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学芸員の投稿
Update: 2014年01月07日
流谷八幡神社の勧請縄掛神事
南海電鉄高野線「天見」駅から徒歩で約12分の所に流谷八幡神社があり、毎年1月6日前後の日曜日に勧請縄掛神事が行われます。
 勧請縄掛縁起は、昔この里は甲斐の庄と呼ばれ京都石清水八幡宮の荘園でした。神社の辺りは流谷川が大渓谷を形成しているため人馬の通行が困難であり、また難工事のために架橋がない状態でした。ここに長暦3年(1039年)1月6日に石清水八幡宮のご神体を勧請する際、正道から社頭へ一筋の綱を渡し、それに宝殿を託してご神体を本殿へ遷宮しました。この勧請を永遠に記念するために、その跡へ鳥居の代わりに杉樹を両岸に植えて、毎年1月6日に注連縄を綯い、川越しに杉樹間に張り、勧請の昔を偲びました。
 現在の神事は次のように行われます。注連縄綯いは、縄綯い専用の梯子の3段目を支持台として3人がかりで綯います。サポートする人が3人程おり、藁屑などを除去して一握りの藁を渡します。縄綯いは力がいるため、途中で交代したり休んだりして左縄を直径10cm程度、長さ60mほど綯います。普通の注連縄のように藁の株元を綯い込むのでなく、「蛇の足」といって15cmほど外に出して綯い、蛇のように作られます。この綯いかたは、綯った注連縄が抜け落ちないようにとの配慮と、蛇の様に綯うの“蛇”を“邪”に引っ掛けて邪悪なものの侵入を防止する意味を持つ。注連縄綯いと並行して、注連縄に付ける瓔珞が作られ、大きさは人の背丈ほどあります。平年の歳では各12本、閏歳で13本作られるが、今年は平年歳であるため12本作られました。これを注連縄に1.8~2m間隔で取付けられます。
注連縄掛けは、まず社頭の柿の古木に結ばれる。流谷川越えに注連縄を掛けるために橋の欄干から慎重に垂らします。そして対岸の勧請杉に注連縄が結ばれます。この注連縄が長持ちすれば、豊作になると言い伝えられているが、梅雨頃に切れるそうです。
Written by 岩湧太郎
学芸員の投稿
Update: 2014年01月07日
烏帽子形神社の恵比須祭
6~7日の烏帽子神社の恵比須祭に出かけました。6日の午前中、大阪狭山市の娘のところで孫たちと遊んで、帰りの電車がちょうど、河内長野止まりの電車でしたので、観光案内所のディスプレイの写真を撮って、歩いて烏帽子神社へ向かいました。
途中の西條酒造さんのところでも、長野神社の十日ゑびすに合わせて、9~10日に初売りが行われると書いてありました。こちらは西之宮戎系の、大阪で一般的なお祭りです。
烏帽子形神社の末社は、前回の報告のとおり、島根県の美保神社から昭和30年に分霊されたもので、御祭神は、事代主命、三穂津姫命で、海運漁業の神で、安産の神でもあります。
河内長野は石川の流域で、竹や材木の市場があったところです。開運漁業の神様がおられても良いと思います。事代主命は恵比須さんのことです。美保神社は全国各地にあるゑびす社の総本山で、3385社あります。西宮神社と違う系統の福の神のえびす様の総本社です。市内では、この恵比須さんだけが、1月6~7日に恵比須祭が行われて、6日の宵恵比寿の14~19時の間と、7日の本恵比寿の10~15時までは、「おぜんざい」の接待が行われます。また、7日の本恵比寿では、15時から「餅まき」が行われます。景気の良い「商売繁盛篠持ってこい 年のはじめのえべっさん♪」という今宮戎系の音頭が、拡声器で賑やかに、高野街道沿いに流れていました。多分、色んなところのものを採用しているのだと思いました。
Written by マロンさん