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貝塚市立善兵衛ランド(かいづかしりつぜんべいらんど)
江戸・寛政時代に日本一優れた望遠鏡を作り、日本初の天体観測会を開いた岩橋善兵衛の業績を顕彰するための施設です。大阪最大の望遠鏡(60cm反射ニュートン・カセグレン式)を備え、公開天文台として広く一般に公開しています。 (昼夜とも随時、望遠鏡で観望できる国内唯一の施設)
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櫻井神社(さくらいじんじゃ)
上神谷(にわだに)の八幡さんと呼ばれ、堂々と構える割拝殿(わりはいでん)の木組と白壁は、鎌倉時代の建築様式とされ、堺で唯一国宝に指定されている貴重な建物です。
外壁の白壁と朱色の木部との鮮やかなコントラストが美しく、簡素にして明快な木組みに時代を感じることができます。
また、神社には大阪府指定有形文化財として、鉢ヶ峯の国神社にまつられていた石燈籠と神像が保存されているとともに、毎年10月5日に近い日曜に奉納される「上神谷のこおどり」は国選択・府指定無形文化財となっています。 -
大小路筋(おおしょうじすじ)
堺市役所から南海本線堺駅までの1.5㎞の堺のシンボルロード。
中世の自治都市・堺を南北に分けていた道で、これにより北側は摂津国、南側は、和泉国で、国境にできたまち「堺」を象徴する道です。 -
菅原神社(すがわらじんじゃ)
「堺の天神さん」として親しまれている菅原神社は、大宰府に左遷された菅原道真が自らつくって海に放流、堺港に流れ着いたと伝えられる七天神のひとつをご神体とする神社で、その建立は長徳3年(997)といわれています。
現在、そのご神体を祀る本殿や、延宝5年(1677)に堺の鉄砲鍛冶榎並屋勘左衛門が寄進した楼門(大阪府指定有形文化財)、江戸時代初期に建てられた茶室「紅梅軒」のほか、境内には南大阪随一の「えべっさん」として親しまれる「堺戎神社」があり、毎年1月の十日戎には、数十万人の人が商売繁盛を願ってお参りをします。また、神社内の庭園では蛍が飼育されており、毎年六月中旬二日間にわたって開かれ、都会の中で自然のロマンが楽しめると大勢の人たちで賑わいます。 -
やっさいほっさい
昔、石津太神社に漂着したえびす様を漁師たちが108束の薪を燃やし、暖めたという伝説にちなむ祭です。えびす様に扮した男を担ぎ、「やっさいほっさい」のかけ声とともに火の中を渡る。薪の燃え残りを家に持ち帰ると、厄除けのまじないになるといわれています。堺市指定無形民俗文化財。
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堺まつり(さかいまつり)
堺まつりは昭和49年に第1回目が開催された、多くの市民が参加して毎年10月に行われる市内最大のイベントです。
堺東駅から堺駅までの約1kmと内川環濠や大道筋の一部をお祭り一色に染め上げます。堺まつりの華「鉄砲隊の実演」「ふとん太鼓の担ぎ合い」などエネルギッシュなステージ、グルメ、各種ワークショップや体験などをお楽しみいただけます。南宗寺・さかい利晶の杜では利休のふるさと堺大茶会など歴史と伝統に彩られたまち・堺の魅力がたっぷり味わえるまつりです。 -
堺市茶室 伸庵(さかいしちゃしつ しんあん)
仁徳天皇陵古墳に隣接する緑豊かな大仙公園の一角に、国登録有形文化財 堺市茶室「伸庵」と「黄梅庵」があります。
伸庵は、数寄屋普請の名匠・仰木魯堂が粋をこらして昭和4年に建てた茶室で、もとの東京芝公園にあったものを昭和55年に福助株式会社から寄贈され移築したものです。建物は風雅な二階建てで、立礼席は約15席。多人数の茶事を催すこともできます。 -
白鷺公園 ハナショウブ園(しらさぎこうえん はなしょうぶえん)
野球場やグラウンドを備えた総合公園で、スポーツとレクリエーションの場として子どもからお年寄りまで幅広く利用されています。また、園内にはハナショウブ園があり、白・紫・赤・ピンクの花が色鮮やかに咲き来園者の目を楽しませています。
ハナショウブは、市制100周年を記念し、平成元年に市民投票で市の花に選ばれました。主な種類には、肥後系、江戸系、伊勢系などがあります。見ごろは例年、5月下旬から6月上旬(気候等によって変わります)が見頃です。 -
髙林家住宅(たかばやしけじゅうたく)
髙林(たかばやし)家住宅は、御廟山古墳(ごびょうやまこふん)の南側にあります。白壁の土塀で囲まれた屋敷で、茅葺き屋根の主屋に土蔵や不動堂、稲荷社があり、敷地全体が江戸時代・近畿地方の庄屋の屋敷構えがよく残っています。1500年代後半の天正年間に建てられ、増改築によって座敷や玄関などが整えられ、18世紀終わり頃、現在の姿になったと伝えられています。重要文化財。
*現在も居宅として利用されていますので、外観からの見学をお願いします。 -
黒姫山古墳(くろひめやまこふん)
黒姫山古墳は、全長114m、前方部の幅65m、後円部の径64m、高さ11mの二段築成の前方後円墳で、百舌鳥古墳群と古市古墳群の中間に位置します。昭和22年(1947)に発掘調査が行われ、一基の古墳への副葬品量としては全国最多の鉄製甲冑などが出土し注目を集めました。古墳時代の中期に築造されたと考えられており、中世には砦としても利用されていたようです。
昭和32年(1957)、黒姫山古墳のもつ重要性から国の史跡に指定され(昭和53年、周庭帯部分を追加指定)、平成元年(1989)からは、国と府の補助を受けて、環境整備が実施されました。出土した大量の甲冑は、現在までに大半が保存処理を終え、M・Cみはら(堺市立みはら歴史博物館)でその一部を展示しています。