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大宅壮一顕彰碑(おおやそういちけんしょうひ)
わが国を代表するジャーナリスト・大宅壮一氏の功績を称えて、地元有志の発意により平成21年5月に建てられた顕彰碑。大宅壮一氏は明治33年、富田村(現在の高槻市富田町)に生まれ、少年期をこの地で過ごしました。戦中の従軍記者などを経て、戦後はジャーナリズムで活躍。「一億総白痴化」、「恐妻」、「口コミ」など、物事の本質に迫る無数の造語を生み出し、「マスコミの帝王」と呼ばれました。顕彰碑には、大宅氏が愛した「美しいバラの花は野茨の根の上に咲く」という言葉が刻まれ、偉人の功績を現在に伝えています。
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淀川三十石船舟唄全国大会(よどがわさんじっこくぶねふなうたぜんこくたいかい)
「淀川三十石船船唄」は、江戸時代から明治時代にかけて、京都・大坂間の重要な交通・運輸方法として活躍した淀川三十石船の船頭衆によって唄われた「しごと唄」で、全国でも少ない船唄の一つです。船客は船唄によって旅情をなぐさめられるとともに、船の現在地をおおよそ知ることができたといわれています。また、当時は、三十石船の船客に粗っぽい言葉で酒や食物を売る、高槻市柱本発祥の「くらわんか船」も登場するなど、淀川沿いの地域では名の知れた船でした。昭和39年に唄を永く保存するために「淀川三十石船船唄大塚保存会」が結成され、船唄は昭和60年に高槻市の無形民俗文化財、平成14年に大阪府の無形民俗文化財に指定されました。
「淀川三十石船舟唄全国大会」は、この船唄の普及啓発を目的として、毎年11月に全国から参加者を集って、自慢ののどを披露してもらう大会です。 -
磐手杜神社の神輿渡御神事(いわてもりじんじゃのみこしとぎょしんじ)
市東部の磐手杜神社で行われる祭礼で、通称は「馬祭(うままつり)」と呼ばれています。祭礼は一ノ馬座と女郎座(二ノ馬座、三ノ馬座)の二座を中心とした宮座の氏子中による、初夏の季節の農耕儀礼で、その記録は貞享2年(1685)の「村馬番覚書」までさかのぼります。特徴として、神霊を迎える「オダンツキの儀」と「シバオリの儀」があげられます。「オダンツキ」は、宮座の当屋の軒先に黒松で囲われた仮屋を設け、その中央に「オダン」と呼ばれる祭壇をつくり、神を迎える一連の儀式です。また、「シバオリの儀」は、神職、村役、座員などが輪になって行う盃事の儀式が各御旅所で行われ、田畑の豊穣と村人の安寧を祈願する、最も重要な儀式です。平成18年2月には市の無形民俗文化財に指定されました。
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八阪神社の春祭歩射神事(やさかじんじゃのはるまつりぶしゃしんじ)
市北部の八阪神社で行われる祭礼で、通称「大蛇祭(だいじゃまつり)」と呼ばれています。春に農耕神を迎え五穀豊穣を願う神事で、その記録は寛政12年(1800)の「年中故事」にまでさかのぼります。年毎、4つの垣内が中心となって輪番制で祭礼を運営する氏子中によって現在まで受け継がれ、祭礼における形態や様式などが口伝により厳格に継承されてきました。「歩射神事」は、大蛇にみたてた大綱を担いで神社まで練り歩き、境内の的場に建てられた2本の松の木に大綱を掛け渡して的をつけ、2人の弓引きが的に向かって交互に矢を射掛けた後、同時に天空に向かって矢を放ち、祭礼がお開きとなります。平成18年2月には市の無形民俗文化財に指定されました。
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幸町公園(さいわいちょうこうえん)
大阪府警官待機宿舎の中にあった豊野公園(幸町地内)を、宿舎の建替工事に伴い寝屋川に面した場所に移し、親水機能を合わせ持つ「幸町公園」として、大阪府と寝屋川市が公園整備工事を行い、平成21(2009)年4月にオープンしました。公園の整備にあたっては、7回にわたり、大阪府主体でワークショップを行い地域の皆さんと意見交換が行われてきました。
