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原八景
原八景は、神峯山寺の僧・大道鶴僊大阿闍梨が、漢詩「原八景の詩」として詠んだ原の美しい8つの名所です。
1 大森晴嵐 :芥川(大森橋の北側)
2 宮下落雁 :八阪神社の下の滝川
3 横山秋月 :浄圓寺から続く山
4 京坂帰牛 :牛地蔵
5 河原夕照 :芥川(大森橋の下流)
6 本山暮雪 :本山寺
7 神峯夜雨 :神峯山寺
8 浄圓暮鐘 :浄圓寺 -
摂津峡
摂津峡は奇岩や断崖が続く景勝地であり、絶好のハイキングコースで、家族連れや遠足の小学生など、多くの人々が訪れます。春は摂津峡さくら公園の桜、夏は清流で水遊びする子供たちの姿、秋は紅葉など四季折々の風景を楽しむことができます。
みどりと水が豊富で自然あふれる摂津峡は、人々に癒しを与えてくれる都会のオアシスです。 -
芥川
高槻市を南北約約25kmに渡り縦断する「芥川」。子供たちが川で遊び、たくさんの市民が川べりを散策する、身近に愛される「ふるさとの川」です。
この「ふるさとの川」のさらに豊かな生態系の回復を目指し、市民や団体のほか府、市も加わり、「ひとと魚にやさしい川づくり」を行っています。天然アユの遡上を目的とした「魚みち」の設置をはじめ、自然と歴史を守りながら人々が憩える川になるよう取り組んでいます。 -
鵜殿のヨシ原(うどののよしはら)
高槻市道鵜町・上牧町周辺の淀川河川敷には約75haに渡ってヨシ原が広がり、「鵜殿のヨシ原」と言われています。このヨシ原では良質なヨシが採れ、雅楽の楽器である篳篥(ひちりき)の吹き口に用いられています。広大な面積に生育するヨシを有効に利用するために、現在、様々な調査・研究が進められています。
また、ヨシ原の保全、害草や害虫の駆除、不慮の火災防止等を目的に毎年2月頃に「鵜殿のヨシ原焼き」が実施されています。 -
高槻クロスカントリー大会
摂津峡近くにある萩谷総合公園とその周辺をコースに、自然を満喫できる大変環境の良い場所で開催されます。
コースは、高低差が60mもある本格的なコースから小学生を対象とした1マイル(1.6km)、1kmの走る楽しみを感じられるコース、家族で走れるファミリー1kmコースを設けております。緑に恵まれた爽やかな場所で、子どもから高齢者まで参加できる大会です。 -
こいのぼりフェスタ1000
ゴールデンウィーク前後の約2週間、約1000匹のこいのぼりが、高槻の都市シンボル軸である「芥川」の上空を雄大に泳ぎます。
4月29日(昭和の日)にはダンスや楽器演奏など、市民の手作りでイベントが開催され、今では来場者が1万人を越えています。少子化や核家族化が進む中、日本の古き良き伝統文化を子どもたちに受け継がせたいという思いで、ふるさと意識の高揚や河川愛護の気持ちを伝えています。 -
高槻城跡
高槻城は、戦国時代の入江氏の城館に始まり、永禄12年(1569)に和田惟政が城としての基礎を固め、天正元年(1573)に高山右近が町屋を城内にとりこんで堅固な城郭を築きました。右近は熱心なキリシタンで、キリスト教を手厚く保護し布教をすすめてたと伝えられています。
江戸時代、北摂唯一の城郭として重要な役割を果たしました。大坂夏の陣ののち元和3年(1617)、江戸幕府による直営改修工事が行われ、慶安2年 (1649)には永井直清が入城、以後13代、幕末まで高槻藩3万6千石の譜代大名永井家の居城となります。
明治7年(1874)に京阪間の鉄道建設のため石垣が破却され、用材として使われました。現在は、府の史跡に指定されています。 -
高槻シティハーフマラソン大会
新春恒例の「高槻シティハーフマラソン大会」が毎年1月、総合スポーツセンター陸上競技場を起点に開催されています。全国から約8,000人のランナーが参加し、淀川・芥川の堤防や市街地を回るハーフ、5キロなどの各コースを力いっぱい駆け抜けます。
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今城焼
高槻ははるか昔、焼き物の一大生産地であった土地です。実際、大規模な工房跡、窯跡が発掘されており、「新池ハニワ工場公園」として再現され、観光スポットにもなっています。「今城焼」は、高槻がかつて陶芸文化発祥の地であったというメッセージをのせて、全国の飲食店などで料理栄えする器として使われております。土の香りがして、どこか懐かしいような、それでいてどこにもない新しさがあり、幸せな気分にさせてくれる器です。
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高槻うどんギョーザ
高槻市北部で昭和50年代半ばより脈々と愛されてきた家庭料理。おやつにも、ビールのおつまみにもピッタリ!肉や卵、ニラなどの餃子の具材を、皮の代わりに細かく刻んだうどんと混ぜ合わせ丸めて焼き、餃子のタレやポン酢をつけて食べます。 見た目はお好み焼き、味は「ギョーザ」というのが特徴です。ユニークな「ご当地グルメ」としてテレビなどのメディアでも話題になり、 「高槻名物」として市民に親しまれています。