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野田のまちなみ
駅前の雑踏から一歩踏み込むと、大正から昭和はじめに建設された家並みが続いています。野田村は、戦国時代は織田信長と対峙し、石山本願寺攻略などで度々戦火に巻き込まれましたが、幸いな事に太平洋戦争の被災は免れたため、戦前の長屋が今も良く残っています。この地域も、老朽化による建替えや大通りに近い場所でのマンションの建設が進められていますが、古いまちなみには、人情味あふれる下町風景が残っています。「野田のまちなみ」は、平成18年度に府民投票をもとに「大阪まちなみ百景」に選定されています。
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淀屋橋周辺のまちなみ
土佐堀川に架かる淀屋橋は、東西に中之島、南北に御堂筋のビジネス街との交点にあり、大阪の経済と文化の鼓動が聞こえるようです。イチョウ並木の両側に整然と建設された日本銀行や大阪市役所、オフィスビルは「天下の台所」現代版です。南向き一方通行の車道の車は、この橋を大河の如く流れています。緑の少ない大阪の市街地であるが、ここに佇むとホッとする空間で、緑に浸りながら、中之島公園や御堂筋の街並みを散策したい気分になります。「淀屋橋周辺のまちなみ」は、平成18年度に府民投票をもとに「大阪まちなみ百景」に選定されています。また、日本銀行大阪支店は大阪まちなみ賞(第3回特別賞)を受賞しています。
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喜連地区
喜連は「キレ」の音も「クレ」の転訛とされ、『古事記伝』以来「伎人郷(くれひとのさと)」、つまり大阪における最初期の渡来人の定住地であることが定説となっています。
喜連は、古代のムラが中世の環濠集落、近世の惣村へと発展していったことを跡づけられる埋もれた遺跡群が再発見されている真っ最中です。数百年を住民の手で守られてきた18体一斉の地蔵盆、今年180年祭が催された古式豊かな修験道の行事などが、今も息づいています。100年を越える寺・蔵・屋敷からなる歴史的街並みが、時代の波に耐えています。豊富な近世文書はこれから発掘・解明に取りかかるところです。いま、その歴史が明らかになりつつある喜連は、正に、村ぐるみ博物館として積極的に保存・深化させるべき、旧くて新しい生きたミュージアムです。 -
天王寺 七坂
上町台地には数々の坂があり、特に天王寺区の坂は歴史的由緒が伝えられています。どの坂も個性と風情があり、また、四季折々の大阪の顔としてみどころがあります。
真言坂、源聖寺坂、口縄坂、愛染坂、清水坂、天神坂、逢坂をいわゆる「天王寺七坂」と呼びます。 -
十日戎(今宮戎神社)
1月9日「宵戎(ヨイエビス)」、1月10日「本戎(ホンエビス)」、1月11日「残り戎(ノコリエビス)(残り福)」の3日間行われ、今宮戎は商売繁盛の神様「今宮の戎(えべっ)さん」として、信仰を集めています。「商売繁盛で笹持ってこい」のお囃子のなか、福娘から笹を授かろうと、3日間でおよそ100万人の参拝者が訪れます。
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平野郷夏祭り(杭全神社)
平野郷は、古くから環濠自治都市として繁栄し、今も昔ながらの景観が多く残されています。
毎年、7月に杭全神社を中心に、「神輿足洗い」「地車町内曳行」「太鼓台巡行」など、勇壮かつ盛大な夏祭りが開催されています。
歴史と伝統を活かし、まちをあげての平野郷夏祭りは一見の価値があります。 -
大阪薪能(生國魂神社)
「大阪薪能」は、天文15年(1546年)に上方芸能発祥の地である生國魂神社のご神前で数万人の観能者を集めて催された演能の故事にならい、大阪が戦後復興に邁進していた昭和32年(1957年)に初回が演能されました。以後半世紀を越えた今もなお大阪の夏の風物詩として生國魂神社の境内で盛大に開催され、邦人のみならず在阪領事館関係者をはじめ、諸外国の方々にも好評を博しています。
開催期間2日間で6番の能と仕舞・狂言という圧倒的なボリュームに加え、公益社団法人能楽協会大阪支部の観世流・金春流・宝生流・金剛流・喜多流による質の高い競演が、大阪の夏の夜を焦がすかがり火とともに観るものを幽玄の世界へと誘います。 -
阿倍野の道
熊野街道に沿う阿倍野周辺には、松虫塚を起点として、阿倍晴明神社、阿倍王子神社、相生阪、徂親坂、さくら坂、やしろ坂、阿部野神社など、昔ながらのまちなみをめぐることができます。
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住吉祭(住吉大社)
住吉大社では、おはらひの神として、無病息災を願い、古くより夏越祓の神事が行われています。7月31日夕刻の茅の輪くぐりに始まる祓神事ののち、翌8月1日には、住吉大神の神霊がお乗りになられる神輿を担ぎながら堺の宿院頓宮にわたり、日が沈む浄闇の中で大祓が行われます。
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三光神社
玉造の南の小高い丘(旧姫山)に社が鎮座しており、天照大神・月読命・素盞嗚命を祀っています。古くから中風除けの神として信仰されており、毎年6月1日を祈願の初日として7日間、中風除祈願大祭が行われています。末社の一つに武内宿弥社があり、大阪七福神の寿老神として祀られています。境内及び付近一帯(宰相山公園・旧陸軍墓地)は、桜の名所(三光さくら)としても知られており、多くの花見客で賑わいます。また、この地は、大坂冬の陣の際、真田幸村が砦「真田丸」を築き、地下に暗道を設け、大阪城と連絡を取ったと言い伝えられる「真田の抜け穴跡」が本殿階下の左側にあります。この抜け穴の脇には大坂冬の陣で指揮をとる姿の真田幸村公の銅像が建っています。