みんなの広場

学芸員の投稿
Update: 2014年04月22日
万博公園チューリップフェスタ
万博記念公園のチューリップフェスタに行ってきました。

ちょうど今満開で、4/29まで29種、10万球ものチューリップが見られます。
実際見てみると色や形にいろいろな種類があって面白く、春の青空とチューリップの風景が何とも気持ちいいのです。

万博公園に行っていつも思うことなのですが、自然に包まれるマイナスイオンを都会から近くで感じられるのは素晴らしいと思います。
交通アクセスも阪急千里線山田駅から西口、大阪モノレール万博記念公園駅から中央口、公園東口駅から東口と3駅から3つの入り口へアクセス出来るのでとても便利です。

4月29日祝日にはEXPOアーティスト ミニコンサートも行われます。
開催時間11:00~&14:00~
※雨天時中止とのことです。
Written by はんたろう
学芸員の投稿
Update: 2014年04月22日
大川さくらクルーズ
今春、大川さくらクルーズで「船上ボランティアガイド」をしました。多い日には、1日11便。
川の駅「大阪城港」を出発し、「京橋」「川崎橋」をくぐり大川の両岸に咲き誇る桜を楽しみ「桜宮橋」まで行ってUターンするコース。 春風に吹かれながら、桜を水上から堪能できるこの時期だけのたのしいコースです。
川開きパレード、水上さんぽ、リバーサイドヨガ、大道芸パフォーマンス、造幣局の桜などを川からみることができました。
ガイドでは大阪城秘話・埋蔵金・残念石の話、桜宮橋を設計した武田五一氏が朝ドラ「ごちそうさん」竹元教授のモデルだったとかの逸話などいろいろな話を織り込んで乗船した方たちに楽しんでもらいました。
下船するときに「楽しかったよ!」「良くわかったわ!」と声をかけられるのがとても嬉しかった。
Written by ユーミン
学芸員の投稿
Update: 2014年04月22日
「第一回アカデミックカフェ」石井先生とするチョウと里山の話
15日にまちライブラリー@大阪府立大学で、開館一周年を記念して、サテライトキャンパスで、大学と市民の皆さんと、協働する事になり、「第一回アカデミックカフェ」として、「石井先生とするチョウと里山の話」を開催します。と事務局の奥井さんから話がありました。石井先生からは、『美しい翅をひらめかせ優雅に飛ぶチョウは、古くから人々の心を惹きつけて来ました。チョウは美しいだけでなく、どの種も個性的で謎に満ちています。チョウは色々な陸上生態系で見られ、食物連鎖の中で重要な役割を果たしています。しかし、里山の種を中心に絶滅危惧種の仲間入りをするチョウが増えてきました。』と話されました。
本日は三部構成で話されました。一部はチョウの庭を造り、観察した一番近いフィールド。二部はチョウの移動について、三部は里山の自然を守ると言う視点です。「チョウはどれか」と言う問題が示されて、答えは指で触ってみて、チョウは鱗粉が着くか、着かないかだそうです。チョウは鱗粉が着く個体です。チョウの生活史では、一年に何回も卵・幼虫・蛹(さなぎ)・成虫のサイクルを繰り返すものと、一回のものがあります。また、チョウは多くの天敵がいる中で、生活しているとの話がありました。世界にいるチョウは、2万種で、日本では250種、大阪府下では100種いるそうです。1988年には自然をチョウで守るという運動が始まり、2007年にはトランセット法で再調査が行われました。しかし付近の都市は、里山を崩し宅地開発が進んで行き、チョウが住む環境が破壊されていました。大阪府下では「三草山ゼフィルスの森」計画で、大阪北部の公園に、里山を組み込んで、生態の改修が行われています。チョウは環境指標として最適だとの考えが出ています。そこには情報が集積している事などです。対応としては、自然公園風に里山を取り込む方法です。他にも色んな知恵が必要となっています。
Written by マロンさん
学芸員の投稿
Update: 2014年04月22日
塚穴古墳の紹介
地域情報紙の取材をされる、ライターさんからの問い合わせがあり、ミステリーゾーンとして「塚穴古墳」を取り上げたいとのことでした。早速ご一緒に現地へ向かい、現地確認したところ、市の説明文では、『塚穴古墳は、横穴式の石室を持つ古墳とされていました。しかしこの石室は古墳時代に造られた物が、そのまま残っているわけではなく。昭和61年に市教育委員会によって行われた調査で、この石室が、近世に壊され再度造り直された物である事が判りました。石室の石材は、良く見るとその頃の石を割る為のクサビのあとを見る事が出来ます。平成8年には石室内部の詳しい調査が行われ、床面に穴を掘って埋められている甕が4基発見され、中には火葬された人骨が入っていました。これらの遺物から江戸時代の物と考えられます。江戸時代に造り直されて、内部を墓地に使っていたものと考えられます』と書かれていました。
地元の伝承では、大阪城の築城の時に使われる予定の石室が、祟りがあると返されたとの伝説があり、多分付近に村人が寄ってこない様に、祟りの伝説が作られたのだと思います。
Written by マロンさん