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大阪府立環境農林水産総合研究所 生物多様性センター(おおさかふかんきょうのうりんすいさんそうごうけんきゅうしょせいぶつたようせんたー)
昭和30(1955)年大阪府水産試験場寝屋川養魚場として現在の地に設置され、昭和42(1967)年に大阪府淡水魚試験場として独立しました。その後、大阪府立淡水魚試験場、大阪府立食とみどりの総合技術センター水生生物センターに名称が変更され、平成30(2018)年に現在の大阪府環境農林水産総合研究所生物多様性センターとなりました。このセンターでは、川や池の生物を通じてうるおいとやすらぎのある水辺環境を創造するための総合的な研究とその成果の普及活動を行っています。また、昭和63(1988)年に開設した淡水魚展示室には、天然記念物のイタセンパラなど淀川にすむ魚を中心として飼育展示し、淡水生物の生態と自然界で果たしている役割について理解できるようになっています。
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四天王寺ワッソ
古代、大阪は、“なにわの津”と呼ばれ、日本における東アジア交流の拠点でした。とりわけ、なにわの宮は、そのころの首都あるいは副都であり、渡来の使節団は、ここから迎賓館的存在であった四天王寺へと導かれ、飛鳥へと文化を伝承していきました。
四天王寺ワッソは、そのような豊かで雅やかな国際交流を現在に再現するお祭りです。
楽隊の音楽に乗り、舞姫たちが華やかに先導するなか、時代考証された衣装に身を包んだ人々が巡行します。掛け声の“ワッソ”とは、現代韓国語で「来た」という意味です。 -
CCO クリエイティブセンター大阪
当地は現オーナーの千島土地株式会社を設立した芝川家が1879年に取得、1926年には小作地の引き上げが行われ、1931年より名村造船所に賃借されました。
1989年に現状有姿で借地が返還されて後、その活用が様々に検討される中、2004年、プロデューサーの小原啓渡氏と、千島土地㈱社長・芝川能一氏の出会いにより、高度経済成長期のシンボル的な存在であった造船所という過去のストックを、芸術を通じてまちづくりに結びつける試みが始まり、以後様々なアートイベントが開催されています。2007年に経済産業省により「近代化産業遺産群33」のひとつにも認定された、独特のロケーションを活かしたアートの一大発信地として、周辺まちづくりへの起点となるべく活動が行われています。 -
芝川ビル
芝川ビルは江戸時代より続く大阪の豪商・芝川家6代目当主・芝川又四郎が1927年に建設。
関東大震災を教訓に、耐震・耐火性に心を砕いた頑強な造りで、随所に見られる古代中南米風の独特な意匠が目をひきます。
当初は芝川家が手掛ける事業の事務所として建設されましたが、1929年より「芝蘭社家政学園」を開校しました。
戦後はテナントビルとして運営されましたが、2005年、地元まちづくり団体との出会いを機に、ビルオーナーの近代建築に対する意識が大きく変化、建物の戦後増築部分を撤去して屋上テラス&ポルティコを復元するなど、建物の魅力アップに取り組んでいます。国登録有形文化財。 -
造幣博物館
造幣博物館は、造幣局の事業や貨幣の歴史について学ぶことができる施設であり、昭和44年(1969年)に開設されました。
明治44年に建てられた「火力発電所」の内部を改装した建物ですが、外観は当時の面影をイメージしたレンガ造りとなっています。
珍しい大判・小判をはじめとする約4000点の展示品、各種体験コーナーなど、色々な楽しい展示が盛りだくさんです。
【開館日】 月曜日~金曜日(祝日及び年末年始、通り抜け期間は除く)
午前9時~午後4時45分(入館は午後4時まで)