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松原市民ふるさとぴあプラザ
「松原市民ふるさとぴあプラザ」は、郷土資料館、ハイビジョンシアター、市民ギャラリー、会議室、情報ライブラリー(図書館)からなる複合施設でそれぞれ相乗効果を発揮し、郷土愛を育む教育文化の情報拠点となる施設です。
催しとして、特別展・企画展を年4回、歴史、生涯教育、文化関連等の講座やイベントを多数開催し、その役割を果たしています。
また、5世紀前半に、反正天皇により河内におかれた最初の都と伝承されている丹比柴籬宮跡に創建された柴籬神社に隣接しており、建物は神社の杜と相まって歴史的な風情を感じさせています。 -
木根館(きんこんかん)
大阪府立花の文化園に隣接する河内長野市立林業総合センター(木根館)は、豊かな森林に育てられた木を、多くの人に手で直接触れていただき、木のあたたかさ、すばらしさを体験していただく場です。こちらでは、木工教室、各種イベントの実施や、普及・啓発のための資料、間伐材小径木等木工品の展示を行っています。
河内長野市は豊かな森林・美しい緑のある街。市域面積の約7割が森林で、古くから河内林業地帯と呼ばれ、府下最大の林業振興地域です。河内林業地で生産されるスギ・ヒノキ材は木目が真っ直ぐで切り口が真円に近く、年輪の幅も緻密で均一です。色合いも淡紅色で美しく、粘りがあり丈夫な良質材で、木材市場でも優良材として高く評価されています。その良さをもっとアピールし、需要を拡大するために「おおさか河内材」の名称で独自のブランド化を進めています。 -
天野酒蔵元 西條合資会社
享保3年から約300年間、河内長野市で日本酒を造り続けている酒蔵で、昭和46年天野山金剛寺と地元の人々の応援で、かつて金剛寺でつくられていた地酒である「天野酒」を復活。平成6年には室町時代の文献をもとに、酒造りの手法全てを古式にのっとった「僧坊酒」も復刻されました。その飲み口は、まったりと柔らかで、上品な味わいで、知る人ぞ知る地酒の一つになっていて、全国新酒鑑評会で金賞も獲得されています。
また、「織田信長」「徳川家康」などの戦国武将たちにもたしなまれ、その中でもとりわけ、時の関白太政大臣「豊臣秀吉」は天野酒を愛飲し、たびたび使者を遣わしては買い求め、良酒醸造に専念することを命じた朱印状を天野山金剛寺に渡し、その朱印状は現在も金剛寺宝物館に展示保存されています。「天野比類無シ」「美酒言語ニ絶ス」などと絶賛された天野酒は、当時の名だたる英傑たちがこぞって愛飲した銘酒であったことが多くの文献に残されています。 -
奥河内音絵巻
プロのアーティストとアマチュアの市民が共に楽しみながら、多くの緑に恵まれた河内長野市の木材などの地域資源を積極的に活用し、奥河内の魅力を描くステージを世界初演の創作舞台芸術として毎年新たな形で制作を行っています。その他にも、滝畑ダムや岩湧山などの自然豊かな奥河内からインスピレーションを受けた音楽を創作しています。
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天野山金剛寺 正御影供(あまのさんこんごうじ しょうみえく)
天野山金剛寺は、奈良時代に行基によって創建された寺伝を持ち、平安時代の末に阿観によって再興され真言宗の寺院です。この正御影供は、天野山金剛寺で行なわれる弘法大師の供養祭であり、毎年4月21日に執り行われます。阿観上人によって始められたものであり、800年以上にわたって続いてきた大法要です。法要当日は、御影堂(みえどう)の厨子が開扉され、稚児行列、餅まきなども行われます。
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観心寺七日堂修正会(かんしんじなのかどうしゅうしょうえ)
観心寺は、修験道を開いた役小角(えんのおづぬ)によって創建された寺伝を持つ真言宗の寺院です。この七日堂修正会では、国家安康と万人豊楽が祈願され、珍しい牛王加持(ごおうかじ)が行われます。毎年1月7日に執り行われています。
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旧三日市交番(きゅうみっかいちこうばん)
昭和27年に建築された本建築物は、府下で他に例がない木造交番の様子を今日に伝える貴重な建物です。
日本瓦葺の寄棟屋根を持つ2階建ての建物であるが、軒先やペンキで塗られた外壁など、いたる所に洋風建築の影響が見られます。 -
烏帽子形城跡(えぼしがたじょうあと)
烏帽子形城は、古い歴史を持ち、平家物語に登場する「長野城」もこの城の事を指しているのではないかとする説もあります。その後、応仁の乱や、豊臣秀吉による根来寺攻略の舞台となり、キリシタン大名が治める城として、イエズス会によりヨーロッパにも紹介されました。
現在、城跡には土塁や空堀など迫力ある構造物が残っており、ありし日の山城の様子を現在に伝えています。市街地にあり、容易に散策できます。 -
山本家住宅
山本家住宅は、寛永年間(1624‐1644)に建てられた庄屋の屋敷であり、和歌山藩主の鷹狩の折りには本陣になったことが伝えられるなど由緒ある屋敷です。当建造物は後に改装された部分が極めて少なく、建築当初の状況を良く留めています。また、当家は、石川の支流である石見川が形成した美しい渓谷の中にあり、周囲の眺望ともよく調和しています。
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八幡神社を中心とした甲斐庄山郷の歴史的景観(かいのしょうやまごうのれきしてきけいかん)
石清水八幡宮の荘園である甲斐庄山郷は、金石文や古文書に度々登場します。現在地区内には、中世に勧請された八幡宮の境内があり、周辺の民家や棚田などの配置は中・近世のものを受け継いでいると考えられ、歴史的な山村の雰囲気を残しています。