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興善寺
852(仁寿2)年文徳天皇の勅願により、慈覚大師が創建したと伝えられています。天正年間の兵乱により焼失したが、このとき仏像は、池に投げられ難を逃れたと伝えられています。本尊の大日如来座像は、釈迦・薬師の両脇侍とともに国の重要文化財に指定されています。
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宝樹寺(化石寺)
化石寺と通称され、数百点に及ぶナウマン像の化石が収集展示されています。これらは、岬町から友ヶ島沖にかけてイカ場から底引き網により収集されたもので、第4氷河期以前に日本と大陸が陸続きであったことを物語っています。
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国玉神社
岬町内で唯一「延喜式」の神名帳に記載されている神社(式内社)。神社下の平地には、深日行宮跡があったとされ、石碑が建てられています。称徳天皇が紀伊国に行幸したときにつくられた行宮のひとつとされています。
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金乗寺
1486(文明18)年本願寺第8代蓮如上人が紀州方面に下向の帰途ここに一宿され「鶴龍山金乗寺」の山号を賜りました。境内には、樹齢約百年、高さ約17mを誇る大いちょうが茂り、府の天然記念物に指定され、「大阪みどりの百選」に加えられています。
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船守神社
豊臣秀頼の命により造営された本殿は、三間社流造の桃山様式で国の重要文化財に指定されています。
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西陵古墳
全長210m・前方部幅100m・後円部径115mを誇る岬町最大の前方後円墳で、葺石・円筒埴輪列の存在が知られ、長持形石棺が確認されています。「日本書紀」によると雄略天皇の命により朝鮮半島で新羅へ攻める際、病没した紀小弓宿弥が「田身輪邑」に葬られたとあることから紀小弓の墓と伝えられています。
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宇度墓古墳
全長200m・前方部幅120m・後円部径110mを誇る前方後円墳で、5世紀後期の築造とされています。垂仁天皇第2皇子五十瓊敷入彦命の陵墓とされ、宮内庁が管理しています。
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岬の押し寿司
地元で獲れる魚を使った岬町の伝承料理の「押し寿司」。祭礼には欠かせないご馳走であると同時に保存食の役目も果たしていました。同じ「鱧」を使った押し寿司ですが、淡輪地域では白焼きの鱧をそぼろにして炒りながら味付けをし、深日地域では鱧を甘だれにつけておいてから焼き、そぼろにと調理方法が異なります。一方、多奈川地域は、春の季節に祭礼がありますので、この季節に旬を迎える「穴子」を使ったとても贅沢な押し寿司が伝承されています。どれも漁村ならではの料理と云えます。また、岬町域で唯一海と接していない孝子地域では、しめ鯖を使った押し寿司が伝わっています。しかし祭礼時に作る家庭料理ですので、販売に至っておりません。
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岬のしいたけ
大阪湾の海辺に近い森の温暖な気候の下、原木で育てた肉厚の「大阪湾海風しいたけ」です。
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岬の昆布 わかめ
大阪湾でも水の綺麗な紀淡海峡近くの海で、大阪府立水産技術センターの指導で育ている少量生産のわかめと昆布です。ほとんどが地産地消されていますので、大阪では貴重な海産物です。