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学芸員の投稿
Update: 2014年03月26日
西代稲荷大明神の初午祭
 南海高野線の河内長野駅から西へ5~6分のところに西代神社があります。この境内に西代稲荷大明神が祀られており、3月24日の二の午の日に初午祭が行われました。早春の初午は、この地域が寒さの厳しい土地柄であるので旧来から、二の午に初午と称してお祀りが行われてきました。当日は稲荷社の朱塗りの鳥居列に「正一位西代稲荷大明神」の幟が立ち並び、社殿に紅白の鏡餅や海・山・里の供物、氏子からのお供物が沢山供えられています。この鳥居内で神職と氏子総代の人々による祭事が行われました。午後からは初午祭を祝って、境内に建てられた櫓の上から餅まきが行われます。櫓の周りは町内と近隣の老若男女の大勢の参拝者で埋まります。はじめは、櫓の四方に供えられた紅白の鏡餅が、神職により参拝者に撒かれた後、氏子総代の人たちにより餅まきが行われました。撒かれる16斗の紅白の丸餅の内に当たり餅があり、これを拾うと景品と引き換えられます。
 稲荷信仰:稲荷大明神は稲作の守護神で五穀を司る倉稲魂神などの尊称で、翁神とも言います。一般にお稲荷さんと親しまれています。この神使 (みさきがみ)は狐であり、狐が口に銜えたり、尾に巻いている宝珠は、火炎の玉を表しています。稲荷社の赤い鳥居は、火炎を表現したものであります。火は浄火であり、信仰の対象でもあります。狐は昔から神秘的な動物で、春から秋に繁殖する習性が、稲などの農作物の豊作に通じていることから、稲荷が稲霊信仰と結びついて農耕の守護神となったのでしょう。稲の神は一名、御食津神(みけつかみ)ともいい、三狐神(みけつがみ) とも書かれ、狐が稲荷そのものと考えられるようにもなりました。中世以降、工業が興り商業が盛んになると、稲荷信仰は農耕の守護神から殖産神・商業神へと拡大していきました。農村だけでなく、町家・商家から武家社会にまで稲荷が勧請され屋敷神や神棚に祀られるようになりました。
Written by 岩湧太郎