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妙見山蓮信寺(愛称:金熊寺の妙見さん)(みょうけんざんれんしんじ)
連信寺は、当初は山頂に妙見堂を開創した法華道場でしたが、不便な土地柄ゆえに長らく人が住まない時期が続きました。大正4年に参道を新たに開き開山されてから後は、山頂の鐘楼が撞かれ、毎朝金熊寺一帯に時を告げています。
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南泉寺(なんせんじ)
昔は真言宗三明院といい、広大な寺城を有していました。由緒書によると「ここに一つの名水あり、垂水と号す」とあり、現在の樽井の地名発祥の寺といわれています。
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堀河ダムと桜(ほりごだむとさくら)
風吹峠の途中、信達童子畑から堀河集落へ向かう山中に有り、堤高約45.4m、堤長130m、周囲約4km、総貯水量約280万トンを誇る重力式コンクリート、灌漑用ダムです。
金剛生駒紀泉国定公園内に位置し、周囲を緑に囲まれ、春には周回道路沿いの桜が湖面に映えて、美しい景観を醸し出します。 -
男里川の干潟(おのさとがわのひがた)
男里川の河口は大阪湾では数少ない自然が残された泥干潟のひとつであり、今では大変貴重な場所となっています。ここは渡り鳥の中継基地の役割を担っており、またハクセンシオマネキなどの希少種が多く生息しているなど、独特の生態系が営まれています。
※貴重な自然を保護するためにも、立ち入る際にはご注意ください。 -
藤原右衛門太郎碑(ふじわらえもんたろうひ)
大阪府と和歌山県の境は、元禄時代から紀州と泉州の境界争いが絶えず、葛畑の庄屋である藤原右門太郎は紀州役人との交渉で竹槍で突き殺されました。死をもって泉州側の主張を押し通したということからその功績をたたえ、碑として残されています。この話は『泉州むかしばなし』に「誉茂太郎のキモ」として収録されています。
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八反川(はったんがわ)
豊富に湧き出ている湧水であり、田畑八反を十分潤したことから「八反川」とよばれるようになりました。
昔から野菜洗い、洗濯場、子供の水遊び場となっていました。近年はコンクリートで覆われ洗い場として整備されています。 -
根来街道の起点碑(ねごろかいどうのきてんひ)
樽井を起点とし、信達から風吹峠を越え、紀州街道まで続く根来街道の起点の碑です。碑には1839年の銘が記され、下記のとおりの道標が残っています。
(正面)「すぐ大川左紀州いせきこえ」
(南面)「右大坂」
(北面)「すぐ大坂」
(裏面)「天保十巳亥年十月吉日」 -
仁右衛門坂(にえもんざか)
受法寺前からまっすぐに樽井の浜へ向かってのびる坂であり、江戸時代に深見仁右衛門が樽井で酒や醤油をつくり商品を船積みするために整えたとされています。
当時の様子を偲ばせるとともに、泉南の商業を知る上で貴重なものです。 -
徳本上人名号碑(とくほんしょうにんみょうごうひ)
江戸時代の木食僧の一人である徳本上人の名号碑です。徳本上人は全国をただ「南無阿弥陀仏」を唱えて行脚し、人を救い、その名が知られた名僧です。
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天神ノ森(てんじんのもり)
樽井と尾崎の間に南海線の車窓から見える島のような森は天神ノ森と呼ばれており、現在は男神社の摂社浜の宮となっています。この付近は山之井水門(やまのいのみなと)または雄水門(おのみなと)との伝承が残され、男神社の末社浜ノ宮が鎮座しています。
昭和9(1934)年、室戸台風で倒された松の大木の根本から6世紀初め頃の須恵器の大甕が発見されていることからも当時の人々の生活が思い描かれます。
※詳しくはHPをご覧ください。