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林昌寺の躑躅・皐月(りんしょうじのつつじ・さつき)
本寺は、天平年間に行基により開創されたと伝わる寺院で、寺庭のつつじ・さつきが見事です。高名な作庭家重森三玲による「法林の庭」の傍らには1565年の銘がある「補陀落渡海碑」や「仏足石」とよばれる大きな石が残されています。仏足石は、仏足信仰として石の上にふたつの大きな足型が刻まれており、全国でも百ほどの例が知られるのみです。また境内の裏山からは弥生時代の銅鐸が見つかっています。
※花の見頃については、HPをご覧ください。 -
紡績工場跡「赤レンガ・RUI」等(ぼうせきこうじょうあとあかれんがるいなど)
泉南の地場産業であった紡績産業は、大正から昭和の高度成長期に大いに栄えました。その後は海外の競争力に押され衰退してしまいましたが、その工場跡が今も昔の姿を留めたまま、活用されています。地域の近代化を物語る歴史の証人として残していきたい遺産です。
またこのほかにもこの界隈は近代に紡績業でにぎわった頃の樽井の町並みを今も残しています。 -
長慶寺(別名:アジサイ寺)と紫陽花(ちょうけいじとあじさい)
本寺は、寺伝によると、奈良時代の僧・行基の草創であり、本尊は行基自作の秘仏と伝わり、60年に1度の御開帳となっています。境内には開山堂や西国三十三所、坂東三十三箇所、秩父三十四箇所の本尊観音石仏を祀った御堂などがたたずんでいます。
また参道石段の両脇をはじめとして全山にアジサイが植えられていることから、「アジサイ寺」とも呼ばれ、その時期には広い境内が淡紫一色で彩られます。 -
信達宿本陣跡(角谷家)(しんだちしゅくほんじんあと つのやけ)
紀州藩と岸和田藩の参勤交代路として整備され、紀州徳川家の参勤交代は、この角谷家本陣で一泊することが習わしとなっていました。
本家は江戸時代の長屋門をはじめ、紀州公からの賜り物や、参勤交代に係る古文書も多く保存されており、極めて重要な文化遺産です。
※個人がお住まいのお宅です。無断で見学などなさらないようお願いいたします。 -
信達宿の野田藤(愛称:梶本家の藤)(しんだちしゅくののだふじ)
熊野街道沿いの信達宿にある梶本家の藤はたった1本の野田藤が約4万の花房をつけ、その藤棚は奥行き27m、街道沿い30mにも及び、見頃には一般公開され、多くの花見客が訪れます。
※個人がお住まいのお宅です。無断で見学などなさらないようお願いいたします。 -
信達宿のふじまつり(しんだちしゅくのふじまつり)
梶本家では、野田藤の開花時期(4月中旬~月末頃)に合わせて1週間程度、庭を一般客に開放しており、公開期間中には藤棚の横に鑑賞台が組まれ、藤棚を上から眺める事ができ、その光景はまるで紫の雲海のようで圧巻です。藤の見頃にあわせて「熊野街道信達宿のふじまつり」が開催され、熊野街道にも物販店や飲食店が出店します。花見に訪れる来訪者は毎年倍増し、一般公開期間中に約4万の人が訪れる泉南の春の一大イベントとなっています。
※藤の開花状況、イベント等の詳細はHPをご覧ください。 -
熊野街道「花回廊」(くまのかいどう はなかいろう)
古来より花は、人の心を癒し、和ませてくれます。泉南市内の熊野街道近くには春から初夏にかけて、さくら(一岡神社)、ふじ(梶本家)、つつじ、さつき(林昌寺)、紫陽花(長慶寺)と、3ヶ月にわたって目を楽しませてくれる花の名所があります。
これらを結ぶ花めぐり「花回廊」は人を惹きつける「エリア」スポットです。 -
熊野街道(別名:紀州街道)と「信達宿」のまちなみ(くまのかいどう きしゅうかいどう しんだちしゅくのまちなみ)
熊野街道は、熊野三山(本宮、新宮、那智)へ参詣する人々が通った街道をいい、京都から紀伊半島へのルートです。中世以降には、「小栗街道」、江戸時代には「紀州街道」とも呼ばれ、後鳥羽上皇の詣、徳川紀州公の参勤交代などで賑わった、泉州を代表する街道です。
その街道沿いには、今も昔の面影を残す町家が居宅として残っており、当時の「空気感」を感じさせる信達宿界隈(エリア)のまちなみは、未来に残していきたい町筋です。
※エリア、イベント等の詳細は、HPをご覧ください。 -
ABCまつり(えーびーしーまつり)
泉南市ABC委員会は、「花と緑に包まれ、平和で文化の薫り高い心やさしい人が集う、美しい郷土を創造するために、みんなで考え、行動しよう」と云う目的で設立されました。
ABCまつりは、ABC委員会が主催し、毎年4月29日に開催される市内最大の市民祭りです。ステージでは市民団体のパフォーマンスが行われ、屋台は軽食や地元の特産品が販売されます。
※開催場所、イベント等の詳細はHPをご覧くださいs。 -
新井家住宅
新井家住宅は、新井末吉が1932年に迎賓館を兼ねて自邸として建てた純和風木造建築です。新井家は泉佐野市中庄で代々庄屋を勤めた新川家からの出自で、明治以降は新井の姓を名乗っています。邸宅は小高い丘陵の敷地は約7,500㎡あり、南東の方角に七の池を臨んでいます。屋敷には100m以上ある白壁の土塀をめぐらせ、松の和風庭園と奥座敷、座敷、主屋の三棟で構成されています。(国登録有形文化財)