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茨木市立川端康成文学館
日本人初のノーベル文学賞作家・川端康成にとって、幼児期から旧制中学校卒業までを過ごした茨木は「ゆかりのふるさと」。文学への志を深めたのも、茨木時代のことでした。ゆかりの地に建つ文学館では、著書、書簡、原稿や墨書、康成が祖父母と暮した宿久庄の家の模型など関連資料約400点を展示、川端康成の生涯と作品を紹介しています。館内には、川端作品の舞台をめぐる文学散歩のコーナーや、鎌倉長谷邸の書斎再現コーナーもあります。
・休館日 毎週火曜日 祝日の翌日(その日が日曜日の場合を除く) 年末年始(12月28日~翌年1月4日まで)
・開館時間 午前9時~午後5時 -
見山地域(de愛・ほっこり 「見山の郷」)
見山地区は茨木市の最北部で標高が300mから500mあり、美しい棚田や里山が残っています。お米や彩り豊かな旬の野菜が年間を通じて採れ、それらの野菜や農産物加工品の販売、またその加工工程を見ることができる、自然や農村と都市のふれあいをテーマとした施設「見山の郷」があります。
この地域では平成の初め頃から地域の農作物や景観を活かし、都市住民との交流を通じた地域振興が図られてきました。特に「見山の郷」周辺には、地域住民が自主的に植え、管理しているアジサイがあり、このアジサイを目的に多くの人々が訪れます。 -
市民さくらまつり
元茨木川緑地内で、桜の開花時期に合わせて開催される催しです。「大阪みどりの百選」にも選出された全長5キロメートルに及ぶ緑地内には約1,100本の桜が美しく咲き誇り、市民の目を楽しませています。
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原八景
原八景は、神峯山寺の僧・大道鶴僊大阿闍梨が、漢詩「原八景の詩」として詠んだ原の美しい8つの名所です。
1 大森晴嵐 :芥川(大森橋の北側)
2 宮下落雁 :八阪神社の下の滝川
3 横山秋月 :浄圓寺から続く山
4 京坂帰牛 :牛地蔵
5 河原夕照 :芥川(大森橋の下流)
6 本山暮雪 :本山寺
7 神峯夜雨 :神峯山寺
8 浄圓暮鐘 :浄圓寺 -
摂津峡
摂津峡は奇岩や断崖が続く景勝地であり、絶好のハイキングコースで、家族連れや遠足の小学生など、多くの人々が訪れます。春は摂津峡さくら公園の桜、夏は清流で水遊びする子供たちの姿、秋は紅葉など四季折々の風景を楽しむことができます。
みどりと水が豊富で自然あふれる摂津峡は、人々に癒しを与えてくれる都会のオアシスです。 -
芥川
高槻市を南北約約25kmに渡り縦断する「芥川」。子供たちが川で遊び、たくさんの市民が川べりを散策する、身近に愛される「ふるさとの川」です。
この「ふるさとの川」のさらに豊かな生態系の回復を目指し、市民や団体のほか府、市も加わり、「ひとと魚にやさしい川づくり」を行っています。天然アユの遡上を目的とした「魚みち」の設置をはじめ、自然と歴史を守りながら人々が憩える川になるよう取り組んでいます。 -
鵜殿のヨシ原(うどののよしはら)
高槻市道鵜町・上牧町周辺の淀川河川敷には約75haに渡ってヨシ原が広がり、「鵜殿のヨシ原」と言われています。このヨシ原では良質なヨシが採れ、雅楽の楽器である篳篥(ひちりき)の吹き口に用いられています。広大な面積に生育するヨシを有効に利用するために、現在、様々な調査・研究が進められています。
また、ヨシ原の保全、害草や害虫の駆除、不慮の火災防止等を目的に毎年2月頃に「鵜殿のヨシ原焼き」が実施されています。 -
高槻クロスカントリー大会
摂津峡近くにある萩谷総合公園とその周辺をコースに、自然を満喫できる大変環境の良い場所で開催されます。
コースは、高低差が60mもある本格的なコースから小学生を対象とした1マイル(1.6km)、1kmの走る楽しみを感じられるコース、家族で走れるファミリー1kmコースを設けております。緑に恵まれた爽やかな場所で、子どもから高齢者まで参加できる大会です。 -
こいのぼりフェスタ1000
ゴールデンウィーク前後の約2週間、約1000匹のこいのぼりが、高槻の都市シンボル軸である「芥川」の上空を雄大に泳ぎます。
4月29日(昭和の日)にはダンスや楽器演奏など、市民の手作りでイベントが開催され、今では来場者が1万人を越えています。少子化や核家族化が進む中、日本の古き良き伝統文化を子どもたちに受け継がせたいという思いで、ふるさと意識の高揚や河川愛護の気持ちを伝えています。 -
高槻城跡
高槻城は、戦国時代の入江氏の城館に始まり、永禄12年(1569)に和田惟政が城としての基礎を固め、天正元年(1573)に高山右近が町屋を城内にとりこんで堅固な城郭を築きました。右近は熱心なキリシタンで、キリスト教を手厚く保護し布教をすすめてたと伝えられています。
江戸時代、北摂唯一の城郭として重要な役割を果たしました。大坂夏の陣ののち元和3年(1617)、江戸幕府による直営改修工事が行われ、慶安2年 (1649)には永井直清が入城、以後13代、幕末まで高槻藩3万6千石の譜代大名永井家の居城となります。
明治7年(1874)に京阪間の鉄道建設のため石垣が破却され、用材として使われました。現在は、府の史跡に指定されています。