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石川五右衛門の手形(いしかわごえもんのてがた)
後鳥羽上皇ゆかりの水無瀬神宮(みなせじんぐう)の入口、神門(薬医門)の右柱にあります。安土桃山時代の大盗賊・石川五右衛門が、神宝の太刀を盗もうとして数日竹やぶの中に潜み、忍び入ろうとしたが、足がすくんで門内に入れず、門柱に自分の手形を押して立ち去ったと伝わります。
この伝承にちなんで、今でも盗難よけのお札を受けに来る人が多いといいます。 -
若山神社のツブラジイ林(わかやまじんじゃのつぶらじいりん)
若山神社の境内西側に、幹まわりが2.5メートルを超える樹齢200年前後のツブラジイの巨樹が42本自生しています。中には、幹まわりが4.2メートルに及ぶものや、高さが32メートルに達するものもあります。
社叢(しゃそう・神社の森)として、古くから大切に保護されてきたと考えられ、平成元年に「大阪みどりの百選」に選ばれ、平成14年には大阪府指定天然記念物に指定されています。 -
大沢のすぎ(おおさわのすぎ)
幹まわり約6.7メートル、高さ約20メートル、枝の広がり約31メートル。八方に太い枝を伸ばした巨大なスギで、樹齢800年といわれます。地元では古くから神木の一つとして大切にされてきました。天狗の止まる木とされ、さわることも禁じられていたといいます。昭和52年、大阪府指定天然記念物に指定されています。
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乙女の滝(おとめのたき)
乙女の滝は、水無瀬川(みなせがわ)の上流、尺代の山吹渓谷(やまぶきけいこく)にある高さ約50メートルの滝です。木々の間から見えるか細い流れは、清楚な乙女を連想させます。尺代の集落から1キロメートルほど上流にあります。
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水無瀬の滝(みなせのたき)
水無瀬の滝は、天王山の西尾根から発した滝谷川が、天王山断層によって落ち込んでできた高さ約20メートルの滝です。後鳥羽上皇が滝を観賞されたという伝承が残っています。この滝の水は枯れたことがないといわれ、昭和20年代から上水道に切り替わるまでの間、簡易水道の水源として利用されました。名神高速道路の天王山トンネル出口付近にあります。
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本宮 鴉宮(ほんぐう からすみや)
順徳天皇の御代、鎌倉前期の建保2年(1214年)、傳母町開拓が始まり、建保3年(1215年)、村と港の繁栄を祈願し、傳母村(現在の伝法町)の中心に傳母頭(もりす)神社を創建したのがはじまりです。古くは織田信長と毛利水軍が海戦の拠点として奪い合った海上交通の要所としての役割あり、太閤豊臣秀吉から古来の守り神である八咫烏にちなんで、鴉宮と名称変更し、いまに至っているとのことであり、歴史に彩られた神社で、国の登録有形文化財に登録されています。
また、本宮鴉宮の拝殿の表側には、神の使い八咫烏、裏側には大阪府の府章である千成瓢箪など全国的に珍しい貴重な彫刻がされおり、千成瓢箪の発祥の地と伝わっておいます。
夏の祭は多くの人がごった返し、勇壮で、町挙げてのお祭りとなっています。(ゑびす祭:1月9日~1月11日、夏祭:7月31日~8月1日、秋祭:11月3日) -
澪標住吉神社 「澪標」・「力石」(みおつくしすみよしじんじゃ みおつくし・ちからいし)
大阪市の「市章」にもなっている「澪標」が云われになっている神社です。
伝法は古来より瀬戸内海より大坂への入口として賑わっていましたが、江戸期には樽廻船の発祥の地となり、江戸幕府最大の船奉行所のあった所です。
荷役の沖仲仕が「力」を競った神勢力=力石(150kg)が祭ってあり、入口左と境内には「澪標」があります。
当社「御本殿」は、文久年間(江戸時代、3年5年13年等の説があります)に建てられ「四間流屋造り」の非常にめずらしい造りで、その大きさ(規模)と共に貴重な建造物であります。(信仰の対象ですので、見世物ではありませんが一見の価値はあると思います。)
※普通、神社に参拝されますのは「拝殿」です。御本殿はその奥にあります。 -
伝法港(通称)の沈石ベンチ
およそ400年前の大坂城の沈石(運搬中に河底に沈んだ石)がやっと「日の目」を見て、伝法港のベンチになっています。
沈石は別名「残念石」とも云われ、本来大坂城の石垣になるはずが、長きにわたり河底で眠っていたものです。
4つあり、1つが4t以上もある長方形の石です。刻印や家紋も無く、謎に満ちていますが、それだけにロマンを感じるものです。 -
天保山渡船場(てんぽうざんとせんじょう)
大阪市営で運営されている渡しで、現存している数少ない路線の一つです。安治川では唯一残った渡しで、天保山とUSJのある桜島を結んでいます。自転車も乗船可能で、乗船料金は「無料」です。
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正蓮寺(しょうれんじ)
正蓮寺の川施餓鬼は享保6年(1721年)から始まり、日本三大施餓鬼の一つとして江戸時代から有名である。目の前を通る正蓮寺川の名前の由来ともなっている。古くは七堂伽藍が備えられ、大阪25ヶ寺に数えられていました。
寺内の墓地には宮水の発見者である「櫻正宗」の山邑家の墓がいくつもあります。
他に鴻池家、「伝法肌」で有名な伝法安の墓などがあります。また、300年の樹齢の大きな蘇鉄の木があります。