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天保山渡船場(てんぽうざんとせんじょう)
大阪市営で運営されている渡しで、現存している数少ない路線の一つです。安治川では唯一残った渡しで、天保山とUSJのある桜島を結んでいます。自転車も乗船可能で、乗船料金は「無料」です。
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正蓮寺(しょうれんじ)
正蓮寺の川施餓鬼は享保6年(1721年)から始まり、日本三大施餓鬼の一つとして江戸時代から有名である。目の前を通る正蓮寺川の名前の由来ともなっている。古くは七堂伽藍が備えられ、大阪25ヶ寺に数えられていました。
寺内の墓地には宮水の発見者である「櫻正宗」の山邑家の墓がいくつもあります。
他に鴻池家、「伝法肌」で有名な伝法安の墓などがあります。また、300年の樹齢の大きな蘇鉄の木があります。 -
旧鴻池本店(きゅうこうのいけほんてん)
旧鴻池本店は現存する「アール・ヌーヴォーの館」として、日本の建築学会の中でも貴重な存在です。当館は、明治43年(1910年)竣工、大正3年(1914年)に改装した建物で、全体にアール・ヌーヴォー装飾をほどこし、当時としては珍しいステンドグラスや水洗式のドイツ製トイレ設備があります。2階応接室の壁面には、折りたたみ式の高級ベッド2床を取り付けています。
※建物内部は非公開 -
旧申村 庚申堂 (吉方巻)(きゅうさるむら こうしんどう えほうまき)
最近全国的に有名になってきた、節分の巻き寿司の丸かぶりの風習は、伝法の申村が発祥です。江戸時代の幕末に若衆宿の風習が今に伝わったものです。
又、岩見重太郎の狒々退治の逃げた狒々の屍骸が見つかったのも申村の庚申堂と云われています。
申村は明治36年に新淀川開削で河底になり、1部が残り庚申堂が名残りをとどめています。 -
大阪駅前の歩道橋(おおさかえきまえのほどうきょう)
大阪駅前にある梅田新歩道橋は、全長249m、幅8.2mの歩道橋です。
昭和39年10月に松下幸之助氏よりの寄付により100mが完成し、その後昭和48年12月に149mが完成、現在に至っております。
歩道橋の上で、街頭インタビューが行われるなど、1日の歩行者が約3万人利用し歩道橋として重要な働きをしています。 -
府営 住吉公園 汐掛道(すみよしこうえん しおかけみち)
住吉公園は、明治六年に開設された日本で一番古いとされる公園です。以前、住吉大社の境内でもあったことから園内にはゆかりの建造物等もあり住吉公園の歴史の深さを感じます。
汐掛道は公園の東西をはしる通りで、駅前でもあることから生活道としても地域の方々に親しまれています。
汐掛道一面の石畳や並木は四季折々の風景を楽しませてくれます。
日が沈むとナトリウム灯のおだやかな明りがともり汐掛道は都会を忘れさせる様な住吉公園のメインストリートです。 -
八軒家浜(はちけんやはま)
江戸時代、八軒家浜には京都と大坂を結ぶ三十石船が発着する船着場があり、淀川における貨客輸送のターミナルであるとともに、熊野三山への参拝道の起点にもなっていました。
現在も八軒家浜には船着場が整備されており、定期観光船などが発着するとともに、大川沿いの遊歩道や川の駅など、貴重な都会の水辺空間として往時の賑わいが引き継がれています。 -
さむはら神社(さむはらじんじゃ)
読みがながなければ絶対に読めないナゾの神社、さむはら神社。御霊験あらたか、何にでもどんなことにも御利益があります。
戦争中は弾を避ける御利益が知られ、その流れからとくに災難より身を守る御利益で知られています -
住之江公園(すみのえこうえん)
昭和5年に開設された住之江公園は、水と緑に囲まれた都会のオアシスとして親しまれています。
スポーツ施設も充実しており、夏はプールで子供達が賑わい、ナイターを完備された野球場では毎年、高校野球大阪大会が行われています。
また、花と緑のスクエアは、様々な植物が植えられており四季を通じて楽しむことができ、北側にある「花と緑のスクエア」は12 月になるとライトアップされ、昼間とはちがった趣を演出しています。 -
今川緑道(いまがわりょくどう)
今川堤の緑道に、北は抗全2丁目から南は中野3丁目迄、およそ2キロにわたって花の説明版が建てられています。同じ形のものを含めて15基ありました。石に組み込まれているものと、地面に据え置かれたものがあります。
緑道に植えられた花々を紹介し、それにまつわる花言葉や、草花を使った遊び方などが解説され、訪れる人達を楽しませています。
春ともなると川沿いに桜が一斉に咲き誇り、その見事さに、花見の名所として近年多くの人々が訪れています。