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道明寺歴史まつり(どうみょうじれきしまつり)
埴輪が作られ、修羅が用いられていた古墳時代、遣唐留学生・井真成の生きた奈良時代、菅原道真公のいた平安時代、そして真田幸村や後藤又兵衛が駆け抜けた道明寺合戦の武者達の時代……
様々な時代の歴史・文化が息づく道明寺の歴史的魅力を再発見!
歴史行列、イベントステージ、グルメや物販、音楽ライブなど道明寺の「ひと・まち・歴史」に触れる楽しいイベントです。 -
花折街道「妙見山参詣道」(はなおれかいどう みょうけんさんさんけいどう)
花折街道(妙見街道)は、寛政(1789)から明治(1868)にかけて能勢妙見宮の参詣道として名をはせ、この地を絶えず旅人が往来していました。吉川は、その後も門前町として賑わい、旅人目当ての旅籠や茶店、常夜灯など当時の面影を今に残す集落です。
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初谷渓谷(はつたにけいこく)
初谷川は能勢妙見山を源流とする清流です。水量は多くありませんが、枯渇することもなく、大阪府緑の百選に選ばれています。春にはウツギの花が咲き乱れ、オオルリの澄んだ声、夏にはサンコウチョウのさえずりが聞こえ、子ども連れで水遊びが楽しめるところです。
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吉川里山の景観
今は昔、池田炭でその名をはせた台場クヌギと炭焼きがま(廃墟)があるこの地に立てば、足元に広がる棚田が一望できます。周辺に広がる針葉樹林と広葉樹林のコントラストも美しいところです。
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高代寺参道の棚田の石垣
今はハイキングコースとなっている高代寺参道の中間にあたり、吉川の集落と隣接している大規模住宅地の双方が見渡せる位置に棚田が広がっています。その脇にある町石は350年ほど前のものであり、棚田の石垣も当時そのままに保全するためボランティアグループが活動しています。
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高代寺(こうだいじ)
平安時代初期の始まりとされるお寺「真言宗七宝山薬師院高代寺」は、能勢電鉄妙見口駅から棚田にそって上ること40分。標高488mの地にあります。お寺の境内には、千年を越える菩提樹、高野槇、タラヨウなどが古を物語っています。途中にある十二の町石や六地蔵、境内近くの五輪の塔など人の世の栄枯盛衰を偲ぶ思いに浸れるところとして、四季を通じてハイカーが訪れています。境内には保護されたツキノワグマの「とよ」が飼育されており、ハイカーの方々をお迎えしています。
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吉川八幡神社(よしかわはちまんじんじゃ)
千年の歴史を誇る吉川八幡神社は、能勢電鉄妙見口駅から北へ徒歩20分。四季折々の里山景観を満喫しながら歩いた先にひっそりとたたずんでいます。
ここは、コジイを主とした照葉樹林が保全されており、池田炭の原木として有名な周辺里山にあるクヌギ林とのコントラストも見ごたえあります。
この神社は御神馬を育成している数少ない神社の一つであり、中でも日本在来種(和種)が御神馬としてお仕えしている神社は5社と言われ、非常に貴重な神社となっています。
また社有地には能勢電鉄車両のカットモデルが展示してあり、鉄道ファン必見の神社として知られています。 -
花の海遊ロード
花の海遊ロードは、大阪を代表する集客施設である海遊館や世界第一級のクルーズ客船が入港する天保山客船ターミナルと地下鉄大阪港駅を結ぶメイン通りの愛称で、世界各国から多くの人々が訪れています。
この通りを大阪の国際的な海の玄関口にふさわしい気持ちよい空間にするため、これまでに地域住民や企業等が協力し歩道の花飾りや清掃、イルミネーション等の取り組みを行ってきたほか、新たにベンチ機能のあるフットライトが設置され、道路空間が地域住民や来訪者の憩いと交流の場となるとともに、夜間はフットライトの灯りが潤いある街並みの形成につながっています。 -
津波・高潮ステーション(つなみ・たかしおすてーしょん)
津波・高潮が発生したときの西大阪地域の防災拠点、および津波・高潮災害に関する啓発拠点となる施設です。かつて大阪を襲った高潮や、近い将来必ず大阪を襲うと言われている南海トラフ巨大地震と津波についての正しい知識を習得し、また、地震、津波発生時の対応などを学べる、広く開かれた施設です。なお、令和6年10月には特設展示として、「三大水門更新事業コーナー」を新設しました。大阪のまちを守ってきた三大水門の新たな姿や工事の状況をリアルタイムで見ていただけます。ぜひご来館いただき、”見て、聞いて、触って”楽しく学び、災害への備えの大切さを心に刻んでください。
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戦国武将 真田幸村公戦勝祈願 参道パレード(せんごくぶしょう さだなゆきむらこうせんしょうきがん さんどうぱれーど)
戦国の世に生きた幸村公は、後に天下統一を果たす徳川家康に「日本一の兵(つわもの)」と言わしめた知略と勇気にあふれた武将です。
誉田・道明寺の合戦の後、大阪城に戻る途中、志紀長吉神社で六文銭軍旗・太刀を奉納し、戦勝祈願をされ、ご利益(りやく)により次々と倒し、最期は茶臼山で、壮烈な戦いのうえ、戦死されました。
このご利益により、勝運の神としても祀られ、現在では、受験生のお参りが大変多く、正月から節分にかけて、当神社オリジナル六文銭軍旗の勝守や勝絵馬を求めに来られます。