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寛弘寺古墳公園(かんこうじこふんこうえん)
寛弘寺の古墳は、どれも小型であったため、ほとんどが古い時代に壊され姿を消しましたが、4・5・6・7号墳の4基の古墳は古墳公園として、現地で保存整備されています。この4基の古墳は、古くから「寛弘寺の七つ墓」としてよく知られ、歴史的にも貴重なものです。寛弘寺古墳群の出土遺物は大阪府立近つ飛鳥博物館で保管・展示されています。
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年始の「大とんど」
昭和54年に「子ども会」が発足、地域の人々と一緒に楽しめる行事として途絶えていた年始の「大とんど」を復活させ、毎年「子ども会」の会員(小学生と保護者)が、前日に竹の切り出しと正月のしめ飾りで「とんど」を作製します。開催日には、小学6年生の点火で「大とんど」を開始し、地域の人々に恒例の「ぜんざい」を振舞いながら、みんなで舞い降りる灰を浴びることで新しい年が良い年で健康に過ごせる事を祈念しています。
子ども会が主体で行う地域に密着した行事として毎年継続して実施されています。 -
壹須何神社宵宮(宵祭)地車(だんじり)奉納祭り(いちすかじんじゃ)
宵宮(宵祭)では、台付提灯奉納が毎年10月第3金曜日の午後7時頃より実施されます。
奉納提灯は、石川地区独特のもので台付円筒提灯(高さ3.3m)4本、田楽提灯(高さ3.3m)1本、提灯台(長さ5m)1台を壹須何神社へ毎年豊年を感謝するために奉納するもので、壹須何神社独特で全国でも珍しいものであると聞いています。また、地車奉納は、毎年10月第3土曜日午後1時から氏子衆による地車(だんじり)6台が壹須何神社へ宮入を行い、青年団による「にわか狂言」を実演奉納する感謝祭です。 -
金剛・葛城の山並み(ダイヤモンドトレール)
金剛山・葛城山の山並みは、水越峠を挟んで、大阪市内からも一望でき、姿、形も実に雄大で綺麗です。
その上に、大阪のどこからでも、どの辺にいるのか所在もよくわかり、大阪のシンボルとしてとても素晴らしいです。 -
史跡金山古墳公園(かなやまこふん)
史跡金山古墳公園は、国の史跡に指定されています。金山古墳を史跡公園として整備したものです。金山古墳は大小二つの円丘を合わせた双円墳という全国的にも珍しい形で、6世紀末から7世紀初頭、ちょうど前方後円墳がつくられなくなるころの古墳です。憩いの場として、また歴史の体験学習ができる史跡公園です。
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大ヶ塚のまちなみ
かつて寺内町として発展し、町割りの骨格が残るほか、所々に伝統的な建築様式の建築物が残っている。「大ヶ塚のまちなみ」は、平成18年度に府民投票をもとに「大阪まちなみ百景」に選定されています。
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上の太子観光みかん園(かみのたいしかんこうみかんえん)
近鉄南大阪線沿いの丘陵に広がるみかん園です。関西では最大規模のみかん園として、毎年シーズンには、多くの行楽客が訪れます。南向きの斜面に植えられたみかんの木は1万本を越え、周囲を一望できる眺望も魅力のひとつです。
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鎌田邸の楠(かまたていのくすのき)
樹高は25メートル以上、目通し径6メートル、枝張りは東西23メートル、南北21メートルをはかるまれにみる楠の巨木です。竹内街道を歩いていると、春日の集落の中にそびえるこのくすは、一目でわかります。くすのある鎌田家は、春日村の庄屋をつとめた名家です。昭和49年に大阪府の指定天然記念物となりました。
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一須賀古墳群(いちすかこふんぐん)
本町南部の丘陵上に広がる6~7世紀前半の群集墳。直径10~20mの小円墳が約260基も密集し、その多くが内部に横穴式石室をもちます。須恵器や武器・馬具などが副葬され、金銀の装飾品をはじめ、大陸からと考えられる金銅製の沓や耳飾が発見されています。大陸や朝鮮半島の影響が色濃く見られるこの古墳群は、本町に所在する飛鳥時代の王陵との強い関係から、当時高い技術力により重用された、渡来系氏族の葬地と考えられています。
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西方院(さいほういん)
浄土宗の寺院で本尊は聖徳太子作と伝える阿弥陀如来と恵心僧都作と伝える十一面観音菩薩です。寺伝によれば、聖徳太子の死後にその乳母であった月益姫、日益姫、玉照姫(それぞれ蘇我馬子、小野妹子、物部守屋の娘)が出家し、お堂を建立し、その冥福を祈ったのが始まりとされ、近接して三尼公の御廟とされる古い三つの塔が、聖徳太子信仰の姿を今に伝えています。