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三箇城址(さんがじょうあと)

三箇城は、戦国時代、飯盛城の西の守りを固める支城でした。往時は深野池へ続く湖沼地に浮かぶ三つの島を利用して築かれていたといわれています。
 三箇城主の伯耆守頼照(ほうきのかみよりてる)(洗礼名:サンガ・サンチョ)は「イエズス会のために最も功労のあった人たちの一人」といわれるほど熱心なキリシタンで、三箇はフロイスの「日本史」等により遠くヨーロッパにまでその名を伝えられた河内キリシタンの主な活動地の一つとなりました。ポルトガル人宣教師ガスパル・ヴィレラやルイス・フロイス等が滞在したともいわれています。
 永禄4年(1561年)畠山高政に攻められ落城したと伝えられていますが、現在は三箇菅原神社内に石碑が残るのみで、城の形や詳しい位置も分かっておりません。
ジャンル建物・まちなみ
時代中世
所在地 大東市三箇5丁目2番3号
交 通大東市コミュニティバス三箇自治会館停留所下車徒歩5分
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