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根来街道の起点碑(ねごろかいどうのきてんひ)
樽井を起点とし、信達から風吹峠を越え、紀州街道まで続く根来街道の起点の碑です。碑には1839年の銘が記され、下記のとおりの道標が残っています。
(正面)「すぐ大川左紀州いせきこえ」
(南面)「右大坂」
(北面)「すぐ大坂」
(裏面)「天保十巳亥年十月吉日」 -
仁右衛門坂(にえもんざか)
受法寺前からまっすぐに樽井の浜へ向かってのびる坂であり、江戸時代に深見仁右衛門が樽井で酒や醤油をつくり商品を船積みするために整えたとされています。
当時の様子を偲ばせるとともに、泉南の商業を知る上で貴重なものです。 -
徳本上人名号碑(とくほんしょうにんみょうごうひ)
江戸時代の木食僧の一人である徳本上人の名号碑です。徳本上人は全国をただ「南無阿弥陀仏」を唱えて行脚し、人を救い、その名が知られた名僧です。
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天神ノ森(てんじんのもり)
樽井と尾崎の間に南海線の車窓から見える島のような森は天神ノ森と呼ばれており、現在は男神社の摂社浜の宮となっています。この付近は山之井水門(やまのいのみなと)または雄水門(おのみなと)との伝承が残され、男神社の末社浜ノ宮が鎮座しています。
昭和9(1934)年、室戸台風で倒された松の大木の根本から6世紀初め頃の須恵器の大甕が発見されていることからも当時の人々の生活が思い描かれます。
※詳しくはHPをご覧ください。 -
茅渟神社の渡御(ちぬじんじゃのとぎょ)
秋祭りには「渡御」として4台のやぐらを先頭に、お稚児さん、そして神輿と続き、神社から樽井の浜まで行列でお渡りを行います。このような渡御形態が残っているのは府内でも珍しくなりました。
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茅渟神社(ちぬじんじゃ)
熊野詣が盛んになる平安時代、庶民が八王子権現を勧請したのが起源とされています。豊臣秀吉の根来攻めで一度焼失しましたが、いまの社はその後再建されたものです。約400年前の社殿は、桃山建築の様式を今に伝えています。
また現在では、社名にちなみチヌ釣りの愛好家がお参りにくることもしばしばです。 -
樽井山ノ井遺跡碑と男里山ノ井碑(たるいやまのいいせきひとおのさとやまのいひ)
男里天神の森から樽井小学校付近一帯は山之井水門と伝えられ、「日本書紀」によると神武天皇の兄の五瀬命が矢傷を受け、無念のあまり雄雄しく叫んだところとされており、現在は記念碑と玉垣が建立されています。
また同様に男里にも古事を顕彰する石碑が建立されています。 -
玉葱顕彰碑(たまねぎけんしょうひ)
玉葱の技術を伝えた岸和田の坂口平三郎、栽培を確立した今井佐治平ら田尻の篤農家4名、玉葱の流通ルートを確立した新家の森本徳松の功績をたたえた石碑です。
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お菊山(愛称:お菊山ハイキングコース)(おきくやまはいきんぐこーす)
JR新家駅からスタートするいくつかのコースがあり、昔からハイキングコースとして親しまれています。山頂からは泉州の街並み、茅淳の海と呼ばれる大阪湾、六甲・淡路の山々などすばらしい眺望がパノラマ状に広がります。
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種河神社(たねかわじんじゃ)
新家の各所にあった神社をここに合祀した新家全体の融和のシンボルであり、1624年京都御室仁和寺より、種河明神の神号を授かりました。
春には境内一帯が桜で彩られ、たくさんの人出で賑わっています。