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大雄寺の石碑(たいゆうじのせきひ)
境内には、いくつかの石碑があり、これらは法華経を全国の霊場に一部ずつ納めていく修行の功績を称えたものです。石碑のうちのひとつはその銘から1367年に造られ、この様な石碑としては西日本ではもっとも古く、全国的に見ても5番目に古いものであると判明しています。刻まれている元号の「正平」は南朝が使用していた元号であるため、当時この地域は南朝の支配下にあったことを示す歴史的にみて貴重な資料です。
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大池と幸徳大橋(おおいけとこうとくおおはし)
今日の大池は南北朝時代初期から室町時代前期にかけて築造されたものとされ、現在に至るまでずっと灌漑用水として利用されてきています。
池にかかる幸徳大橋はシンボリックであり、大池の水面から反射して鮮やかな赤が輝いています。 -
往生院(おうじょういん)
白鳳時代、天武天皇の勅願により行基の師道昭が建立したといわれる名刹です。京都仁和寺に属する真言宗の寺院で、境内には室町時代のものとされる珍しい二面石仏がたたずんでいます。
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厩戸王子跡(うまやどのおうじあと)
熊野街道に沿って設けられた熊野神社の末社であり、熊野権現の分身を祀る信仰の対象であると同時に、旅人の休憩、宿泊所として利用されていました。ここへは建仁元年(1201年)後鳥羽上皇が参詣したとされており、現在、大阪府指定史跡となっています。
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兎田井堰(うさいだいせき)
樫井川を散策するといくつもの堰を見ることができますが、どれも昭和の時期に造られたもののようです。当時としては珍しく、コンクリートで底が固められ、竹製のジャカゴは空気で膨らませて水量を調整するようになっています。
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一之瀬王子跡(愛称:馬頭さん)(いちのせおうじあと ばとうさん)
一之瀬王子の候補地のひとつで、現在は地蔵菩薩馬頭観音を祀っています。藤原定家の熊野御幸記によると「天晴るる 払暁道にいでて 信達一之瀬王子に参ず また 坂の中において祓う 次いで地蔵堂の王子に参ず 次いでウハ目王子に参ず」とあり、後鳥羽上皇一行が当地を出発したときの記述が残されています。
現在は、「みどりの一里塚」として整備されています。 -
一岡神社(愛称:祇園さん)(いちおかじんじゃ ぎおんさん)
本社の祭神はスサノオノミコトが主神であり、昔は海会宮寺の鎮守だったといわれています。俗に「祇園さん」と呼ばれ、毎年八月一日の祇園祭りには、参道や境内に多数の屋台が並び、多くの参詣者が集まり大変にぎわっています。
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畦の谷地蔵尊(延命寺)(あぜのたにじぞうそん)
木々の間の岩肌が常に湿っていることから「汗の谷」と呼ばれたことに由来するといわれています。
根来の僧が病気平癒の願いをこめて地蔵尊を刻んで祈念したことに始まるといわれてるもので、もともと根来寺と新家は関係が深く、大水や旱魃があると救援のために食料や使者を送るとともに、根来寺では雨乞いなどの祈祷が行われたといわれています。 -
秋祭り(やぐらまつり)(あきまつり)
泉州一帯で10月初旬に行われる秋祭りには、「やぐら」と呼ばれる二輪の地車が市内のあちこちで曳きまわされます。
地区毎の自慢のやぐらに加え、特徴ある音頭や曳行が披露されるなど、だんじりとは趣の異なった祭礼が盛大に行われています。 -
青い龍舌蘭(あおいりゅうぜつらん)
「龍舌蘭(リュウゼツラン)」と言う植物は、英名をセンチュリープラントと言い、100年に一回しか花が咲かないとされている貴重な植物です。
また「龍舌蘭」は葉に黄色い斑のあるものを言い、葉が青一色のものは「青い龍舌蘭」と言いわれています。