢御陵(うめばちごりょう)
聖徳太子墓、敏達、用明、推古、孝徳天皇の五つの皇陵を総称して、梅鉢御陵と呼ばれています。江戸時代の『河内名所図会』には、叡福寺の寺僧が梅花の五英(ごひら)のごとしと呼び、ここから梅鉢御陵と呼ばれるようになったと記されています。また、飛鳥時代を中心とした人々の眠る御陵であることから、太子町は王陵の谷とも呼ばれ、大和飛鳥とならぶ古代の風景を今に伝えています。
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鹿谷寺跡と岩屋(ろくたんじあと いわや)
国史跡。二上山山腹に所在する、奈良時代に造営された我が国唯一の大陸風の石窟寺院です。凝灰岩の石切場跡を利用して造られています。鹿谷寺跡には高さ5mの十三重塔と線刻三尊仏があり、岩屋には石塔を収めた巨大な岩窟があります。中世以降はともに葛城二十八宿の1つとして修験道の行場として利用されました。
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二子塚古墳(ふたごづかこふん)
国史跡。2つの方墳をつなぎあわせた双方墳と呼ばれる、他に例をみない墳形を有します。両墳丘には、ほぼ同形同大の横穴式石室内部に珍しいカマボコ形の家形石棺が納められており、東側墳丘ではこの石棺を見ることができます。地元ではこちらが本当の推古天皇と竹田皇子の合葬陵とする伝承が残っています。