鉢伏山西峰古墳(はちぶせやまにしみねこふん)
鉢伏山西峰古墳(はちぶせやまにしみねこふん)は、鉢伏山から西に伸びる尾根上に築かれています。この尾根の標高は約135メートルで、西方には大阪平野を見渡すことができ、5世紀の大王墓群である古市古墳群のビューポイントにもなっています。
この古墳は平成5年(1993年)に発掘調査が実施され、一辺約12メートルの方形の墳丘であることがわかりました。埋葬施設は、飛鳥時代に特有の「横口式石槨(よこぐちしきせっかく)」と呼ばれるものです。棺を納める「石槨部」の前に「前室」を設け、そこに至る「羨道(せんどう)」が付設されています。早くから開口していたので、棺や副葬品は残っていませんでした。
鉢伏山西峰古墳の横口式石槨の石槨部は、この古墳が立地する地形の岩盤の露頭を刳り貫いて非常に精巧に造られています。「漆喰(しっくい)」と言われる白色の上塗り材が石槨部の壁面の一部に残存していました。また、前室の床には白色の凝灰岩の切石が敷かれていました。出土した土器などから、7世紀半ばに築造されたものと考えられます。7世紀代を中心とする飛鳥時代に築かれた古墳は、一般的に「終末期古墳」とも呼ばれています。
横口式石槨をもつ終末期古墳は、全国でも数が少なく、特に「河内飛鳥」や「大和飛鳥」に集中して見られます。とりわけ、鉢伏山西峰古墳は、発掘調査によってその全貌が明らかになった事例として大変貴重なものです。現在、この古墳は整備されており見学することができます。
この古墳は平成5年(1993年)に発掘調査が実施され、一辺約12メートルの方形の墳丘であることがわかりました。埋葬施設は、飛鳥時代に特有の「横口式石槨(よこぐちしきせっかく)」と呼ばれるものです。棺を納める「石槨部」の前に「前室」を設け、そこに至る「羨道(せんどう)」が付設されています。早くから開口していたので、棺や副葬品は残っていませんでした。
鉢伏山西峰古墳の横口式石槨の石槨部は、この古墳が立地する地形の岩盤の露頭を刳り貫いて非常に精巧に造られています。「漆喰(しっくい)」と言われる白色の上塗り材が石槨部の壁面の一部に残存していました。また、前室の床には白色の凝灰岩の切石が敷かれていました。出土した土器などから、7世紀半ばに築造されたものと考えられます。7世紀代を中心とする飛鳥時代に築かれた古墳は、一般的に「終末期古墳」とも呼ばれています。
横口式石槨をもつ終末期古墳は、全国でも数が少なく、特に「河内飛鳥」や「大和飛鳥」に集中して見られます。とりわけ、鉢伏山西峰古墳は、発掘調査によってその全貌が明らかになった事例として大変貴重なものです。現在、この古墳は整備されており見学することができます。
ジャンル | 建物・まちなみ |
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時代 | 古代以前 |
所在地 | 羽曳野市駒ヶ谷 |
交 通 | 近鉄南大阪線駒ヶ谷駅下車東へ約1.8㎞ |
問合先 | |
URL | https://www.city.habikino.lg.jp/soshiki/shougaigakushu/bunka-sekai/bunkazai/bunkazai/iseki_shokai/kofun_shumatsuki/2401.html |
備 考 |
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