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善秀寺川の太鼓橋(ぜんしゅうじがわのたいこばし)
聖徳太子御廟のある叡福寺門前の善秀寺川にかかる太鼓橋は、花崗岩製の石橋で、その欄干には江戸時代末の文政10年(1827)建立の銘が刻まれています。
橋は叡福寺門前から聖徳太子の三人の乳母を祀る西方院への参道に架けられており、聖徳太子の霊場を巡る人々がこの橋を利用したことは間違いありません。
善秀寺川の太鼓橋はその年代の古さや造形の美しさはもとより、太子信仰に育まれた歴史的な風景の一つとなっています。 -
海老塚(蘇我蝦夷塚、一須賀Q10号墳)(えびづか そがのえみしづか いちすがきゅうじゅうごうふん)
太子町葉室地区にある海老塚は、6世紀頃の直径10メートルあまりの小さな円墳で、中には横穴式石室があります。一帯は国史跡の「一須賀古墳群」で、200基あまりの小さな古墳が群集していますが、この古墳だけが、江戸時代の「河内名所図会」に記述があり、塚の上には善女龍王の祠も祀られています。
その名の由来は明らかではありませんが、大正11年、塚前に建立された石碑には「蘇我蝦夷塚」と刻まれています。一説には坂上田村麻呂に滅ぼされた蝦夷の塚と伝えられることから、蘇我蝦夷と結びつけられたとも言われます。周辺では国史跡「一須賀古墳群」の古墳が見学でき、「近つ飛鳥博物館」へも至近です。 -
仏陀寺古墳(蘇我倉山田石川麻呂の墓)(ぶっだじこふん そがのくらやまだいしかわまろのはか)
蘇我倉山田石川麻呂の墓と伝えられる仏陀寺古墳は、仏陀寺の境内にあり、江戸時代の「河内名所図会」にも「石川麻呂の墓」として紹介されています。
石川麻呂は、大化改新の功労者でしたが、密告により失脚し、大和飛鳥の山田寺で自害してしまいます。当地に彼の墓が伝えられるのは、太子町山田の地名に関連することや、最後まで仕えた孝徳天皇の陵の膝元であったからとも言われます。
また、学問上も、横口式石槨と呼ばれる大変珍しいもので、大阪府指定史跡ともなっており、古代を偲ぶには絶好のスポットです。 -
ホールM 「パイプオルガン」(ほーるえむ ぱいぷおるがん)
LICはびきのホールMの舞台正面には、府内公立ホールでは珍しいパイプオルガンが設置されています。このオルガンはスイスのフェルスベルグ社製で、18世紀前半のドイツ東部に多くの名器を残した著名なオルガン建造家ゴットフリート・ジルバーマンの建造理念に基づいて建造されています。ジルバーマンはJ.S.バッハと同世代の建造家で、この理念に従うオルガン建造はLICはびきの開館当時、日本では初めての試みとなり話題を呼びました。LICはびきのでは、音楽を通じた心の教育と将来的な地元出身オルガニストの育成も視野に入れて、プロのオルガニストだけでなくLICオルガン講座修了生もビジター練習でオルガンを使用できるようになっております。また、オルガン講座修了生より日本人初となる国際バッハオルガンコンクール優勝者を輩出。オルガン見学付きのコンサートやオルガン体験など様々なイベント企画を行っています。
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松原市民ふるさとぴあプラザ
「松原市民ふるさとぴあプラザ」は、郷土資料館、ハイビジョンシアター、市民ギャラリー、会議室、情報ライブラリー(図書館)からなる複合施設でそれぞれ相乗効果を発揮し、郷土愛を育む教育文化の情報拠点となる施設です。
催しとして、特別展・企画展を年2回、歴史、生涯教育、文化関連等の講座やイベントを多数開催し、その役割を果たしています。
また、5世紀前半に、反正天皇により河内におかれた最初の都と伝承されている丹比柴籬宮跡に創建された柴籬神社に隣接しており、建物は神社の杜と相まって歴史的な風情を感じさせています。 -
木根館(きんこんかん)
大阪府立花の文化園に隣接する河内長野市立林業総合センター(木根館)は、豊かな森林に育てられた木を、多くの人に手で直接触れていただき、木のあたたかさ、すばらしさを体験していただく場です。こちらでは、木工教室、各種イベントの実施や、普及・啓発のための資料、間伐材小径木等木工品の展示を行っています。
河内長野市は豊かな森林・美しい緑のある街。市域面積の約7割が森林で、古くから河内林業地帯と呼ばれ、府下最大の林業振興地域です。河内林業地で生産されるスギ・ヒノキ材は木目が真っ直ぐで切り口が真円に近く、年輪の幅も緻密で均一です。色合いも淡紅色で美しく、粘りがあり丈夫な良質材で、木材市場でも優良材として高く評価されています。その良さをもっとアピールし、需要を拡大するために「おおさか河内材」の名称で独自のブランド化を進めています。 -
天野酒蔵元 西條合資会社
享保3年から約300年間、河内長野市で日本酒を造り続けている酒蔵で、昭和46年天野山金剛寺と地元の人々の応援で、かつて金剛寺でつくられていた地酒である「天野酒」を復活。平成6年には室町時代の文献をもとに、酒造りの手法全てを古式にのっとった「僧坊酒」も復刻されました。その飲み口は、まったりと柔らかで、上品な味わいで、知る人ぞ知る地酒の一つになっていて、全国新酒鑑評会で金賞も獲得されています。
また、「織田信長」「徳川家康」などの戦国武将たちにもたしなまれ、その中でもとりわけ、時の関白太政大臣「豊臣秀吉」は天野酒を愛飲し、たびたび使者を遣わしては買い求め、良酒醸造に専念することを命じた朱印状を天野山金剛寺に渡し、その朱印状は現在も金剛寺宝物館に展示保存されています。「天野比類無シ」「美酒言語ニ絶ス」などと絶賛された天野酒は、当時の名だたる英傑たちがこぞって愛飲した銘酒であったことが多くの文献に残されています。 -
奥河内音絵巻
プロのアーティストとアマチュアの市民が共に楽しみながら、多くの緑に恵まれた河内長野市の木材などの地域資源を積極的に活用し、奥河内の魅力を描くステージを世界初演の創作舞台芸術として毎年新たな形で制作を行っています。その他にも、滝畑ダムや岩湧山などの自然豊かな奥河内からインスピレーションを受けた音楽を創作しています。
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天野山金剛寺 正御影供(あまのさんこんごうじ しょうみえく)
天野山金剛寺は、奈良時代に行基によって創建された寺伝を持ち、平安時代の末に阿観によって再興され真言宗の寺院です。この正御影供は、天野山金剛寺で行なわれる弘法大師の供養祭であり、毎年4月21日に執り行われます。阿観上人によって始められたものであり、800年以上にわたって続いてきた大法要です。法要当日は、御影堂(みえどう)の厨子が開扉され、稚児行列、餅まきなども行われます。
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観心寺七日堂修正会(かんしんじなのかどうしゅうしょうえ)
観心寺は、修験道を開いた役小角(えんのおづぬ)によって創建された寺伝を持つ真言宗の寺院です。この七日堂修正会では、国家安康と万人豊楽が祈願され、珍しい牛王加持(ごおうかじ)が行われます。毎年1月7日に執り行われています。